昭和中盤で生まれ育ち、電気は一般化していたもののその主たる目的は家々の電灯がその目的で、やっとラジオだけが心を豊かにしてくれるものであった時代。まだテレビは一般化しておらず、世の中の動きは新聞が中心だった。それから半世紀もしないうちに今日の情報化時代を迎えている。あと半世紀するとまた大きく変貌していることと楽しみではある。しかしながら、自分の身になって考えるとすでに齢60を過ぎ後の半世紀の成果を伺うことはできないので非常に残念である。自分を中心に考えるとこの半世紀は最も変化の多い年代だったようにあちらの世界に行ったときに自慢したいと思う一つである。その最も象徴的な対象物は車であろうと思う。人が速く遠くまで移動したいとの願望からガソリンエンジンが開発され、各地にガソリンを供給するシステムとガソリンスタンドが整備される。今までにない自動車の運転方法が統一され地球上のどこに行っても自動車が利用できるようになっている。
また、コンピュータを中心にした情報機器もその象徴的な対象となりえると思う。コンピュータはまだ自分の人生の中で黎明期から全盛期(今はそう思っているが長期的に俯瞰するともしかしたら今は黎明期の範囲かもしれないが)にわたって一緒に生活をしていたのでまさにこの50年はとても印象に深い。かつて、高校時代にはコンピュータはやっと商用の機械が世に出始めた時代で、高価で大型で利用目的も限定していた。たまたま授業でプログラム電卓を使った演習をすることがあった。まだ電卓も一般化していない頃なのでとても新鮮な授業内容だった。電卓のキーで、代数計算式を組み込み、その答えを液晶ならぬ表示管に表示させる簡単な内容だったと記憶している。紙に書いてではなく、頭の中で数式を考え直接電卓のキーをたたいていた。今でいうExcelの関数のようなものに似ていたと思う。
コンピュータが自分のものになったのは、二十歳を過ぎたころに手にしたTK-80Eだった。コンピュータと呼ぶには全然その姿は想像できないものでプリント基板の上にLEDの表示モジュールと0からFまでのキーがあるだけの電子機器だった。言語はアセンブラーしか判断できず、雑誌に掲載されたプログラムを映しいれることしかできず何にも役に立たない機械だった当時。値段は5万円前後したのかも知れない。TK-80よりやや安いとのことでTK-80Eを買った。ただし機械は基本はICなどの電子部品の組み立てキットであり、利用するには半田ごてを使って自作する必要があった。当時は(今でも)不器用だったのでICの足がはんだでブリッジして動かないので仕方なく秋葉原のbit-innに持ち込んで修理をしてもらった記憶がある。この当時、ほとんどの人類が、片手にコンピュタをもって電車に持ち込んだり、片手に歩いたりすることを頭の片隅でも考え得た事だろうか?