あろ~は~5

Hawaii旅行5

はじめに

hed01  今年は、出かけるときの家族は少し暖かな気持ちで受け止めてくれていた。これが6年間、5回目の実績だと感じていた。家族には、今回でもう終わりにしたいと告げていたせいもあったからか。。
 ドル安景気もあって、70円台での両替でだいぶ得した気分で飛行機に乗ったのは12月10日。毎回繰り広げるドタバタも今年が最高かもしれないと、振り返り思った。
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 本題に入る前に、少し自分の置かれている状況を機密情報の漏洩にならない程度に説明することが必要だ。自分の名誉と言い訳を含めて。
 私は、300人程度の会社の情報部門責任者である。ひとつの会社として一通りの情報システムが稼動していて、10人程度で開発運用を行っている。日々いろんなことがあって人手は足らない状況が継続的に続いている。もともと昨年10月にこの職場に招かれ今年7月から責任者となったことから、仕事の隅々までは十分知りえていないが、とにかく忙しい日々が続いている。
 この忙しい中で、さらに新しい仕事「ここではNプロとよぶ」を私が昨年12月に持ち込んでしまった。Nプロは約1年間の大仕事で、大部分は外の業者にまかせられるとの判断で仕事の導入を決定した。開始時のNプロは確かに月に1度程度の打ち合わせで済んでいた。そのため、通常やるべき業務とNプロと両立できていた。順調であった。
 ホノルル準備は、便利なもので旅行パックの手配やマラソンの大会申し込みなどはほとんどネットでできるし、少し時間がかかったのが、ドルの両替くらいで、それ以外は手間はほとんどかかっていない。また、マラソンの練習も毎朝の仕事前練習と週末の長距離練習とそこそここなせていた。公私共に順調であった。できれば、タイムの更新も夢でないと考えていた。
 しかし、この状況はあまり長続きせず、今年7月の組織責任者のなるころには、時間的な余裕を作ることが難しい状況となり、10月を過ぎるくらいは、朝の練習時間が作れないことは言うまでもなく、週末の練習時間もままならない内容になってきた。12月に至っては、半分は出張の日程で埋まっている。こんな中で、走る練習はほとんどできない状況である上、体への疲れも蓄積されていったのだろう。出発の1週間前には荷造りを終えて成田に送るなど手順はできていた。ただし、出張に出かける前に、夜遅くまで残業していたことで風邪を引いてしまい、それを出張先まで持ち込んだことがよくなかった。出張期間中で、体を休めることが十分できなく、市販の薬で誤魔化していたが、それも限界を超えていたのか、症状は日増しに悪化する一方で、回復の兆しが見えてこない。こんな状態が数日間続き成田行きの12月10日を迎えた。

旅の記録

●2011年12月10日(土)天気は晴


 出張から帰ってきて、体を休めるために朝は遅くまで床の中にいた。昨日床に入ったのが夜の9時で、今日起きたのが朝8時であり11時間も寝ていたことになるが、体調はよくない。咳が止まらない。起き上がり、本日の持ち物の整理を行う。大部分は1週間前にクロネコに預けたのでたいしたものはないが、忘れ物があってはと思い、あれこれ考える。走る前に必要なエネルギーとして大福もちを買う事は忘れないようにしている。ついでに、咳のためにのど飴とバナナの買出しに出かけた。買い物に出かけるとなると、あれもこれもと家の買い物を頼まれる、あれやそれやと買い込んで帰宅する。時間はまだ午前中。本日の成田までの乗換えを考える。今までは、NEXや高速バスを使っていたが、今回は荷物がないので、できるだけ安い手段を見つけたい。いろんなサイトから見つけたのは、京王線→京成線→北総線が乗り換えも1度で時間も短く安い事でこの方法とした。そうこうしている間に、12時になり昼食を食べた後で出かける時間となった。
 出だしとしては順調な手順である。
 今回の航空キャリアはDELTA。昨年からJALではなくDELTAとなっている。チェックインは事前に自宅でWebより行っており席の確保は済んでいるので、搭乗券を受け取ることと荷物を預けることくらいを行う。何事もなかったチェックインに続き、出国審査も特筆する事もなく終わり所定の待合室に到着する。ここでは、例年PCの電源を求めて席を確保しWebの元をカタカタと記録するのだが、今年は体調が悪いことで何もせず席に座って体を休めていた。定刻出発は7:00であり6:30には搭乗するはずだが、今年は、音声関連の機器不良があり搭乗が遅れる。最終飛び立ったのは、1時間遅れの8:00であった。それにしてもガタが来た機体は心配を感じる。機内アテンダントもほとんどが外人で、何言っているかよくわからないし、機長のアナウンスもよく聞き取れなくわからなかった。
日付変更線を跨ぎ同じく12月10日。ホノルル空港に到着したのは、何時だったか覚えていない。飛行機の中では咳は出るし熱もあったためか悪寒が走り体調はすこぶる悪い。ホノルル空港では、いつになく混雑しておらず比較的短時間に入国審査が終わり予定のバスに乗ることができた。体調を除けば順調である。天気は曇り。時折雨が激しく降る天候で2007年を思い出す。バスに乗っているときも雨が降っていた。
 バスに乗ってコンベンションセンターに向かう。例年通りこのセンターの3階に会議室がありここで今回の日程の説明を聞く。説明あとは、お土産の販売となる。工場直販で新鮮で安いが謳い文句。今年もここでお土産を買う。
 1階の会場でマラソンの受付を済ませる。マラソンの受付書類を持ってきたが、誤って成田空港で衣服の荷物に入れてしまった。このままでは、いったんホテルに戻り荷物を受け取った後でないと受付ができない。こんな体でホテルとコンベンションセンタを往復する事はできないと考え、受付で「わすれました」と申告し対応を確認すると意外と簡便な方法に驚く。名簿を見て自分のゼッケンを確認したら、メモ用紙に名前とゼッケンを書くだけで受付ができることになった。受付を済ませ、毎年購入しているTシャツを購入する。今年はAdidasが協賛らしくブースもあったが、サンプルだけが飾ってあって、手元には郵送されるとのサービスであるため、買わなかった。
 一通りの手続きが終わってトロリーに乗ってホテルまで移動する。時間は12時前、チェックイン可能か心配であったが、迷わずホテルに向かいチェックインをしたら出来た。今回はOHANA WEST。前回がOHANA EAST。このホテルはあまりよくないが安いからよく利用される。部屋にはまだ空港から別送していた荷物は届いていないので、昼ごはんを買いに隣のスーパーまで出かける。このスーパーは毎年来ている。
サンドイッチと飲み物を買い求め、ホテルに戻る。腹ごしらえをした後で、一眠りする。時間はまだ2,3時頃かと思うが、疲れて体が動かない。ベッドの上で寝る。。。。。何時間寝たがわからないが、急に雨が降ったり、風が吹いたりしている音が聞こえる。それも子守唄に寝続ける。覚醒と睡眠とが交互に入れ替わり、夢か現かわからなくなってきた。熱も出ていたせいか、ぼ~としている。時間的には、明日のマラソンの後にタオルや着替えをゴール会場まで届けに行かなくてはならない時間帯であるが、ベッドの上でうつらうつらしうながらいる自分の頭の中で、明日のマラソンはやめたら、、と呼びかける人が出てきた。せっかくここまでやってきたけど、明日の大会に出て大変なことになってしまっては元も子もない、、と力説してくれた。眠っている窓の外は薄暗くなっていて、明日はやめようかなぁといっている自分も見えていた。時間が正確に何時かはわかっていないが、一日が終わろうとしている時間だったと思う。 マラソンのスタート時間は午前5時なので、参加するなら3時頃には起きだして出かける必要がある。時間が迫っている中で、先ほどの棄権の呼びかけと、それを了解する自分の声が、心の奥底に残っていて、立ち上がろうとする気持ちは湧かなかった。
 いつの間にか、時は過ぎて12時を回ってしまった。

●2011年12月11日(日)天気は雨

 外の雰囲気は、大粒の雨が降っている様子だ。この音を聞き、またしても走る意欲がなくなった。すでに出ないことを決心してはいるが、少しでも可能性があれば走りたい気分であったが、ダメ押しの雨で、棄権は決定的となった。このまま眠りこけよう。今までの仕事の忙しさもまとめて解消しよう。ZZZZZZ・・・
 次に気がついたときは、陽が高く上がっていた。時間は9時頃。簡単な朝食を済ませ、ゴール地点に向かう。まだ走っている人がいる。一目見ておきたかった。走りこんでくるゴールゲートの少し手前で、走ってくる人を1時間ほど眺めていた。
元気よく走りこんでくるひと
足を引きずりながらあるいてくるひと
顔をゆがめて痛さをこらえている人
手をつないで走ってくる人
マイペースで走ってくるお年寄り
 いろんな人が、ゴールを目指している。「よくがんばった」と声をかけてあげたかった。英語で言う「Good Job」は、それに近いかけ声だと私は思う。「がんばれ」といえるほど自分はがんばっていないし言われた側も「お前に言われたくない」と思うだとろうし。苦しそうにゴールを目指している人を何人も見ていると、自分を見ているように錯覚して、心の中で、「よくがんばった」と叫んでしまった。なぜか涙が出てきた。
 ゴールで帰ってきた人を迎えている間にもスコールはときたま降ってくる。本当に走らなかったことで満足かと、自問自答した。よくわからない。
その後、ホテルに帰って再び寝た。まだ咳が続いている。

●2011年12月12日(月)天気は晴


昨夜は夜更かしして、仕事をしていたので寝る時間が遅くなった。そのため今朝は8時過ぎに目が覚めた。さめたというより、日差しの暑さで目が覚めた。今日気づいたが、この部屋は朝日が直接部屋の奥までさしてくる。そのため、直射日光が体を熱くして目が覚める。朝早くから咳が止まらない。調子がよければ、いろんなところに行ってみたいが今日もホテルで過ごすことにする。
朝食は、到着日にスーパーで買ったベーグル。ほとんど飲んでしまったオレンジジュースと最後となったヨーグルト。質素なメニューであるが十分である。食事後、少し散歩をするが、お昼前には帰ってきた。そのときにたまたま部屋を掃除していたので、「お邪魔」な模様でもう一度散歩に出かける。お昼を回っていたことで食事場所を探す。近くに丸亀製麺のうどん屋さんが出来ていておいしそうだったが、えらい行列が出来ている。日本人ばかりでなく大部分がローカルの人のようで、大人気の様子。あきらめて他を探す。ワイキキショッピングプラザのB1Fにきわみラーメンを見つけはいってみた。味噌ラーメンはメニューに色からして辛そうなので、塩ラーメンを食べる。とにかく油っぽい。あまりおいしくない。その上で値段は10ドルを超えている。今回のホノルルで初めての外食なのに選択を間違った。ホテルに帰る。お昼からビールを飲んだら、眠くなって午後7時まで熟睡してしまう。

●2011年12月13日(火)天気は晴

咳がまだ止まらない朝を迎えた。このままホテル生活では、なんとなくもったいない心が湧いてきて、TVでやっていたココクレーターに行ってきた。
 ココクレータは、ダイヤモンドヘッドのさらに東側、ホノルルマラソンの折り返し地点であるハワイカイのもう少し東側のポイント。そこまでは、当然ながら自転車を利用する。そこで自転車選びが始まる。
 ハワイのレンタル自転車屋は、カピオラニ公園近くにあるのを利用しているが自転車の質があまりよくないので、ネットで別の店を探し、見つけた場所へ行ってみる。確かに今までのお店よりチャンとした店構えで、やや期待する。値段も15ドルで安い。自転車はすべてオフロード風のマウンテンバイクの様な形をしている。決してマウンテンバイクではない。車体も重いしパーツも雑な代物。「オンロードのバイクはないか?」「オンロードは高いからおいていない」明快な返事で納得。私用にオフロード風バイクが出されてきた。自転車のメンテナンスは悪いと確信しているので、タイヤ圧、ブレーキを確認する。ワイヤーが延びきっていて、ブレーキの効きが悪い。そうすると別の自転車が出てきた。今度は空気圧が低い。これは自分で治せるらしく、空気を入れ始める。なんとかさまになったので、これを借りて出かける。走り始めてすぐに、前輪から異音がする。ようく見るとタイヤからチューブがはみ出している。空気を入れすぎたのが原因らしいが、タイヤからはみ出すとは性能面でもよくない。自転車をお店に持ち帰る。店主が出てきて、またか、との顔で迎えてくれる。タイヤの障害を伝えると仕方ない顔で覗き込んだ瞬間、チューブが爆発した。店員は動じなくまた別の自転車を出してきた。今度はどうだとばかりに同じ機種の自転車を奥から出してきた。今度の自転車もブレーキが甘い。もうやめようかと諦めかけたとき、さらにもう一台自転車を出してきた。どれも似たり寄ったりの整備状況。前の三台よりは多少いいので、根気負けしてこれを借りることにした。
 自転車を借りて、ひとまず北を目指した。特に目的があったわけではないが訪れたことのない場所に興味があっただけのこと。アラワイ運河を渡りまっすぐに北西方面を目指す。20分ほど進むととつぜんの雨、ここに来て毎日雨が降っている。シャワーなので心配することはないのだが、風邪がひどくなっても仕方ないので近くにあったバス停で雨宿りをする。程なく雨は止んだ。ころあいがよいので進路を変えココクレータに向かう。この頃になって気づいたことが、自転車のクランクが緩んでいてペダルを漕ぐ度にガタガタ音がしていることがわかった。とんでもない自転車だ。何とか利用継続可能なようなので、このまま走り続けることに。ペダルを漕ぐごとに、ギーギーと音がする。
 ココクレータは前述のようにワイキキから少し離れているが、マラソンできなかった分こちらへ足を伸ばすことはいいことだ。ダイヤモンドヘッドを回り、H1の入り口に到着する。時間は12時の前となってきたので、ガソリンスタンドに併設のコンビニに寄る。ここで、サンドウィッチとアイスクリームを買う。アイスクリーム店を出た時にペロッと食べたが、サンドウィッチは背中に背負ったザックに入れて真っ直ぐハンドルを西にとる。先ほどのシャワーの後はどこにもなく炎天下の下を汗をかきながら進む。こんな時間に自転車で走っている人は誰もいない。平日なのでH1は車でいっぱいの状態。無言でギーギーいいながら西を目指す。いい加減いったところの海沿い公園で昼食をいただく。結構なボリュームでひとつ食べただけで腹がいっぱいになった。再び走り始める。ココクレータが見えてきた。高さは300m程度と聞いていてそんなに高くない。周りに何もないので高く感じる。クレータの場所は遠目からはよく分かるが、実際にどこが入り口かは分からない。予め調べた時には、H1から直接入り口があるような地図であったっことから、H1を真っ直ぐ進む。しかし、その調査結果は程なく間違っていることに気づく。進んでいる道は、ココクレータから遠ざかっていることが分かった。道を引き返し、ハワイカイのダウンタウンにハンドルを取り、目標の山の頂上を見ながら進んでいく。何度か進路を修正した後でやっとココの入り口にたどり着いた。時間は3時30分頃。ここから山を登ることにうなる。見積もり時間は30分。下から見ている分には比較的容易いと思えた。実際、履物はサンダルだし、背中のザックには、水が半分ほど入ったペットボトルのみ。何とかなると考えて、山を登り始めた。 登山道は、写真のように線路が真っ直ぐ頂上までも伸びているので道に迷うことはない。ひたすら線路の枕木を真っ直ぐ上るだけである。実はこれが結構きつい。最初の4分の1くらいはスイスイと登って板が、そのうち息が切れて足が上がらなくなって、周りの景色を見る余裕さえなくなってしまった。半分を越えるころ、線路の勾配はさらに急になってきた。途中関門といわれる枕木だけの橋の道もあり足を踏み外せば落ちてしまうところもある。予定時間である約30分で何とか頂上までたどり着くことが出来た。頂上から見る風景は征服感もあって気分はいいが結構疲れたことからあまり余裕もない事と暗くならないうちに帰りたいこともあり、そそくさと下山した。のぼりに比べて下りは楽に決まっているが、すでに膝は笑い続けていて下りも楽ではなかった。
 何とか明るいうちにホテルまで帰ることが出来た。その日は、チキンカツ弁当を買って少し贅沢な夕食をいただいた。

●2011年12月14日(水)天気は晴

 今日は最後の1日となる。相変わらず、咳が止まらない。初日に比べれば体は楽になった。最終日は、お土産の買い物と洗濯で時間を費やす。
 朝、有名なアラモアナショッピングセンタに向かう。本当は、ホノルルマラソンのスタートとしてこの場所に来ていたはずだったが、叶わなかった。天気は良く、灼熱の太陽の下で再び悔しい思いをした。ショッピングセンタをくまなく歩き、買い物を物色する。が、買いたいものは見つけることが出来ない。お昼近くなって腹が減ってきたので、久々にフードコートにやってきてアジア料理を食べる。パンダエキスプレスは毎回利用するお店。今回で3度目。メニューもアジアンっぽくて好きである。このあともう一周してトロリーでホテルに帰った。
 ホテルでは、洗濯が待っている。本日までの洗濯ものを1Fのコインランドリーで洗濯する。洗濯機が2.5ドル、乾燥機が2.25ドル。円安を考えると300円程度なので結構安いと割り切り、汚れを日本に持ち帰らないようにする。日本に帰った日にも直接出張のため、荷物をそのまま自宅に送ってしまうので、身ぎれいにしいたい。
 これで、無念のハワイ旅行5回目が終わる。来年はやめることで決断してるが、どうするかは帰国後ゆっくり考えてみることにする。

●2011年12月15日(木)

日本に到着。今回はそのまま出張のために、栃木県に向かう。買ってきたお土産をトランクにしまい、クロネコに預け一足先に帰宅させる。今回は体調の悪さから、涙をのむ結果となった。この良い経験と前向きに受け止めて、仕事に戻る。ByeBye!

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