あろ~は~4

Hawaii旅行4

はじめに

HM2010  今年も家族から注がれる冷ややかな眼差しを避けるようにホノルルマラソンを決行した。計画を立てる6月頃から少しの迷いはあるが、行かずして後悔するより行動して後悔せよとの信条から毎年参加することになる。
 今年4回目になる。2006年に初参加して、途中2008年は原油価格の高騰で旅費が予想以上の価格となったため断念したがそれ以外は毎年の参加となる。
 さあ、毎年ドタバタのドラマが繰り広げられイベントで、今年はどんなハプニングがあるか楽しみと不安の2010ホノルルの始まりである。
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 今年も昨年同様に一人旅の計画を立案して、6月頃から旅行会社に予約を入れていた。売り出しは8月頃からなので余裕のタイミングであるが毎年頼んでいる旅行会社のメンバーの質によってチケットの取れ方に差があり今年はあまりスムーズな結果ではなかった。例年通り旅行日程と希望価格を事前にメールしていたが、旅行会社からは、パンフレットが送られてきただけだった。しかもその時点から予約の受付をしているので、受け取った側としたらプランを吟味して価格を確認して予約を入れることになり、タイミング的にはチャンセル待ちの状態になる。また、数日後キャンセル待ちから予約が入ったので内容を確認すると当方の予定と日程が違っていることがわかり再度キャンセル待ちに登録するありさま。結果的には10月頃には希望に合った予約をとれることになったが、頼むよ~。
 出発は12月9日(木)、それから6日間の計画で会社は貯まりに貯まった有給休暇を使い計画を立て、2か月前から関係者の頭に叩き込んでいた。昨年はホノルル到着後の翌日が本番で体調を整える暇がなかったことと本番後の滞在期間が長くて時間を持て余したことを反省して、今年は木曜日発で、大会間前3日の余裕を持たせた。本当は大会前2日あれば十分な日程であるが、3日確保したほうが全体の旅費が安いことからそのような計画とした。ただし、大会の翌日は帰国日に当たるのでちょっとせわしいが、値段とのバランスで決めた。総額は23万円。

旅の記録

●2010年12月9日(木)天気は晴


 朝は、いつのもの時間に目が覚めてしまう。数日前から荷物の用意はしていたので、特に今日やることはない。本日のフライトは午後7時の出発で空港には5時30分までに到着すればいいとのことだ、時間がありすぎて処置の方法が思いつかない。自宅からのアクセスを考えると1時ころに出かければ十分間にあうのだが、時間がありすぎるし、もしも、もしものことがあった事を考えてついつい早め早めの行動をしてしまう。
 事前に予約してあった空港バスの出発時間より1時間以上前にバス停に到着してしまい、予約を繰り上げてバスに乗る。結果成田に到着したのは3時前。少なくても出発までは4時間ありそれまでの間、空港内で暇つぶしをすることになる。今回の航空キャリアはDELTA。JALの旅行プランなのにDELTAとは。。今年から羽田空港からもホノルル便が飛ぶようになったが、予想通り成田からの出発。DELTAは第一ターミナルを使うことになり何年ぶりかでやってきた。 第二ターミナルよりややさみしい気がする。
 今年のチェックインはいつもの手順と違っている。通常旅行会社からは、出発当日の案内として00:00までに△△カウンターに来るようにとの指示があるが、今回の案内にそれが無かった。その上、時間までに各自チェックインを済ませ勝手に登場しろとの指示。チェックインするからには、それなりの航空券がいるだろうにとの先入観があったのだがその提供は空港会社からは無い。「どうするんだろう~」その後調べた結果、事前の航空券は事前に配布されなく、パスポートを使って本人確認をしてこれをキー情報に航空券を発券するシステムに変わっていた。確かに、パスポートは必須だし個人を特定するには最も信用がおけるものなのだから理にかなっているが、手ぶらで空港に行く事への抵抗感は残る。さらに、チェックインも自動機が多くなっていて、年寄りはますます肩身の狭い思いをすることになる。これも人件費の削減策であり致し方ない実態と認識する。
 成田空港では、無線LANが無料で使える、、とホームページに載っていたので楽しみにしていたが、実際接続してみると特定ページに限り無料の接続が可能で、その他への接続は有料となっていた。「なぁ~んだ、やっぱり
 だいぶ早いが5時前には出国審査を終え搭乗口前で、待つことにした。過去の経験では手荷物検査と出国審査には結構な時間が掛かっていたが、本日に限ってかスムーズに進んだ。とりわけ出国審査は待ち時間なしで終わってしまった。 搭乗の待ち合わせ場所もそれほどの混みようではなく、比較的閑散としている。何もすることが無いので椅子に座ってジッと時間過ぎるのを待つ。6時30分過ぎに搭乗案内が流れ順序良く搭乗が始まる。飛行機の中はほぼ満員状態であったが、たまたま隣の席は空き席ラッキーであった。飛行機はボーイング747、ジャンボで席は窓側に3人席と中央側に4人席がある。席の確保はあらかじめ自宅から行っていた。その時点でも隣の席は空いていて、同じ列の残り2人席は予約済みだった。その2人は当然ながら日本人で中年の夫婦だった。その夫婦も席が空いていることで結構喜んでいた。今回の航空会社は前述の通りDELTAで、初めての利用になる。JALと比べてみるとだいぶサービスの質が落ちることがわかる。まず、飛行機自体が汚い。掃除が行き届いていないのではなく、機体が古いのかもしれないがなんとなく洗練さにかける。次に感じたのはACの対応が雑である。人種の違いからかとあきらめるが些細なことではるが気になる。その上で食事が質素である。ごくごく簡単な食事に加えて飲み物もビールとワイン以外は有料であること。家を出るときに飲み物は「日本酒」にするつもりにいたのが、ここにきて頼めないことがわかり残念である。代わりにワインを頼む。最後に暇つぶしの道具関係。JALでは最近各席ごとにTVモニターが設置されていて、自分の好みに合わせて少ない選択肢であるが選ぶことが出来ている。これできない。前面の大型プロジェクタのみでしかも画質が大変悪い。ノイズも多く見えづらいのに加えて、配られたヘッドフォンというかイヤフォンが大変質が悪い。聞くに堪えない狭い帯域しか聞こえない。しかも全て英語なので解ろうはずがない。いったんは没頭しようとチャレンジしたがあきらめた。ただ、一つだけよかったのは、海外の航空会社なので日本語での案内は期待していなかったが、合間合間に日本語でのアナウンスをいただき結構便利だった。不幸中の幸いか。出発時間は午後7時の予定だったが、機体が飛び上がる瞬間は7時40分であった事を記憶しておこう。 機内の中は、やたらに寒いと感じた。ほとんど降りる瞬間に気づいたのだが、空調の風が自分の席だけ強くしてあったためで、飛行機に乗っている間ユニクロのダウンジャケットを着ていたのに風邪をひきそうになった。
日付変更線を跨ぎ同じく12月9日。(自分の誕生日がこんなに長くなるとはうれしいものだが、だれも祝ってくれる人がいなので、逆にさみしくなる)ホノルル空港に到着したのは、予定時刻の6時35分を大きく遅れ7時になってた。ホノルル到着の30分前くらいから飛行機がやけに揺れた運行をしていた事を裏付けるように空はドンより曇っていた。これからの日程を物語るように。。。
 ハワイの入国審査はいつも長い列ができる。特に同時にフィリピン航空からのお客とぶつかったいで空港内は長蛇の列が出来上がった。しかも入国者もフィリピンからか、一人一人の対応が長く、列長さは一向に縮まらない。今回の入国審査では、両手10本の指紋と顔写真に加えて適切質問をしている。一人当たり5分以上に及ぶ場合がある。この調子では1時間以上かかるかと心配していたが、掛員も気を利かせて別の列に誘導してくれ便宜を図ってくれた。空港の外では多くの団体客の世話絵をしてくれているスタフもいて、だらだら審査をしていてはその後の日程にも影響するために便宜を図らざるを得ないのだろう。
 空港を出たのは8時を回っていた。ここから団体行動をとる。バスの乗ってコンベンションセンターに向かう。昨年も同じツワーを利用していて、同じ行動である。このセンターの3階に会議室がありここで今回の日程の説明を聞く。説明あとは、お土産の販売となる。工場直販で新鮮で安いが謳い文句。昨年同様ここでお土産を買う。ここまでが団体行動でこれ以降は自由に動ける。
 1階の会場でマラソンの受付を済ませる。受付会場では、同時にEXPOが開始されていて、いろんなグッズ販売やベントを開催している。東京マラソンと比べると大変貧弱で、昨年よりも規模が小さくなった気さえする。 これが終わったのが12時少し前。朝は飛行機の中で軽い食べ物を食べただけなので、腹減ってしかたない。ここからホテルがある中心街へは歩いたら30分くらい掛かると思うが、移動の方法はバスか、トロリーか歩きかになるが、あんなに大勢いた人はどうしているのかと思うほど、さっと消えてしまった。何度か来ているので私は土地勘があるが、初めての人がこんなところで、あとは自由にと言われたらこまるだろうなぁ、と思う。
 今回はトロリーに乗って移動する。10分もしない内に中心地のDFSに到着したので、ここからすぐなので歩くことにした。時間は12時を回り、腹減ったので、ホテルまでの途中でMACを見つけたのでそこで腹ごしらえを済ませ。ホテルに直行。ホテルチェックインの時間は3時とのことが予定だったが、ダメ元でチェックインをしたら何も問題なく出来た。部屋に入るとすでに空港から別送していた荷物も届いていた。
 部屋で、荷物のひもを解き、持参したパソコンを接続し動作状況を確認した。一発で接続できた。一通りの整理を済ませた。時間は3時前でまだ日は高いが、天気はあまりよくなく相変わらずの曇空。  
今回新しい携帯電話を持ってきた。前回までは、アメリカでは使えない携帯電話だったの、電源入れても圏外をい示していたが、今回はちゃんとアンテナが立った。海外で使う設定をして、ついでに自宅にメールをいれておりた。それから身支度を整え近所のスーパーまで買い物出かける。途中で毎回訪れているスーパーでここで3食の食材を買い求める。 ベーグル、ヨーグルト、ハム、ジュース位。円高ではあるが、ここでは物価が結構高い。本当は自転車を借りてもっと安いスーパーを探す予定だが、今日のところはこれくらいにしておく。何処にも寄らず早めにホテルに帰る。 7時ころから時間まだ早いが眠くなってきた。日本との時差は1日遅れの5時間早い時間なので、日本では午後の2時ころ。昨日からほとんど徹夜なのでそろそろ限界。買ってきた食材を食べてすぐに床に入り、眠りこけた。
 ものの価値観について
人にはそれぞれ価値観があり、その代償となる金額の絶対値で高いとか安いとかの判断をしない。またその代償を払って手にいれるか入れないかの判断は個人差がある。上述した無線LAN回線に関しては一日の有料使用料は\500である。さて、これは高いか安いか、はたして貴方だったら支払するか?条件としては、暇な時間が2時間以上あり、当然パソコンを持っている。\500は一般にはサラリーマンの昼食代と同じである。平常時であれば、考えるでもなく即不要と判断する。しかし、飛行機出発するまでの2時間もの間、何もすることが無い状態である。そして先ほどのどが渇いたのでマクドナルドで\230のホットコーヒーを何のためらいもなく買ってきたところである。やっぱり、\500出すのが一般的判断だろう。生まれて以来ものに対する価値観とサービスに対する価値観と大きくずれている。手にできるもの口に入れられるものに対しては、抵抗なく代償を支払うことできる。良い例として、レコードやCD対しては買うことができるが、ネット配信のようにダウンロードして実態がハードディスクの中に納まってしまう場合、買う気持ちを決断するまでに一定の時間が必要になる。また、ダウンロードしても絶対にCDにバックアップをとっている。

●2010年12月10日(金)天気は雨

 朝、いったん目が覚めたのは午前4時。まだ外は暗いが、外からの音が気になって飛び起きた。雨である。昨日の曇り空からの雨で、結構な量が降っている。南国系の雨はぱっと降ってぱっと上がるといわれるが、今回の雨は日本の梅雨みたいにしっかりと降り続いている。この空を見た瞬間に、眠気が襲ってきた。もう一度床に入る。相当疲れていたのかここからウトウトの覚醒と眠りとが交互に入れ替わる時間4時間ばかり続けた。とても気落ちよかった。8時を回ったが相変わらず雨は降り続けている。 部屋で寝続けているのも勿体ないので、昨日入り忘れたシャワーを浴び、 朝ご飯を食べ、まずは出かける。といっても雨が降っているので傘を持って出かけたが、どこに行く予定もなく、街をぶらぶらするだけ。トロリーに乗って出かけてもいいが、雨が降っているのでは面白さは半減以下。掛のおじちゃんが進めてくれたけど、わざわざ22ドルの高い金を出してまで乗る気になれない。昼過ぎまで時間をつぶしたが、それ以上やることもなくなったので、ホテルに帰り遅い昼食をいただく。 2時過ぎころから雨は止んできた。このまま明日は良い天気でいてくれるように願いたい。

●2010年12月11日(土)天気は晴


 朝は4時に起きた。日本時間では午後11:00に当るので目覚めが悪い。急いで外の天気を伺うと期待に外れ雨が降っていた。ここで心がつぶれる。が、そうしていても仕方ないので、時差にも慣れる目的もありまずは体を動かすことにする。昨日からたまっている洗濯をするためにコインランドリーを探す。1階にあったが1回の値段が2.5ドルであったが、そんなに貯まってもいないのでいないので自分ですることにして、時間つぶしに散歩をする。少し雨の降る早朝の街を歩く。歩きながらわかったが西の空が明るいことが解った。天気は西から変わってくるので心ウキウキで散歩を終えホテルに帰ってくる。かえって早速洗濯をして思い切って外に干す。このころになると日差しが出てきて明るくなってきた。こっちに来て初めてのいい天気でハワイらしくなってきた。こうなってくると落ち着いていられない。予定では走った後の着替えをゴールのカピオラニ公園に届ける必要があるので、タオルと着替えのTシャツと昨日DoCoMoでもらったビーチサンダルを入れた袋を片手に出かける。
 ここで、明日の準備状況を確認した。毎年であるがここに来ると心がわくわくする。まだ十分に準備を終えていないがフィニッシュゲートはもう出来上がっていて多くの人が記念撮影を行っている。「明日、完走できるかなぁ」といつも思ってしまう。いまはご覧の通りの天気も回復してきた。地面はまだ濡れているがこのままなら、きれいに乾いているだろう。明日晴れなら。ここからまだ時間が十分あるので、もともと予定していた自転車を借りて観光をすことにした。昨年もレンタサイクルを借りたが、途中でパンクしたことで痛い目にあったので、十分に気を付けて乗ることにする。
 最初に訪れたのは、ハワイ州政府庁。大きな特異な建物で実際使っているのか不思議に思う。そしてその隣がイオラニ宮殿。カラカウア王の宮殿とのこと。さらにその隣にカメカメハ大王の像を発見。よく写真で見るが実物を見たのは初めて。どれも歴史を感じるが、そもそもハワイの歴史をよく知らないでいるので、あまり実感がわかない。カメカメハは、悟空のカメカメ波しか知らない。書物によると、ハワイ王国の初代王がカメハメハで以降2世、3世と続く。。1893年に当時のハワイ女王が白人に攻めいれられイオラニ宮殿で降伏しアメリカになった。1920年以降は軍需景気とともに発展していったとの歴史である。
 ここからは道なりに沿ってなんとなく西を目指した。本当はこの木何の木がある公園に行こうかと考えていたが、自転車ではっちょっとと思い直して途中で引き返し山側の道にハンドルを取ったところ、「ビショップ博物館」ってのが目に入ってきた。持参していたガイドブックではハワイでは最大の博物館とあるので、時間つぶしに寄ってみることにした。小高い丘の上に建っていて、古そうな佇まいの様相を呈していた。後で聞いたら溶岩で作られているとのことであった。入り口で入場料を取られる。17ドルとちょっとの金額。決して安くない金額である。金額から期待して中に入ると、10人ばかりの日本人がいた。丁度いい時間らしく、日本語の説明が始まったところだった。説明者はお年のいった婦人で、2世かそこらの日本語ができるハワイ在住の人って感じである。既に説明は始まっていて、カメハメハ大王や2世、3世のことを事細かく説明していたようだ。一緒に話を聞いていた日本人の中には小学生か幼稚園の子供がいたのだが、話がつまらないので説明をしている場所を走り回っていた。両親はウンウンと頷きながら聞いている風だった。遅れてきた私を向かい入れてくれてたので、頷きに加わることにしたが、話がとってもつまらない。話し方が下手なのか、話していつ内容が詰まらなあいのか、、いや両方である。救いようがない。10分ほど頷いていたが、私もそこらじゅうを走りたくなってきて、説明をよそに博物館の中を勝手に歩き回った。ここの博物館はハワイの歴史とポロネシアの歴史を紹介している。今回知ったのだが、ポリネシアとは、ハワイとどの他の太平洋の島々を言うようで、広い太平洋で、航海技術もない島々の原住民同士の言葉や道具など同じものを使っている事実がある。 博物館の一角にプラレタニュームも設置してあり、ここで説明があったのからすると、広い太平洋の小さな島々の文化交流には、人々は星の位置を頼りにそれぞれの島を行き来したことが考えられるとの説明とともに、星の説明をしていただいた。なるほど、と納得する。
 ここを出たのは12時を回っていた。いくらなんでも腹が減った。明日のマラソンの考えて、炭水化物を採ることに心がけ、自転車を走らせながら見つけたパン屋に入る。「サンジェルマン」。日本にもお店はあり店内のシステムも同様にトレーとトングが入り口にあり自分で気に入ったパンをトレーにとる方法。腹が減っているので、ついつい買ってしまう。しかも甘そうなのを。3つ買って5ドル程度。これを持って再び自転車にまたがる。パンは途中の川沿いのベンチで3つとも食べた。ちょっと甘かったなぁ。
 時間は3時前。このままでホテルに帰ればよかったが、昨日と一昨日の天気が悪いことの反発で、もう少し観光がしたくなり、ガイドブックを頼りに目的地を探す。やや近所にたんタラスの丘を見つけた。ハワイが一望できるとの説明付きで行ってみたくなった。(本当はやめとけばよかったのに、、)タンタラスの丘は、ビショップ博物館からそんなに遠くはないが、名前が「丘」だから、坂道があるだろうに。坂道は結構な距離と勾配を持っていて、自転車ライダーをいじめる。ここまで来たのに途中で帰るの納得がいかな頑固爺を結構な高さまで誘ってくれたが、両足の太ももが痛くなり汗がしたたり落ちるのを見て、一瞬我に返った自転車ライダーは、明日の事を思いだし、途中で引き返す勇気を出すことができた。「まったく、何ためにココに来たのか。。」
 強い反省の気持ちを抱えて、ホテルに帰った。あすは、本番で準備もあるし、早く寝る必要もあるし、いろいろ忙しはずなのに。。。今回のツワーで用意してくれた明日の朝食を受け取りに近くのホテルまで行って、今日の夕ご飯にカップヌードゥルをABCで買い求める。今回初めてのABCである。あとはわき目も振れずにテルに帰る。
明日の支度をして、今日は早く寝る。時間は8時。日本時時間では午後の5時。実際なかなか寝付けない。ちょっと寝たと思うとすぐ眼が覚め2時間ごとに起きていた。途中の喉が渇いて水分補給をする。マラソンの前日は体が脱水しないようにお酒は避けることが一般的らしいが、先ほどのタンタラスの運動でしっかり汗をかいたのでビールを2缶飲んでいた。これがいけなかった。床について、これまた反省の呪文を唱えながら寝ることになった。もう一度「まったく、何ためにココに来たのか。。」 明日の起床時間は午前2時30分だ。

●2010年12月12日(日)天気は晴

 本番当日を迎えた。時間通りの起床時間で飛び起き、いの一番に天気をうかがう。昨日のTVでは、曇で雨に降る確率は40%だった。2007年には大雨に遭遇して大変だったが、またその再来かと考えると憂鬱であったが、まだ暗い空であるが、雨は降っていない。「よし」と、膝を叩いて、朝食を食べ、身支度を行う。予定時間の3時30分に戦場にむけて出かけた。街中は大勢の人あふれていた。向かう先はみんな同じアラモアナである。歩いている人は10人中8人は日本人。はしゃぐ人静かに歩く人それぞれだが、一様に楽しそうである。アラモアナの前に大勢の人が集まっていて、思い思いの格好で時間を待っていた。
 列のだいぶ先頭に行くと完走予想時間毎に区分けがしてあり、3~4時間のところに陣取る。スタートゲートからは概ね500m程度か、肉眼でもゲートがしっかり見える。一緒に列まっている人の姿を見ているうちに時間が迫ってきて、5分前には車椅子の選手が出発する。午前5時になると花火が打ち上げられマラソンのスタートとなる。
 さあ、本番の始まりだ。1年間待っていたわけで、昨日までに反省は反省として成果を出すことに専念しよう。走りだしは、ゆっくりペースで全体が動いているので、それに合わせて流れていく。結構調子がいい。昨年と同様の場所に高橋直子が応援に来ていた。昨年は走りすぎた後で気づいたが、今回ははっきりわかり写真に収めることができた。この調子でハーフまで到達したとき、時間は1時間50分程度に驚く。ちょっとペースが遅すぎる。このままでは、夢だった3時間30分は出せない。あきらめるしかない。ただし、ぺースは落とさずにこのままで走り続ける。ハワイカイの折り返し頃で、体の異常を気づく。両足の太ももが痛くなってきた。ふつうであれば、膝が痛くなり脹脛(ふくらはぎ)が痛くなるのがパターンが違う。反省としては、昨日のタンタラスか。一度立ち止まってリセットするとなんとなく走れるようになった。 ハワイカイを過ぎてハイウエイに戻る頃にはもう一度、太ももが痛くなってきた。今度はリセットしてっもあまり効果はなく、痛い足のまま走り続けることになる。距離的には30Km地点を過ぎているのでもう少しなんだけど、走るぺース/が遅くなってきている。3時間30分はダメでもせめて4時間きりならできるはずと考えていたが、これもままならないようになってきた。給水ごとに足を休めていたが、ペースは落ちるばかり、最後のトドメでダイヤモンドヘッドの上り坂で、少し足の力の入れ方を違えると、足がつりそうになったが、なんとか持ちこたえた。このことから、それ以降の走りもさらにペース落ちた。最後のゴール直前の1kmは歩く程度のゆっくりさで、ゴールもやっとのことでたどり着いた。おかげで、ゴールで解説している人に名前を呼んでいただいた。
 ゴールしたとも大変だった。ゆっくり歩いている分には何とかなるが、少し段差があったりすると足がつりそうになる。ツワーで出していただく、うどんやアイスをいただいたが、それを持って休憩所に座りたくても足をまげようとすると足がツリそうになる。しばらく立ったままでゆっくりストレッチをしようとすると逝きそうになる。時間が解決してくれるだろうと、休憩所には30分近くいて何とか痙攣はなくなり元の体に回復した。

痙攣(けいれん)
痙攣の原因はなんだろうと調べてみた。練習不足によるもの、水分不足、塩分不足などがあり、昨日ン飲みすぎもその影響かと反省する。また、生活環境が変わったことで栄養のバランスも影響しているかも知れない。今年と昨年は天気が良くて汗をかく割には、トイレに行きたくないので水分をあまりとらなかった事が原因のようなきがする。昨年のホノルルも今年のホノルルも痙攣して痛い目にあった。ほかのマラソンでは経験がない。いちどつくばマラソンで痙攣しかけたが持ち直した経験がある。

●2010年12月13日(月)


 朝8時35分の飛行機の予定のため、ホテルを5時40分にチェックアウトして空港へのバス発着所に急ぐ。本当は40分までには集合するように言われていたが、どうせ遅れてくる人もいるしと想定してゆっくりしていたので時間が足らなくなった。行ってみるとすでに多くの人が来ていて私が最後のようだった。ただ、まだバスはきていないので罪悪感あはない。程なくするとバスがやってき我々を空港に運んでくれた。空港内は特に日本人が多ツワー客だけが混雑していた。チェックと荷物検査と箇所でそれぞ30分~1時間程度の待ち合わせをする位の混雑ぶり。特にイラついたのは、荷物検査の列でのこと。長い列と並行に、ほとんど人の並んでいない「GOLD LANE」の入り口がある。ここは当然であるが、我々エコノミークラス平民ではなく、少お金を出したクラス専用の入り口であり、はたから見ればとってもうらやましい限りである。それに対して、後ろに並んでいた夫婦が、何度も何度も言う。「なんであの列は人がいないんだ?ああやってあとから来たのにあの列に入るとすぐ割り込めてしまう。係の人は何やってんだ?我々は1時間も待っているのに割込ましちゃいかなんだ。。」これを何度となく不満をぶつけている。だったらお前が割り込めばいいだろう!お前ら平民は待つしかないんだ!
 5時35分にホテルを出て、搭乗口で一息ついたのは7時35分ころ。2時間も掛かってしまった。搭乗口でまたしばらく待たされることになる。出発する飛行機の順位が遅れていることで結局登場できたのは9時を回っていて、飛行機が飛び立ったのは予定より1時間遅れの9時30分を過ぎた時間であった。
 帰りの飛行機は行きのより多少きれいな機体であったが設備は変わらずやや画質の悪いスクリーンが正面にあるだけであった。ただ、非常に苦痛だったのは、機内のスピーカーの調子が悪く四六時中いやな高音の雑音が機内に鳴り響いていたことだ。飛行金の中は、空調の音とエンジンの音で結構うるさく感じるがそれましてヒステリーが起きそうな雑音に逃げたくなった。今年国際線の飛行機に乗るのは初めてであるが、前面のスクリーンでは、現在の時間や外気温到着の時間などが定期的に映し出されている。昨年までは、英語と日本語のが交互に表示されていたが、今回のにはこれに加えて中国語が加わっている。中国のパワーを感じる。ちなみに中国語で、マイルのことを「英理」と書きキロメートルのことを「公理」と書くことが分かった。
飛行機が飛び立って1時間半、大気の不安定から飲み物や食事のサービスが開始されていない、たまたま持っていたアンアンを食べたことで空腹感は治まったがそろそとサービスを始めないと到着してしまう(?)よ。ベルトサインはまだ点灯されたままだけど、ACも我慢できなくなったのかサービスの準備に取り掛かりはじめた。
 飛行機は移動させることが基本機能なれど、ACの機内サービスも重要な仕事になっている。そのため、気流が悪い場合は、機長の役割として高度の調整をして気流の安定したところを飛行することが常となっている。しかし、高度をかげるとは、結局燃料を使うことになり、LCC台頭のこの時代に費用抑制が命題になっているのかもしれないので、気流が悪いまま長い間飛び続けることもあるかと思う。
飛行機に搭乗してすぐのアナウンスで、ビールとワインと日本酒はタダだと言われたので、「サケ」お頼んだあらタダじゃないよとの返事あり。どっちがうそつきだぁ?
 今回DELTAに乗った感想。行きも帰りも満足しなかった。経費削減でいろいろなサービスの質が落ちることは気にならないが直接的な対応はJALの方がまだ丁寧だと感じるし、そうあって欲しい。特に税金をつぎ込んで立ち直ろうとしているのならなおさらである。

●2010年12月14日(火)

日付変更線を跨ぎ成田に向かう。絶対時間は同じであるが往路は一日の得で、復路は一日の損と感じる。無事到着した成田空港は生憎に雨であった。振り返って考えるとホノルルでの天気予報予報程いい加減な内容はなかった。立つ前に見た天気予報では、東京は天気が良いような予報であったし、さかのぼってみても到着の日から本番まで雨の予報だったが結局雨が降ったのは金曜日だけでその他はいい天気であった。日本との国柄なのかハワイには天気予報士がいないのかいい加減に感じる。
年々、チャラ男とチャラ子が増えるホノルルマラソン。今回で4回目になり振り返ってみると、ホノルルの地は別として、最初だけは満足した走りであった。2回目は膝を怪我をして薬を飲みながらの参加であったし、3回目も途中でエネルギーキレの失速で無念であったし今回も中盤から太ももの痛みで走れなくなった。結構な投資にはなるがもう一度参加して何とか納得する走りをしたと思う。来年は、在籍の会社での最後の年になり出来きることなら総仕上げをしてみたい。

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