孫が来た

朝の10時に3週間ぶりに孫が自宅にやってきた。
外は雨が降っていて夕方には台風12号がやってくる予報で、ますます雨脚は強くなってくる。
いつものように特別な用事はないので、迎えた家族とだらだらと過ごしている。ますますボキャボラリーが豊富になっているさまがわかる。今日は自動車に興味があって、ミニカーを3台持ってきた。日産NOTE、TOYOTA BOXY、ポルシェ911と一貫性に乏しいが、すべての名前も認識している。特にミニカーの裏に書いてある車種の名前が読めるわけでもなく、単純にイメージ認識ができてそれに対する個体名称を認識している。3歳の人間の脳は素晴らしいと改めて感動する。何事にも感動的で常時笑っている。
午後の帰る時刻には、疲れて昼寝していたのを起こされたことで、不機嫌のまま帰っていった。
嵐の去った我が家は外の天候とは別に、台風一過のようだ。

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いまさらWordPressを学習

WordPressは使い始めはもう何年も前になるが、いまさらながら勉強を始めました。始めたころは、何とかななるだろうと、ダウンロードしてちょこちょこちょこ使いながら設定を行ってきたが、、

よくよく勉強していると色んな設定方法がわかり単なるブログツールがいわゆるCMSの位置づけに自分のマインドが変わってきた。まだまだ勉強内容に幅が広がっていないので限定的な設定になっているかもしれないが、少しづつ習得して自己研鑽したいと思う。
セキュリティのこととか、不正アクセスを防いだり、ちゃんと分類したり、、知らないことが多かったことに気づいた。

その結果、このページも大幅に変えてみようかと考える今日この頃でした。

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近郊での輪行

三浦半島を自転車で走ってみた。絶好の天気と湿度も低くて絶好のコンディションだったと思う。今まで輪行は東海道とか、奥州街道とか幹線道路を中心に走ってきた。久しぶりの輪行は自宅から出発するコースを計画した。近郊での輪行は、何も準備がいらなく気楽に始められるが、困ったことがひとつ。道路の信号である。スキーと同じように自転車のペダルはビンディングと言ってペダルと靴がガッチリりつながっている。ペダルをこぐときに、踏ん張るとともに反対の足で引き上げることが同時にでき力を十二分に発揮できる仕組みになっている。走っている分には大変都合がいいが、一時停止する場合はその都度ペダルと靴を取り外しと付け直ししないといけない。走っている際の取り外しは足をひねってペダルからはず事が出来そんな苦ではないが走り始める時は、靴とペダルをガチッとはめるために、走り始めに時間がかかる時がある。はまらないときは何度も足をペダルに当てなおしをしなければならない。もともとこの方式だったが、近郊はとにかく信号が多い。数メートル走ると信号があるような状態で走りに専念できない。
近郊での輪行は得策ではない。信号の少ない幹線道路や田舎道を選んで走るのがよい。

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電気ケトルの洗浄

コーヒーボトルの感動を再び味わいたく、普段使いの電気ケトルの洗浄も実践してみた。

前回に倣って、水を浸して重曹をいい加減入れて数時間放置した。ところが、意に反してほとんど変化はなく、ちょっと焦る。今度はお湯を入れ再度重曹を入れ数時間待つ。ケトルのふたを開け覗くと、やはり変わっていない、焦りまくり。

冷静になってちょっと考える。コーヒーの汚れは重曹で効果が出たが、この水垢には重曹は利かないのだ。

それで思いついて、元に戻ったクエン酸を手に取る。確かに、クエン酸のパッケージにちゃんと書いてある。ポットの湯垢の落とし方。書かれている通り、ポットに水を浸しクエン酸を入れ、お湯を沸かした後で1時間待つ。ふたを開けて感動を味わう。「おおお~」見たことのないピカピカ感を味わう。これを味わいたくて洗浄をしたんだ。

教訓:なんでかんでも重曹じゃない。適材適所、その場その時の状況に応じて施策を考えること。人生と同じ教訓を味わう。

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武田尚子著「マニラに行った瀬戸内漁民」take2

広島にやってきた。武田尚子教授の本に従い島の散策を行ってみた。そのこともあるがどちらかと言うと40年前に訪れた祖父(母親の父)の家を再び見ておきたかった。祖父の家は、すでに他の人の手になっており実際に中を拝見するとことはできないが外観だけでも見て見たかった。
昔の記憶を辿り街をうろうろしながら探してみる。街全体は人が少なく歩いている人もほとんどいない。居たとしても私に祖父の家はどこですかとは聞けない。数分間探し覚えて居た家の裏口にあった細い川を見つけそこから家を探すことができた。
 家は昔の面影はなく道路に面している窓はサッシに帰られているので趣がおおきく変わっていた。それでも二階の窓のつけられた手すりは昔のままでなんとなく記憶していた。この家から遠くマニラの若者に情報発信をそていたのだと、そういった想いを含めて感慨にふけった。
家の周りの家は古くなったせいかほとんどの家が無くなり平地となっていたので、余計に面影は感じられない。ただそれでも武田直子教授の言われる、昔は金持ちだっただろうと思わせる大きなガッチリした家も所々残っていて、こんな小さな島には似つかない風情も残っていた。想像するに、街の三分の二の家は建て替えられるは建て壊しされていて面影はない。残る三分の一が古いままの家をなんとか改修して現在でもつかわれているか、つかわれず放置されている状態と考えた。
近くに神社があり、昔、捕鯨から帰ってきたひとがこの神社で三日三晩踊り続けたとのことが書かれた立て札が立っていたのを見つけた。さらに神社の改修費として祖父が寄付していた事を記録したふだも見つけ、祖父の生存した記録を見ることもできた。
人は歳をとると歴史に興味を持つようになると言われる。かくゆう私もそうなっているのかと思う時がある。

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