孫も3歳半

孫も3歳半になりました。年々、月ごとに成長する孫を見ていると年々、月ごとに自分も年取っていると思うが、あちらさんのスピードは目にもとならない速さなれどこちらさんの速さはカメのごとく。いつかは追い越されそうだが、追い越される前に死んでやる。

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メタ認知について

「メタ認知」という言葉を知りました。自己の認知を状況を認識することと解釈しました。武田鉄矢さんから聞いた「無知の知」に似ていることと判断しています。

現在の自分の思考や行動を客観的に自分が認識する能力である。自分の言動を客観的に俯瞰した結果の基づき自分自身の今後の行動や思考をコントロールをすることができる。

例えば、私は世間をあまり知らないが、事自分の会社に関してだけは誰よりも知っている、という人は、自分の認識ができているといえるが、そこで終わってしまってはメタ認知力があるとは言えない。つまり自己分析ができているならそこから一歩踏み込んで、世間を知ることに知識を広げる対処法まで把握できてははじめてメタ認識力があるといえる。多くに人は、自分は「こう」だからできないんです、とやれない言い訳にしている程度にとどめてしまっている。メタ認知はあくまでの客観的に自分を俯瞰し改善の方向にコントルールする力である。

メタ認知力を高めるためにはどうするか?毎日の終わりに日記を書くことと言われています。毎日の自分の思考や行動を文書に書留め、自分自身をモニタリングすることからはじめます。また、一日終わりに自分の行動を書くことで冷静に自分が評価できること、この日記を読んだ第三者はどう思うだろうかと考えながら書くとより客観的な思考力が高まっていきます。

 

もともと「メタ認知」は認知心理学分野のことで、米国の心理学者「ジョン・H・フラベル」が定義し、1970年ころから研究が始められている最近の概念です。

「メタ」とは、「高次の」との意味があり、自分の認識していることを高次の視点から認識しようとの意味です。メタ語源はギリシャ語であり、高次な~、超~、~を含んだなどの接頭語である。

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横浜ヒストリックカーデイに行ってきた

今回2回目になる横浜ヒストリックカーデイに行ってきた。車の姿と赤レンガの色がとても合って絵になる。参加している車もきれいで異国情緒を感じる。この写真の車は前から気に入っているBMWのイセッタ。三輪の車でこれでも4人乗り。車のフロントがドアになっていて、前の二人はここから入り後ろの二人は横のドアから入る。こんな車やあんな車が青空の下の赤いレンガに中にずらっと並んでいる。

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無知の化学

以前よりラジオの聴取者の一人でニッポン放送、TBSラジオと変遷して最近は文化放送をよく聞いている。といってもライブではなくここ数年はラジコの録音を朝夕の通勤時間で聞いている。このなかで一つピックアップした。

武田鉄矢の今朝の三枚おろし 文化放送TheNEWS Master 2018年10月18日放送より

人間の「かしこさ」を測定する場合は、従来の知能テスト(IQ測定)「人間の能力を単独で測定する方法」であったが今は違うそうだ。G因子(General因子:とりわけグループに呼びかける力)の測定、C因子(Collective因子:とりわけグループで活動できる力、グループで成果を上げることがでる知能)を測定して評価しているとのこと。

G、C因子が高いとされる人はは、物事を進める際に、仲間を集まめ、それを動かし成し遂げる力であり、人生の長期にわたって必要な能力といえよう。逆に低い人はグループを組めない、グループと一緒に行動できない人は自身の成果が出ないばかりでなく、周りの人の成果をも阻害するといわれる。

これは、(早川書房)知っているつもり「無知の化学」スティーブ スローマン、フィリップ ファーンバック著に書かれているとのこと。まだ読んでいないけど。

ラジオでは、
今の自分、今のコミュニティからさらなる自分次なるコミュニティに属していこうとする思いをもって、いくつになっても完成しない自分として認識し、決してうぬぼれずコツコツと勉強していく。自分が知らないことを一日も休むことない姿勢が知識を加算積算していきます
・・と結んでいました。

自分は無知だと知ることが出発点だと改めて知った。

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「日々是好日」を観てきた

ここ最近映画鑑賞が多い。シニアの特権。今回は「日々是好日」(にちにちこれこうじつ)。実はこれが読めずに映画を観ながら読み方がわかった次第で、強い思い入れはなかったが、見終わってその思いはあまり変わらない。じゃあ、なんで観たかというと、ほかに見るものがなかったから。。

自分の趣味や興味として一文字も存在していない「茶道」をモチーフにしたストーリ。映画館の中はおばちゃんとおばあちゃんと少しのおじいちゃんだらけ。自分もおじいちゃんであるが。

映画は常に見終わって言いたいことは何だったのかを考えるが、このストーリーのメッセージはわかりづらい。自分の解釈としては、「瞬間瞬間の積み重ねで時が形成されている。また、物事は理屈ではなく形式から成り立っていて、しかしその反面で、実際は裏付けさているが当事者はそれを頭で理解せず体で理解しているので、口ではこたえられない」ということのメッセージと解釈。

樹木希林の出演作でもあり昔、「ジュリー!」と沢田研二のポスターの前で体をくねらせていた旧名悠木千帆こと樹木希林の最後の姿を拝見し記憶にとどめた。

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