あろ~は~2

Hawaii旅行2

はじめに

 今回で2回目のホノルルマラソンに挑戦した。

 今年の初には出場を決め、12月9日(偶然にも誕生日と同じ)に向けて準備を進めて来たつもりだった。すくなくても10月までの10ヵ月間はそうだった。体力もタイムも時を追う毎に改善していった。その成果は10月に本番に向けて参加したハーフマラソン2本で確実な数字として現れて来た。この事は日頃の練習の励にもなったし、自信へとさらには上を目指す力へとつながって行った。

 ただ、今思えばこの事が11月からの悲劇につながっていた。丁度2本のハーフが終りあと1ヵ月に迫った頃。いつものように、週5日ペースで練習をしていた。なんとなく気づいた左膝の痛み。これが日を追う毎に痛を増して来る。アイシング不足か、柔軟不足か、水分不足か色々考えたが改善されず、整形で見てもらったが、レントゲンからは原因がわからず、苦し紛れとしか思えない「走り過ぎ」との診察を下され、しばらく様子を見ることにした。過去にも同じような症状から走を止め2週間ほどで完治した経緯があるため、医者の指導に沿い練習を止める事は特に疑うものではなかった。これが11月始めで、11月中旬までは練習を中断する事で本番に万全をきせるのなら本望とすべての練習を止めた。

 練習を止めている間、気分的には非常にあせっていたがやむなしと考え、本番に向けて体重を絞る事に注力した。酒を断ち炭水化物中心のメニューに近付けて行く。これがまた災をした。たまの出張で疲れたのか風邪を引いてしまった。しかし今までであれば1~2日で体調を回復していた経験から一日寝ればいいだろうと考えていたところ、体重を絞り始めていた事で対応力が低下していた為か、一向に風邪が回復せず挙句の果てには会社を3日間も休む羽目になった。しかし、この症状はまだ継続している

 一方、足の痛みといえば、一向に改善する兆候が無く本番一週間前に再度病院を訪れMRI検査をすれど原因の特定は出来ず、相変わらず「しばらく様子を見ましょう」との医師の診断にがっくり。しばらく様子を見ても治癒する兆しは見られず、本日番4日前に鎮痛剤を処方してもらう。「やめたほうがいいですよ」との冷ややかな医師の批判にも耐え、本番に挑む決意を伝える。  最悪の2007年第35回ホノルルマラソンは何事もなく開幕された。

旅の記録

●2007年12月07日(金)

 朝は通常通り会社に向かい、いつものように仕事。会社からは午後4時ころの出発となる。ハワイへの飛行機は午後9:30発で、成田に午後7:00集合のためゆっくりしている。

日本とホノルルの時差(19時間送れ)の関係から、本日は1日が24時間+19時間=33時間となる。午後9時30分で出発した飛行機は日付変更線を超え到着する日は同じく金曜日の午前9:00。この基礎知識を持って成田からホノルルに向かう。

 飛行機の中はほとんど満員の状態で、機長の挨拶にも「ホノルルマラソンがんばって」との言葉が添えられるほどその手の人の搭乗が目立つ。機内では、キャビンアテンダント(スッチー)手作りの応援リストバンドが全員に配られるなど気分は高揚し、足の痛さも咳のつらさも忘れるくらい。本当は機内では睡眠をとるべきだが、機内食や飲み物がほしいばかりに眠い目をこすりながら本を読んだりしていた。

 飛行時間は6時間たらず。到着する時分のアナウンスでは、ホノルルは小雨とのこと。着陸間際に飛行機はダイヤモンドヘッドからワイキキビーチを望めるコースを低く飛び、マラソン気分を盛り上げてくれた。いよいよ飛行機は着陸態勢に入り窓からも滑走路が見えるほどの着陸寸前の状態であった。そろそろ車輪が地面につくだろうとしていた時に、突然飛行機はエンジンを全開にして急上昇を始めた。いわゆるタッチダウンの状態である。こんなことは初めての経験で何があったのかと機内騒然になる。またスッチーのアナウンスも「何があったのかわかり次第お知らせします」と意味ありげなことを言うもんだから心配になる。飛行機は再び高度を上げ左に右に傾きながら方向転換を繰り返し始めた。どっちを向いているのかは機内からは伺い知れず、ただ機長を信じるのみの状態。程なく機長からのお知らせで、「着陸態勢に入ったあとで、天候が悪くなり管制塔から着陸やり直しの支持が着た」との事。ただ、飛んでいる間は本当に理由か嘘かはわからない状態であったが、実際着陸後滑走路の雨の状態から本当だったと安心するありさま。

 通関は昨年より短時間で通過することが出来、ツアー関係者集合の元本番コースの下見に出かける。
実は、こんなサービスがついていることは知らないまま参加していた。ツアー参加者といっても全員で4人。それぞれ経験者でいまさらコースを下見に行かなくても良いメンバーであるがサービスはサービス、全員しぶしぶついていく。ツアーが仕立てた車に乗り込み、日本語ペラペラの運転手から観光説明を含めた、コースの案内をいただく事になったが、ワイキキ中心街は道路工事で大渋滞。これなら歩いたほうがマシ、と思えるほどイライラしながらの下見になった。運転手のMasaさんは、一見すると欧米人であるが日本語は日本人とそん色ないくらいうまくしゃべれる。ただ、のらりくらりとしゃべる口調が我々が馬鹿にされているようでしゃくにさわる。

 ハワイでは最近雨がとても多い。何十年ぶりかの大雨との事、ハワイは元々雨は多く降らないので、雨が降ると道路が雨で洪水のようになり、建物のあちこちで雨漏りがする。道路を走るトローリーバスは窓ガラスは入っていない、傘を持っている人が少ない、、、など雨への対策が出来ていない。今回のマラソンも雨が降ることを想定せずに参加している。コースの下見の最中でも突然の雨に会い道路上は大洪水になる事をかいま見た。ハワイでは、赤土の土壌らしく雨が降ると赤い泥水が流れ出し衣服や靴につくと赤茶色のシミとなり見た目にも汚い。

 コース下見を終わりこれからホテルのチェックインについて説明を聞くが、チェックインは午後3時からとの事、あと2時間足らずの時間がある。外はまだ雨が降っていたりする。パックの集団合同から解き放たれたはいいが、これから何をするか予定がない

 ひとまず本番に向けてゼッケンの引き取りにハワイコンベンションセンタに行く事し、その途中で昼食をとる事とする。前回もそうであったが何を食べるかどこで食べるかを考える事に苦労する。美食家であれば旅立つ前に食べたいものと食べたいところを事前にチェックされていると思うが、いかんせん私はその気がない。仮にそうしても値段が高くて行動は行わない。昼食はアラモアナショッピングセンタのフードコートへ。行く途中でも何度もシャアーに会う。靴もズボンもバックもずぶ濡れの状態。あちこちで水たまりができている。本番当日は大丈夫かと心配になる。屋台風の中華風料理を食べ$10。見ため以上に高くついたので驚く。

 3:00を過ぎてホテルにチェックインする。今回のホテルはヒルトンHawaiianVillegeホテルは初めてであるが、ホテル壁面に虹の模様がある建物で有名で、このホテルは広い敷地面面積に6棟のタワーで構成されさらに新しいタワーを作っている。増築増築を繰り返したようで、非常にわかりづらい体構成になっている。初めての人はぜったに迷ってしまう。フロントは複数のホテルタワーの奥側にあることもとても不思議で、チェックインしたあとキーと紙を一枚渡されるだけ、何処に行けばいいのかもわからぬまま解き放たれる。部屋は「D488/1KB」と書いてあるだけで、誰も案内してくれない。ホテルの地図を見ながらしばらく考えた結果、海も見えないダイヤモンドヘッドタワーの4Fであることがわかった。「ちゃんと書いてほしい」しかも標識らしきものも不親切でわかりづらい。また、ホテルの施設はなんでも高い。部屋ではネットは使えるようになっているが、使う気にならないほど高い、コインランドリーはない、食事も高い(バイキング風夕ごはんは1人3千円)。ワイキキからも離れているので買い物にも不便。従業員も親切身にかけると感じる。

101雨に濡れたアラモアナ
102ワイキキビーチも雨
103雨で大変、、
104道路は洪水状態
105コンベンションホールでゼッケンの引き替え

●2007年12月08日(土)

 本番の前日。日本から持ってきた鎮痛剤の効き目を試す事と体を慣す事とした。朝食は昨日ABCで買ったサンドイッチ。しっかり食べて鎮痛剤を飲みこむ。ジョギング姿に着替え外に出る。昨日とは違い今日はとてもいい天気で、ハワイらしい気温になっている。走り始めたもののやはり痛みは消えないことがわかる。近くの公園を軽く一周するが、いまいち。。コースを変えて海岸側に出て走る。少し走りになれてきたせいか幾分痛みが和らいだ。またコースを変えてワイキキあたりを走る。ゆっくりであれば痛みは感じないことを実感する。全走行距離にして3Kmくらいか、この辺でやめておこう。昼は食べ放題のレストラン「FORGY」でしっかり詰め込む。前回使ったホテルのシェラトンのコインランドリーで洗濯し、帰りのお土産を買ってホテルに帰る。あまり疲れは禁物だが結構疲れた。今日は早く寝よう。

201ダイヤモンドヘッドとワイキキビーチ
202ダイヤモンドヘッド

●2007年12月09日(日)

 本番当日、朝2時に起床して最初にベランダから天候を確認した。当然まだ外は真っ暗ではあるが、雨は降っていなく雲も見当たらない。「ヨシ!」と右手に握り拳を作り、朝食を食べる。とにかく、スタミナを付ける事を考慮して昨日ABCで買ったサンドイッチ、バナナ、おにぎりとサプリメントと考えられるものはすべて腹に収めた。また、気になっているひざの痛み予防として鎮痛剤も一緒に飲み、身支度を終える。滞在しているホテルにも多くのランナーがいて、隣近所の部屋からもゴトゴトと音が響いてきている。部屋で軽くストレッチを行い、午前3時前には部屋を出た。すでに多くのランナーが色とりどりのウエアーを着てスタート地点を目指している。ホテルを出たとたんに霧雨に出会う。が、「大丈夫だ今日は雨は降らない」となぜか確信をもってスタート地点をめざしたのだ。今年のポーチの中身は、BCAAのクッキー数個、飴数個、フィルムカメラ。

 出発地点のアラモアナショッピングセンター前の道路にはすでに大勢のランナーいて、道路沿道に座り込んで談笑している人、ストレッチをしている人、写真を撮っている人いろんな方法で時間を過ごしている。まだ1時間以上も前なので込み合うほどの人はいないので、ゆっくりとスタートゲートのところまで行ってみる。ゲート下では記念写真を撮る人が多くいる。ここから走るんだと確認する。

 1時間前からストレッチを始める。まだ人も多くないので完走目標時間4時間のスタート地点に移動し、スペースを確保してじっくり行うことができた。特に左ひざについては入念に行うことは当然ながら、普段以上にじっくりと行う。会場では、日本語と英語とで出発前のムードを盛り上げるアナウンスが拡声器を通して聞こえてくる。体も温まった頃、一転にわかに雨が降ってきた。自分の頭では降るはずのない「雨」であり予想外である。しかも雨は突然でその量は半端ではない。南国の地にふさわしくいわゆるシャワーである。5~10分くらい降り続いただろうか、その間木の下に身を隠したのの雨をよけるほどの効果はなく、全身ずぶぬれになり温まった体は冷え切ってしまった。雨があがり、濡れた体を可能な限り拭き取り体温の下がるのを防き、またストレッチのやり直しで体を温める。 30分前になってくるとナンナーが2~3倍に膨れ上がり自分の立っている場所を確保することがやっとの込み具合になってくる。気分も高まってきた時分、再度シャワーの洗礼に見舞われる。今度は、人が多く集まっているため何処にも身を隠すこともできず、ただじっと下を向いて雨の止むのを待つしかなかった。とても惨めでつらい。ホテルにはカッパも用意して持ってきたが、朝起きた時の空模様から雨は降らないと信じた事が敗因。日本の気象とは大きく違うことを思い知らされた。いくら空に雲がないからと言ってもその日1日雨が降らない確証にはならない、これを頭に入れておき次回参加するときはポーチにカッパを用意することにしたい。と反省しながら雨の止むのをひたすら待った。


mileTime KmTime/Km
110'071.6106'17
210,463.2206'41
310'014.8306'13
4-519'408.0506'07
609'259.6605'51
7-819'4712.8706'09
910'1814.4806'24
1009'4816.0906'05
1110'2117.7006'26
1209'5419.3106'09
13-1420'2922.5306'22
1511'1124.1406'57
1611'1625.7507'00
1711'2127.3607'03
1812'5228.9708'00
1911'5730.5807'26
2012'0532.1907'30
2112'3733.8007'50
2212'3235.4107'41
2312'3237.0107'47
2412'4138.6207'53
2610'4840.2306'43
2610'2441.8406'28
6.2202'2042.2006'38

大会発表タイム:4時間52分26秒
自測タイム:4時間45分

大会公表のタイムは、大雨の影響から正しく測定出来ていなく、私の場合スタートゲートの通過時間がとれていないことで実際より長めの時間になっていました。一方、自測時間はゴール後に止める事を忘れていたため正確ではない。つまりは幻の結果となってしまった。
 
 大会関係者も出発前の雨騒ぎで会場の段取りが狂ったようで会場アナウンスもいつの間にか静かになっていた。突然花火がバンバンと上がり、時計を見ると5:00を回っていた時には驚いた。もう少し心構えをしたかった。ほどなく、スタートを待つ集団はゆっくりスタートゲートに向けて動き始めた。スタートゲートの下を過ぎると走れるほどのスピードになっていた。昨年は、5:00のスタートまでを会場アナウンスの人が今か今かと盛り上げてくれて、スタートの瞬間も少し大袈裟なほどにアナウンスしていたほど、さらにスタートした後も列の動きはしばらくは動かなかった記憶である。

 走り出しは、膝のことが気になりゆっくりペースで走り始めた。この時点では足の痛みはあまり感ぜず順調な走りである。昨年もそうだが、私の前に多くの歩く人を見かける。しかも複数人が横に並んで後ろの進行を妨げている。速く走る人はスタートラインの前列に、遅く走る(歩く)人はスタートラインの後方からとのルールであるが、このたりのモラルなさは閉口する。前方の歩いている人を何人も追い越し走る。走り始めて、ダウンタウンを抜け再度アラモアナに戻ってきた時分で再度スコールが降ってきた。もうこの時分では体も温まっており却って雨が気持ちよく感じるくらいであったが、靴が濡れるのは気持ち悪い。走る度にグチョグチョと音がするし。

 5Kmを過ぎたころ足の痛みも感じないので、スピードを上げてKm5分台で走り始めたが、2,3分もしない内にひざが痛み出した。鎮痛剤を飲んではいるが、痛みは解消できないことがわかりこのまま走り続けていると完走もままならないと判断し、再度ゆっくりベースのペースダウンして走り続けることとした。

 10Km、ダイヤモンドヘッドあたりから両足に疲れが出始めてきた。こんなはずじゃなかったのに・・と心から思う情けなさ。11月に入ってからの走りこみが100Kmと当初目標の半分、さらに月後半にはほとんど走っていない事が原因かと振り返る。ひざの痛みはペースを落としているので走るには支障には感じないが、完走出来るか不安になってくる。これでは、4時間を切ることは到底無理。目の前の目標としては1マイルを10分として着実にクリアすることとした。

高速道路に入り中盤に入って、両足がパンパンになって足が前に出ていかないことが自覚される。今まで、ペースメーカを見つけてひたすら着いていくことを考えていたが、どんどん追い越されていくみじめさ、悔しさを味わう。「こんなはずではなかった」

後半に入りなんとか走り続けられていることで、完走を目標に目の前をひとつづつこなしていこう。長い高速道路を降り、カハラ通りからダイヤモンドヘッドあたりが最高にきつかった。すべての給水所で足を止めることはもちろん、2,3分間歩くこともあった。おかげでこのころのタイムは11~13分/Mileと非常に遅いタイムになってしまっている。ダイヤモンドヘッドの坂を下るこる、4時間台にゴールできる見込みが見えてきて、少し元気が出てきた。沿道からの「almost there」の応援に励まされたことは言うまでもない。カピオラニ公園の入口に設置された最後の給水を過ぎて、ゴールゲートを伺える一直線に入ったとき、「完走できた」と実感した。ただし、これからゴールのゲートまでの1Km弱が一番長く感じるのは私だけではないはず。


 ゴール地点の公園内も雨のおかげで、ぐちょぐちょの有様。走っているときはアスファルトの上なので水には濡れたが靴は比較的きれいだったが、公園内を歩くことで泥だらけとなってしまった。しかも赤土のため汚れ方は半端ではない。昨年と同様にりんごとクッキーのサービスを受け、腹ごしらえをする。それから、完走Tシャツを受取り一旦はホテルに帰る。

 汗と雨に汚れた体を洗い流し、さっぱりしたところで体を休めていると寝てしまった。再び起き上がったのは3時過ぎ、そんなに空腹でもないので昼御飯は抜きにした。身支度して早い夕食をワイキキのSMORGYへその後Hiltonで洗濯してホテルに帰る。

301スタート前の・・
303ハワイカイあたり
302最後の追い込み
304走り終えて。。
305走り終えて・・
306乗れなかったトロリー

教訓:フィルム型コンパクトカメラを過信して一緒に走ったが、ごらんの通り画質は悪く、ピントも合ってないし、汗と雨でレンズは曇るし、暗いところではほとんどとれていないし使い物にならなかった。次回挑戦時は、程度のいいデジカメを持って行きたいなぁ~

●2007年12月10日(月)

 少し筋肉痛の残る足を引きずりながら完走証明書を受け取りにカピオラニ公園まで行く。昨年は大会の翌日まっすぐ帰国したため2ヶ月遅れくらいで完走証明書を郵送で受け取ったが、今回は直接証明書をいただける。
会場では午前9:00から受け取れる予定のため、会場に9:00過ぎに到着すると、すでに大勢の列が出来上がっていた。昨日の雨の影響がまだ残っていて、所々で大きな水たまりやぐちゃぐちゃの足もとが多く見られごった返している。会場ではおよそ30分の列で、証明書を受け取ることが出来た。

 その後は残る少ない滞在時間を有効に使うべく、観光に専念することをかんがえたが・・・果たして何をすべきかは決めていなくあれこれ考えたがホテル近くまで歩いて帰ってきたが、昨年と同じくダイヤモンドヘッドに向かう事に決め、昼御飯にサンドイッチと水を買い求めハイキング気分で挑んだ。ダイヤモンドヘッドはカピオラニ公園の近くなれどすでにホテル近くまで帰って来たため一般の交通機関を使うことを考え、最もポピュラーな「TheBUS」の利用を考えた。路線図によると2系統のバスが登山道入口まで行くため、目当てのバスを待つこと30分以上。しかして一向に来る気配はなく違う路線のバスばかりが通り過ぎていく。やっとやってきた目当てのバスは満員状態で乗れる余裕はない状態。ここであきらめ、歩くこととを決意し、再びカピオラニ公園を目指す。このあたりで、昼の時刻となり買い求めた昼御飯を公園のベンチで頂くことにした。今日は朝から天気はよく、気温は高いが湿度が低いのか暑さはあまり感じなく気持ちがいい。海岸沿いから吹き上げてくるさわやかな風を受けむしゃむしゃ食事をしていると時折トローリーバスが観光客を乗せて通り過ぎていくさまが見受けられた。計画性がなく、そうだこれに乗ってみようと決め、公園近くのトローリのバスストップで待つ。ここでも20分くらいは待った。何気なく見ていると何台も行きかっているが、いざ乗ろうとするとなかなか来ないものだ。ようやく来たトローリを捕まえ乗車を試みたが、JTB旅行者専用ので、われわれ一般は乗れないことがわかった。他にも有料のトローリがあるとのことだが待ちくたびれたので、結局歩いてダイヤモンドヘッドまで行くことに変更。ハワイの市内観光は自転車があると便利!と思う手元にある地図をよく見ると、昨年歩いたコースの山を左回りに歩いて登山道を目指すよりより、右回りに歩くほうが近いことに気づいた。右回りは、なだらかな坂道に沿って住宅地が点在しアメリカ人の生活を垣間見るにはいい風景であり、観光としては正解だった。

ダイヤモンドヘドはハワイの象徴であるが、高さ232mの小さな山で歩いて登っても1時間もかからないサンダルで行ける山である。外輪山の一番高い所に展望台があり外輪山の中ほどで入山料$1を払い頂上を目指します。ちんけな山ですが訪問者は意外と多く、老若男女いらっしゃいました。下山は、疲れたのでトローリバスにした。基礎知識がなく、はたしてどのロトーリが有料で乗れて、いくらで、どうやって支払うかが分からない。同じくトローリを待っている人に聞く。「BlueLine」のトローリで金額は1人$10、乗車時に運転手に支払うとのこと。結構高い。「TheBUS」であれば$2なのに。トローリの終点はデューティフリーショップ(DFS)。この終点でやっとトローリのシステムがわかった。本当は事前に勉強すべきことだった。

トローリは観光客目当てで、DFSを起点として「Blue」「Red」「Pink」が観光方面別に用意されており買い物に来たついでに市内観光するには便利そう。このほかに各ホテルとショッピングセンタを結ぶ無料のトローリや前出のJTB専用などがある。次に行く時にはおさらいする事としよう。

ハワイでの締めくくりとして明日の朝食とお土産をスーパー「FOOD Pantry」で買い求める。このスーパーはABCより安くて日用品も品ぞろがありよく利用する。ワイキキで一番大きいスーパーといてもそんなにでかくない。
最後の夜はちょっと高めの食事をとTonyRoma'sでリブの盛り合わせをいただき$60.一番高い食事をした。

401ホテル
402道ばたの花
403ワイキキビーチ
404ダイヤモンドヘッド
405ダイヤモンドヘッドに登って

●2007年12月11日(火)

 今日は帰国日である。
 朝、6時起床のモーニングコールで1日が始まり、8時15分の集合時間までに朝食を済ませチェックアウトを済ませ、帰国の準備を行う。
 集合場所に少し早めに着き、時間まで待つことにする。多くの帰国者が三々五々集まってはそれぞれの係の人に連れられて帰って行く。当方の係の人が現れ、 乗り合いのバスに案内される。すでに他で乗り合った先客がバスに乗っており我々数名も乗り込むと別のホテルまでピックアップに向かう。 次のホテル前でしばらく待ち合わせるが、かなかな集まってこなく結局40分近く経ってようやく大勢の人が乗り組んできた。 それぞれの待ち合わせロスがあったが、十分な余裕で集合させられるため、飛行機の搭乗には何ら問題は無い。パック旅行は無駄な行動が多い。。  日本との時差は5時間であり、今日1日(厳密には2日)は24+5で29時間となる。

406帰りの飛行機

●2007年12月12日(水)

ハワイを離陸後、約3時間で日付変更線を通過すると今日は水曜日ってわけ。半袖の生活スタイルから、長袖のセータとコートに着替え元の生活スタイルに戻り 、おしまい。

さいごに

総評として、今年は準備の失敗だった。体作りも、事前知識も反省することは多い。しかし、なんとか来年もチャレンジして4時間を切りたい。ホノルルマラソンは一見ミーハー族の集まりにも思え、たしかにそんな人が多いが、走ることが好きで毎年きている方も多く見受けられる。体力と資金力が続く限り、私の誕生日プレゼントとして毎年参加したいと思う。