あろ~は~3
Hawaii旅行3
はじめに
今回で3度目のホノルルマラソンになる。2008年は石油価格の高騰からホノルル行きを断念した事もあり2年待ちつづけたチャンスになる。2007年は体調作りを失敗し、ひざの痛みを抱えたままの不安な旅立ちで、あわせて南国特有のシャワー(豪雨)の中の走りでタイム計測機器も不調で踏んだりけったりの結末でタイムも想定したよりよくない結果となった。いろんな思いを背負い、2009年のホノルルが始まった。
今年の旅行は、一人旅になると考えていたので何とか安上がりの方法を探していた。ツアーに申し込むのが量の力で安くはなると思うが、安いホテルと安い航空会社の選択で全般的に安く仕上がらないかと模索していた。掘り下げがまだ十分に出来なく、結局例年通りのツーリスト会社に頼んで旅行パックを契約することにした。毎年何とか安くできないかと調査をするが、飛びぬけて安いとの事は聞こえてこない。この時期なので各旅行会社が飛行機とホテルを買いまくっているんで、激安は出回らないのであろう。仕方ないかもしれない。
今回のホノルルは独りぼっちの旅。旅行の計画を立てる中で何人かの友人を誘ってはみたが、誰ものってこないし、過去にいっしょにいった息子ももういいらしい。しかたなく決めた独りぼっちの旅行となる。いままで、会社の出張でも独りぼっちの旅行は経験が少ない。ただ、先行きの不安はまったくない。同行者に遠慮しながら旅行することを思えば気楽なもんだ。
出発は12月12日(土)、それから5日間の計画で会社は3日の休暇を半月前から取得済み。回りも口ではいろいろいう人もいるが、否定的な人もいなく円満旅行だ、、と自分では信じている。12日の出発で同日12日の早朝にホノルルに到着し、翌日の本番を迎える。翌日は休みとなり完走証の受け取りとお土産を買うことで費やされてしまうため、そんなにゆっくりはできない。滞在最終日は朝から帰る準備に終われ飛行機で日付変更線を過ぎ水曜日の夕刻に帰国。翌日から通常どおりの会社生活に戻る。まあ、せわしないひとときに金26万円の出費となる。高い誕生日プレゼントではあるが、続けたいと思う。
旅の記録
●2009年12月12日(土)
昨日は、強い雨と寒さの天候であったが早朝には雨もあがり薄日のさすまでに回復し、お昼過ぎには小春日よりで気温も12月とは思えないほど上昇するまでになった。今週も会社では夜の会議があったり雨が振ったりで、1度しか走ることができずにいたので、たまらず早朝身軽な格好で近所を走った。今までは本番を前にして走ることはしていなかったが、体を馴らすために軽く走るようにしている。約8Kmの距離を45分間のペースで走りつづけいい汗をかく
その後、1時間ほどかかって荷物をトランクに詰める。何を詰めるかいろいろ考えすぎるのでついつい多くの荷物になってしまう。1人5日の旅行で高さ1mばかりのトランクがいっぱいになる。トランクの中には、スポーツドリンク2本、走っているときのエネルギー補給にとSOYJOYが数本、それにバームクーヘン、チョコレート、、、など食べ物が幅を利かせている。現地でも売っているのに日本が安いのでと詰めてしまう。旅行日程は、往復の移動時間を差し引けば、実質3日間。そのうち初日は到着日で、ナンバーの交換やなにやらでつぶれ、中1日がマラソン大会にあたる。従い自由時間は1日だけなのに、アレコレ持っていこうとする。会社も休んでいるのでパソコンも持っていている。仕事する時間やネットワークの環境もわからないままの行動でノー天気かもしれない。あれこれ考えながら荷物をかばんに詰め込みながら、ホノルルの暑い日差しを思い出してきた。
お昼過ぎに自宅を出れば成田には4時前には着くと、前夜調べた時刻表に倣い、これも性分かもしれないが少し早めに出かけてしまう。早めはやめの行動はメリットデメリットがある。当然どこかで時間を費やさないといけなくなるのでこれがデメリットであるが、ゆとりを持った行動ができることと電車の始発駅では一本電車を見送れば座っていけるメリットも享受できる。土曜日の昼時なのでそんな苦労をしなくても電車内はすいてはいたが。。
いままで、自宅から成田まではJRの成田Expressをつかっていたが、あまり時間は変わらなくなおかつ値段も半額以下の京成での移動が良いとわかり、会社への定期を有効活用し三田から京成に乗り換えとした。早めの行動をであるので時間に余裕もあり各駅で青砥に出て、ここから特急にのりかえる。青砥からは終点の成田空港まで約1時間で道のり、そんなに大変な乗り換えではないが、帰国は平日の午後であり、同じルートで帰るのはちょっと辛そうと思う。
チェーンロックを今回の旅で持参した。大きな荷物を持っているので、トイレにいくにもこれをガリガリ引きながらでは大変だし、たとえば電車で運よく座れたときにも荷物を手すりに結び付けておけば、電車の揺れで倒れたりすることもなく、防犯にも気にしなくて居眠りもできる。重宝する。
成田空港はさほど混み合っていなくスムーズな手続きが行えた。特に航空機のチェックインはあらかじめ自宅のパソコンから行え、席の指定もビジュアルな画面から容易に行えるようになっている。そのため、チェックインカウンターでは、端末機から搭乗券の発券を行い後は荷物を預けるだけ。パソコンと貴重品は肩掛けのバックに入れ、それ以外はトランクに入れ荷物として預けた。省人化と効率化が進んでいる。時間的には少し早いがやることもないので出国審査を受けて搭乗口に前で待つことに。荷物検査は、当然であるがそんなに省人化はできないし、人の列は伸びていたがそれでもイライラ感はなかった。最近のニュースで国内線で搭乗時間を短縮するために機内に持ちこむ事のできる荷物の制約が厳しくなった事が流されていたが、国際線にはまだ制約の厳しさはないようだ。ちょうど前に並んでいる東洋人らしき人は、男が大きな電気がまと自分の荷物、女が手下げの袋を持っていてチラ見しただけでもSONYのハンディーカムが4台伺えた。おそらくその袋にはその2倍の何かが入っている模様。決して個人で買う量ではない。こんなやつがいるから飛行機の中が混雑するんだ、、と心で訴えた。
搭乗口はシャトルで渡った「GATE96」。とても狭い待合室で全員がここに集結すると混雑極まりない狭さ。ひとまず、ここで待つことにする。マラソンに出る人もチラホラ見受けられる。。
搭乗は定刻どおり6時45分に開始されたが、空港が混んでいたため実際に離陸したのは1時間程度遅れであった。その間、滑走路の脇で延々と待たされてしまう。搭乗時間が中途半端で、搭乗前に夕食を採るか悩んだが何も食べずに席に着いていた上に離陸も遅れたので結構空腹であった。食事は午後8時ころに運ばれてきたが、ボリューム的には夜食といった感じで簡単な内容にちょっとがっかり。ただ、量的にはちょうどよかったのだろう。さらに朝食用にとベーグルと水も配られた。全体的に簡素な食事だった。それにしては包装類が丁寧で後から何かに使えるような袋になっており、ここらあたりがJALといた感じ。(こんなところは節約しろや)
釣りバカ日誌9を見ながら、日本時間で午前1時、現地時時間で前日の午前6時まで3時間程度の睡眠を採る。長い間座っているので、お尻が痛くなり十分に眠る事ができなかった。あわせて、機内の温度も徐々に上がってきていた事で目が覚め、着ていた服を一枚脱いで半袖姿になる。
現地時間で6時半を回ってくるころから空が白んできて、オレンジ色の空がきれいに窓から見える。全般を通じて揺れも少なく快適な行程であった。飛行機は徐々に高度を落としているのが機内にいてもわかるくらいで、そろそろの到着を感じさせてくれた。地面に叩きつけるようなひどい着陸で、一瞬ひやっとした気分になったが、無事着陸した。
イミグレーションを通り荷物を受け取り外に出たのは7:30頃。外はまだ早朝の雰囲気で、旅行客以外は人はまばらである。団体の出口から出ると係りの人から案内され、全員がそろうまで待ち合わせする。これがとてもイライラする。ハワイに着いてすぐそこに目的地があるのに、犬のお預けの感である。よだれを出しながら、「ヨシ」を待っている気分だ。空港で預けた荷物は直接ホテルまで届けてもらえるので、身軽な格好でバスにのりゼッケンの受け取り場所であるコンベンションセンタまでつれていってもらえる。
バスは30人程度のツアー客を乗せて到着したコンベンションセンターでは、2Fの会議室に案内され今回のツアーの説明やゼッケンのピックアップまで説明をしてくれる。説明にはお土産の世話まで含まれているので、手取り足取りかもしれないけど、はじめてくる人には親切だと思う反面、勝手がわかっている人には面倒くさい。お土産は工場から仕入れるので新鮮で安いとの事、さらには空港まで届けてくれるので、ここで買い込む。114ドル。これでお土産は終わりだ。
ゼッケンをピックアップして、ついでにTシャツを2枚買いそのうち1枚を着て走るつもりだ。本日やることはこれだけで、それ以外は特に予定はない。時間は10時前でまだ早い。朝ご飯はまだ食べていないの適当なところを探す。ちゃんとしたところは高そうな上、勝手がわからない店は入るのに躊躇する。MACがあったが結構満員気味。コンベンションセンターから歩きつづけ、ホテルの前までやってきた。それでもいいところがない。さらに歩いて、以前に食べたことのあるFOODコートに入り、SUBWAYのサンドイッチとコーヒーを注文する。7.1ドル(高い!)。まだ時間は10時。これからホテルのチェックイン可能な3時まで5時間ある。本当は着替えて走りたい気分だが、肩にさげたカバンが重くてそうもいかない。歩きつかれてプリンスホテルに潜りこむ。ここでちょっと休憩をする。毎年このホテルにやってくる。ここの地下にはコインランドリーがあるので過去2回の訪問でつかっている。ただ、ここも早々長居はできず当てもなく歩き回ることに。
ハワイでの3日間をどのように割り当てるかが、課題である。今回のように到着日の翌日を本番にして、走り終えた後に1日置く方法と到着日の翌日に1日置いたあと本番を迎えその翌日には帰国する2つの選択肢がある。今回のパターンでは、完走証が現地で入手出来ることがメリットであるが、移動の翌日に走ることで体へのインパクトが気になる。
今回のツアーはJTBのパック旅行なので、トロリーが無料で使える。見ていると結構な本数が絶え間なく走っているのでこれにのって時間をつぶそうと考え、トロリー乗り場まで行ってみると、さっきまで絶え間なく走っていたトロリーがパタっと来なくなった。待つこと10分くらい(もう少し短いかもしれないが)であきらめてまた歩き始めた。とたん振り返るとトロリーがきている。バカにして。歩きついでに、アラモアナショッピングセンターに行く。考えると昼ご飯を食べていないので、昼食を採る事も良いかと思う。ショッピングセンタまでは、20分くらいの時間が掛りたどり着いてみると時間は12時前で大勢の人が列をなしているのを見て、急に食欲がなくなった。もう一度外に出て、トロリーを待つ。今度はすぐに着たので乗る。運転手が「どこへ行く?」と聞いてくるが行く当てがないので、前の人の言っていた「アロハタワー」というと乗れとあごで招いた。そもそもアロハタワーとは何でどこにあるのか知らないので、興味もあった。トロリーは10人程度を乗せて、いろんな停車場に止まりながらアロハタワーに着いた。そこは、ワイキキの西側にあり大きな旅客船がとまる港のようなところに、20mくらいのタワーがたっていて周囲にはおみやげ物や服屋などが軒を並べたショッピングセンタの様になっている。これがなんだ?なにが面白いんだ?と自問しても答えはない。つまらないので帰ることにした。
時間は12時過ぎ。トロリーの停車場はショッピングセンターの前、もうすでに多く人が備え付けのベンチに列を作って座っている。うんざり気味で立って待つことにする。。威勢よく笛を鳴らし交通整理をするガードマンの車捌きを見ながらトロリーを待つ。このガードマンはトロリーの停車場に一般の車が人の乗り降りなどでちょっとでも車をとめ様ものなら、「ピッピッピッピー」と甲高い笛を鳴らし追い払う。とても面白い。この光景は何度となく見せられる。観光地なのでいろんな車がやってきては人をおろしたりする。そのたびに「ピッピッピッピー」が鳴り響く。こんな繰り返しを見つづけていてもトロリーはやってもない。いいかげんなダイヤだ。停車場には係りのおばさんがいて、10分おきにやってくると言うものの行きうにやってこない。明日の事を考えると体の疲れが残らないか心配であるが、どうしようもない。30分くらいしてトロリーはやってきた。待っていた人はなだれこむ様にトロリーに乗る。
トロリーに乗って各停車場にとまりながら、ホテルのある場所まで移動した。時間は2時を回っていた。ホテルのチェックインは3時間からなのだがダメ元でチェックイン出来ないか聞いてみる。あっけなくOKが出たのでそのまま部屋に入る。部屋には空港で預けた荷物も着ていた。肩にかけたPCの入った重いカバンをベッドの上に降ろし一息つく。本当に疲れた。それに飛行機であまり寝ていないので眠い。ただ、ここで寝てしまうと夜が寝られなくなるので、我慢だ。これからやることは、5時までに明日走った後の着替えをカピオラニ公園まで持っていくことと6時30分までに明日の朝食を取りに行く事、それに夕ご飯を食べること。これが終れば寝られる。
これをする前に、荷物の整理がある。トランク中身をだし、クローゼットと洗面台に出した。ついでにPCの接続を試みる。せっかく持ってきたのにつながらなかったら。。とおそるおそる試みるがちょっと難はあったが接続することができた。ここまで午後の4時を迎えていた。5時の着替え出しをいそぐ。
カピオラニ公園までは、軽く走って15分程度の距離。すでに会場の準備は進んでいて、テントの準備や飲み物も運び込まれていた。準備風景を写真に収めた後でホテルにかえる。途中に食べ放題のレストラン「SMORGY」があり、営業中なら早い夕食を食べることしたいが、まだ5時前であいていなかったのでそのままホテルに帰る。ホテルに着く頃には5時20分位になっていたので、明日の朝食を取りにDFSギャラリアまで向かう。大勢の人が同じく朝食を取りに来ている。この朝食で、食中毒を起こしたりすると大きな問題になるだろうと思いながら受け取る。その後再度食べ放題に行ってみたら営業中で12ドルを払い30分間いて、チャーハン、焼きそば、スパゲティ、魚のフライと肉系は避け腹満腹で引き上げた。このお店は、決して安くないが言葉が不自由な我々にとっては便利なところだ。最初にホノルルに来たときから毎回利用させてもらっている。
さて、寝ることにする。時刻は8時。翌朝は3時起きと決めたので7時間の睡眠時間が得られる。日本から持参した眼ざまし時計は電波時計なため、ここでのセットができない事がわかる。それにアラームが鳴るのかも心配になたが、とりあえず時差を計算して夜の11時にセットした。ただちょっと不安で、ホテルのモーニングコールもセットして就寝する事に。なかなか寝つけない。また遅刻することが心配でうつらうつらの睡眠となった。日中疲れるほど歩き回ったので、疲れを取らないといけないと思えば思うほど、頭がさえる。
●2009年12月13日(日)
朝(3時)にはモーニングコールの電話で起こされる。それ以外の眼ざましはまだ寝ている。
起きてすぐ、食事と水分補給をする。身支度を終え、4時前にはホテルを出て、スタート地点のアラモアナに急ぐ。アップをかねて軽く走りながら向かうが片道4KM?位の道のりで汗をかいてきた。途中走っている人はほとんどいなく、「みんなアップはどうしているのだろうと考えさせられた」気温は予想以上に高い。後の報道では、2年ぶりの高天気に恵まれたとの事でった。15分位でスタート地点に着く。もうすでに多く人が集まっていて会場はごった返していた。半分以上が日本人だろうか、日本と勘違いするほどの多さだ。お互いに写真と取りあう人たち、入念にストレッチする人たち、スタートまでの時間をめいめいがすごしている。会場では早朝にもかかわらずボリュームをあげた女性と男性のアナウンサーのかけあいが流されていた。このあたりにすんでいる人には申し訳内。今年で39回を迎えるこの大会も毎年のことなのであきらめているかもしれないが。例年、カメラマンが出発を前にした人をバチバチ撮っているのだが今年はその姿をみない。
会場に着いて、ストレッチを行いスタート時間を待つ。スタート位置は日本と同じく自分のタイムを元に早く走る人から順に並ぶ事になっているが、ここではあまり正直に並ぶと大変な目に合う。全体的にコ-スは広い道路だが、ダイヤモンドヘッドの脇を通る坂道はもっとも狭く、遅く走っているとこの道が混んでほとんど歩く状態になってしまうことだ。今回は2~3時間の場所に並ぶが、こんなところでも写真を撮りあうキャピキャピの女性が多くいる。「お前はもっと後ろだろうが」とも思うが、自分もそうなので無視する。そうこうしているうちに、スタート時間の5時が間近になると場内アナウンスも熱気を帯びてきた。ただ面白いことに、スタート時間になるとアナウンスは完全にとまる。そして、まさにその時間になると大きな花火が続けざまに打ち上げられ、スタート時間を告げる。これにあわせて列全体が動き出す。とても面白い光景だ。この風景を何度か写真に収め様と試みるが失敗している。今年は、写真ではなくムービーで撮影することにする。スタート時間の緊張と花火の音と映像の興奮が収められていれば良いが。■ムービー(重い)■
コースは、アラモアナから東に向かい昨日行ったアロハタワーの前を通り再びアラモアナの前に戻ってきてそれからダイヤモンドヘッドの下を通りハワイカイで折り返しカピオラニ公園に戻ってくるコース。スタート直後から前方で歩いている人がいて走る人の邪魔をする。まったくのマナー違反だ。これをよけながら前に向かう。道幅は広くて走りやすい。人との接触もほとんどない。コース中晩のハワイカイ手前までは、いくら走っても疲れない。とても良い調子だ。前を走っている人を目標に着いていけばいいので、ペース作りも楽だ。カピオラニからハワイカイまでは、金さんを知っているという夫婦に付いていった。この2人は5分くらいのペースで走っていて、自分のペースより少し早い感じだが、これくらいで引っ張ってくれたほうが走りやすい。このまま付いていければ良いタイムが出るだろうと思いながら走る。初回の時は、ダイヤモンドヘッドで朝日を迎えたが、今回はハワイカイあたりでの日の出でありだいぶ成長した。
しかし、ハワイカイカイを過ぎる頃から、疲れが出始めた。例の夫婦から少しずつ離されていくのがわかる。何とか追いつこうとペースをあげるが追いつかない。そのうち見えなくなってくる。そしてとうとう歩く様になってきた。一度歩き始めると走りつづけられなくなる。このままでは、惨めな結果になると奮起一転、力を出して走り始める。タイミング良く、バニーガールの格好をした女性二人に追い抜かれる。これは絶好の目標と彼女らの後を追うことにした。彼女らは結構なペースで走っていながら、回りの人の声援に笑顔で答えるほどの余裕がある。4~5Kmほどいっしょに走っただろうか、しかしそのうちついに力尽きて、歩いてしまい見失ってしまった。
ホノルルの2回目からは走りながらiPodを聞きながら走っている。苦しいときに気を紛らわせるために聞いているが、この時点のと手ムつらいときに中島みゆきの「テールライト」が流れてきた。その寂しげな曲調とNHKのプロジェクトXの物語、それと今の自分の苦境とが合わさり、こみあげるものを強く感じた。「旅はまだ終らない」のフレーズがあざけ笑っているようでもあり、最後のふんばりを沸きたててくれた。
また、孤独の走りが続く。給水所では毎回立ち止まり水をいただき、スポンジに詰めたい水を含ませたのもいただく。両足が疲れているのだろうと冷たい水をかけるがあまり効果はない。両足を水で冷やしながら走るので、走るたびにグチュグチュと音がするほどである。ダイヤモンドヘッドの坂道がこれほどきついことか初めて知らされた。坂道の上では、「後少し」、「後2Km」との声援がどれほどうれしかったか。そして、最後の直線コース。1Kmに満たない直線を最後の力を振り絞ろうとダッシュする。同じペースで金髪のお姉ーチャン走っていたので、最後のゴールは一緒にと甘い考えで後を追ったが、最後ぐらいに振り切られ寂しく一人でゴールすることに鳴った。なんとか最後まで走りきることはできた。時間は3時間52分。タイム的には自分に実力としては認めたいが、その過程が納得できない。最初に力を入れすぎた事もないのに、持続力が不足していたことを反省する。
カピオラニ公園で、完走のりんごとクッキーをもらい、りんごをかじりながら、ツアー主催のJTBのテントで一休みするつもりで向かった。ここの休憩所にはすでに10Kmのウォーキングの人が座り込んでいて、自分もそのシートが敷かれた休憩場所に移動し座ろうとしたとたんに、両足に痙攣が襲ってきた。痛い!、体勢は座る瞬間の中腰なれど痙攣により足が曲げられない、また足を伸ばそうにも中腰で伸ばすこともできず、痛みをこらえたままその場に倒れてしまった。しかし、手にはりんごを持ったままゆがんだ顔の親父が寝転んでいる姿はきれいではない。人が避けて通っていくのがわかる。強い痛み始まり1~2分で治まり、体勢を整えようとするとまた痛みが始まる。両足が交互に痛くなる。こんなことがが10分くらい続いただろうか、痛みも和らいだので、やっとのことで起きあがり、シートの上に起きあがることが出来た。それからやっとFOODテントからうどんとアンパン、それにアイスクリームを頂ありつく事が出来た。ハーゲンダッツアイスクリームはおいしかった。うどんはつゆが少なく麺が固まっていたけど疲れた体にはおいしかった。
預けた着替えを受け取り着替えたあとで、フィニッシャーTシャツと記念メダルを受け取り取りに行く。今年のTシャツは発汗性の生地で作られていて使いがttが良い。ゴール近辺を覗くとまだぞくぞくとゴールしている。レースの模様を写真に撮ろうとするが、ゴール近辺では2重にも3重にも人がいてランナーの姿を見ることが出来ない。どこか良いところはないかと、いろんな場場所を探していたら、ゴール間近なのに閑散としたテントがあり、その向こう側を走っている姿を見るところがあったので数枚写真を撮った。撮った瞬間にそのテントにいた人が動き、写真に写りこんでしまった。舌打ちしながら、撮りなおしたが、ふと気づくとそのテントにはVIPとかかれている事がわかった。 それで今動いた人が長谷川恵理似のだったように感じた。その人はその後、こちらに背を向けたままなので確認することは出来ないが、回りの人に感謝去れるようにフルーツケーキを囲んでいた。ホテルに帰りもう一度写真を見てみよう。
会場からの帰り道は今年のフィニッシャーTシャツの黄色で街が染めている様だ。それぞれが、ホテルに帰る姿は例年どおりに、こんな人が走っていたのかと思わせるおばちゃんやおじいさんの姿がが伺える。
ホテルに帰り、シャワーを浴び着替えを済ますと落ち着いた。両足の痙攣の後の痛みもなくなっていた。ホテルのコインランドリーで昨日までの服と今日走ったときの服を洗濯をすることにした。このホテルにはコインランドリーが5Fに設けられているので、昨年みたいに他のホテルまで洗濯をしに行かなくてすむ。ハワイ(アメリカはすべて?)のコインランドリーはすべて25セント(クオータ)しか使えないシステムである。しかも洗剤とあわせて5ドル程度も必要でそんな小銭は通常持ち合わせていない。また、あたりを見渡したが両替機も設置していない。不便なシステムだ。日本では千円、500円、100円、50円、10円場合によっては5000円、10000円が使える販売機も珍しくない。仕方ないので、1Fのフロントまで両替に行く。フロントも普通に5ドルを20枚の25セントコインに両替してくれる。もう一度5Fのコインランドリーの前に。洗剤を買い、4台並んだ左から3番目の洗濯機に洗濯物と洗剤を入れ、コインを入れる。コインは、小さな引出しのようなところに、たてに溝がありその溝にそって、コインを一ずつ並べ、引出しを押し込む方法で機械式である。溝が5つあったのでそれぞれに25セントをいれて、引出しを押し込んだが、動いてくれない。引出しを戻しよ~く見てみると、25セントの溝と50セントの溝が書かれていた。「な~んだ、50セント硬貨がいるんだ」と早合点して、再びフロントに向かう。「50セントコインに両替え」と言って25セントを4枚さし出す。「何言っているかわからな~い」とフロントに小バカにされた。そんなに言葉が通じないのか、「Exchange Please to 50cent」.。。「ランドリーで使うんだろう、だったら25セントコインを二枚重ねるのさ」と捨てゼリフ。ややこしい。再びランドリー部屋へ行き、2枚重ねで洗濯機のコインにいれると引出しがさっきより置くに押し込まれて、ランプが点灯した。なんだよ、と自分の過ちを認めつつ、このややこしいシステムを憎む。だが、まてよ、この洗濯機は左から2台目だよね。さっき洗濯物と洗剤をれたのは、たしか3台目のはずだが。。やや、間違った洗濯機にコインをいれてしまった。このコインはもう戻ってこないので、仕方ないので3台目の先覚機から2台目の洗濯機に、中のものを移動させることに。洗剤も掛かっているので、そっと取りだしても中の洗剤はきれいには出せない。飛んだことになった。(略)
洗濯もひと段落着いたら眠くなって来てそのままベットへ。もともと部屋にはクーラーがあるが基本的にはあまりクーラーを使わない。これは基本的な生活パターンで、昼間の暑いときは別としてたいていの暑さは機に鳴らないので、寄って寝覚めもあまりしない。と言うことで、ベットでうとうとが始まってもあまり気にならず、いつのまにか寝こんでしまった。昼寝は気持ちが良い。外は天気が良いけど疲れと早朝起きたの事で、眠気が襲ってきて起きあがれない。ひと寝むりした後頭がすっきりした。すっきりついでに起きだしてパソコンに向かい仕事の続きをはじめる。今は日本は月曜日のお昼頃でありみんな一生懸命仕事していることであろう。着ているをメールをチェックする。全員に給化することは伝えていないので、普通どおりメールは来る。アレコレ返信をして終った頃には外はすでに暗くなっていた。特にお腹もすいていないので夕ご飯は特に食べずにそのまま寝ることに。明日の予定は何も考えていないが、寝る。不規則な生活が続く・・・・眠くなった・・・・・
●2009年12月14日(月)
朝起きると7時過ぎになっていた。簡単な朝食を済ませ、カバンに水と昨日食べなかったパン、それに貴重品と昨日のゼッケンを持って出かける。
出かけ先はカピオラニ公園。今日は朝9時から完走証を配っているのでそれを取りに行くためだ。会場に向かいながら、これからどこへ行こうかと考え始める。案としてあげたのは、パイナップル園に行く、この木何の木を見に行く、ゼロ戦が飾ってある博物館へ行く、ダイヤモンドヘッドをトレッキングをする、自転車に乗る、、、、いろんな事を思いながら、カピオラニ公園いに到着する。すでに大勢のひとが列を作って並んでいた。2年前もこの列に並んだが、雨上がりでぬかるみだらけだったことと、列がなかなか進まないことを記憶している。今年は天気が良いので列を作っていても苦にならないし、時間もそんなに掛からなく容易に完走証を入手することが出来た。どちらかと言うと完走証をもらった後の、地元の新聞をもらうほうに時間が掛かったような感覚だ。
さて、これからどうしようか。さっきの案をまとめて、自転車に乗るのがよさそうだ。自転車に乗れば、比較的行動派自由に行える、体力さえ続けば、どこでも行ける。昨日のTVで案内していた「マカプウ」というところへ行ってみたいと思った。ここは、マラソンコースの折り返しであるハワイカイのさらに東側に位置している。移動方法はバスもあるが、2年前もバスに利用を考えなかなかバスが来なかった上に満員で乗れなかった苦い思い出があるので、自転車の利用が一番よさそうだ。本当はレンタカーでも良いかもしれないが、駐車場のことやそもそも値段が高いとこ事から敬遠した。国際免許も持っていないのもあったけど
今日歩いてカピラニに来るときに自転車レンタルレンタル店がクヒオアベビューに多くあるのを見つけていたので、値段お交渉をする事もなく、適当な店でかりることにする。この店では中年風の日系人が一人で店番をしていて、近づくと日本語で話し掛けてくれた。こうなれば話は早い。25ドルを支払い1日のレンタルをする。後で調べたらちょっと高い値段だった。これをかりて、一路東を目指す。昨日のマラソンコースをもう一度自転車で走ることになる。道は分かっているつもりだが、ハイウエイを自転車で走ることが出来るかはやや心配である。過去に、ブラジルに行ったときに高速道路の側道を歩いている人を見たことが強い記憶で、ここでも大丈夫だろうとも考えれいた。
自転車は休めのマウンテンバイク風の自転車。なぜ風かと言えば、とにかく重い。前後にサスペンションも付いている事もその理由かもしれないが、フレーム自体が重い鉄製の様子。作りはあまり良くない。あと面白いのが、ブレーキが左右逆になっている事である。意識的に左右を使い分けているわけではないが、長い坂道を下るときなどにその違いが分かる。なぜ逆なのか、日本がそもそも逆なのか知識がないので分からない。
レンタル屋さんはワイキキの街中にあり、出てすぐは車道を走れと言われている。歩行者優先が基本との事。ただ、郊外に出ると危険なので歩道をと売るほうが良いとのアドバイスをレンタル屋さんからいただく。レンタル屋から西にカピオラニ公園沿いを通りダイヤモンドヘッド脇の長い坂道を上る。天気は晴天で気温は高いが湿度が低いので、風が気持ち良い。ダイヤモンドヘッド坂下の高給住宅地を抜けいよいよハイウエイに出る。ハイウエイはもちろん料金GATEはなく、側道を通り難なく通行できる事が出来る。特に自転車を拒否するような標識もない。このまま通れる。その上、ハイウエイ脇にはちゃんと歩道があって、さらには横断歩道も設置してある。しかも信号もなく、「人が通るので注意」くらいの標識しかないところもある。距離は結構長く約一時間でハワイカイまでやってきた。マラソンはここで折り返しになるので、一休みすることに。昨日走った疲れで、左脛が少し痛い。ちょっと無謀な事かと反省する。一休みした後で、さらに東に向かう。
途中観光で有名なハナウマ海岸に立ち寄る。ここは透き通った海が深い入り江の中にあって、シュノーケリングや海水浴に適しているらしい。多くのひとの泳ぐ姿が覗ける。ここで、カバンに入ったパンと水で昼ご飯を食べ、再びマカプウを目指し東へ向かう。
ここからは海岸沿いの道となるため、道幅が狭く車の通行に気をつける。
ほどなく進んだあたり、マカプウまではまだ距離があるところで、自転車の前輪が変な動きをしたので、立ち止まり確認すると、なんとパンクしていることが判った。空気は抜けてペチャンコ状態。こんな郊外でしかも観光地近辺でパンクしてどうする!?一瞬立ちすくんでしまった。近くに自転車屋はないし、レンタル元のワイキキまでは自転車に乗って1時間の距離だし、、、と迷った挙句、ここにいても仕方ないので目的地の「マカプウ」行きは断念して引き返すことにした。引き返すといっても、自転車に乗っては行けない。ひとまず自転車を押して帰ることにする。絶好の天気のお昼過ぎ、風を切って走る分には気持ちよさそうであるが、自転車を押しては結構つらい。しかもこの自転車は恰好はスポーツスタイルだが結構重い。途中で誰かが車で拾ってくれないかと後ろを振り返りながら自転車を押すが、こんな爺にはみんな興味はないだろう。乗用車が多く走る中で、時折トラックが走る。しかし、あえて手をあげてまで止まってくれとアピールするのは少し勇気がいる。ハナウマ湾の入り口にいたガードマンに、このあたりに自転車屋はないかと尋ねたが、分からないとそっけなく突放される。街に出てガソリンスタンドへ行ってみな、とのアドバイスでさらに西を目指しハワイカイまで戻る。ここに戻るまでに、自転車を押しているのだが、ペタンコのタイヤがリムから外れそうになり、そのたるみがリムとブレーキの間に入り込み前輪がロックする。それが起こるたびに、自転車を横に倒し、タイヤをはめなおすことたびたび。
やっとの思いで、最寄りの街であるハワイカイまでやってきて、ガソリンスタンドを探す。小さなモールがありそこにスタンドらしいところがあった。給油するところはあり、そばのお店に入るが、そこはコンビニ風な内装である。ひとまず店の人に、パンクを直せるか聞いてみたが、怪訝そうな顔押して「そんならガソリンスタンドへ行け」とアドバイス受ける。そうか、ここはスタンドではなく単なるコンビニで、ガソリンも売っているところだとわかる。店の人に案内されたガソリンスタンドまで、また自転車を押して向かう。「76」があると言っていたが、あのロゴはガソリンスタンドだったのかと初めて知った。このスタンドで少しやり手のおばちゃんに、パンク直せるかと聞いてみたが、できないときっぱり言われる。ちょっと待ってくれ、チューブの穴を塞ぐだけだろう、ちょっとやってよ、といっても頑なに「出来ない」との返事。ダウンタウンにバイク店があるのでそこへ行けとのアドバイスをいただく。ダウンタンってのはどこで、バイクショップはどこなんだ?と聞いてみると、聞き取れない単語で何か言っているがよくわからない。「スポーツテリア?」とか何とか言っている。いずれにしてもここでは直してくれないことが判り再度自転車を押してダウンタンってところに向かう。マラソンの折り返し地点にちょっとしたお店が集合しているのでそこに行ってみる。自転車を止め、誰かに来てみることにする。「バイクショップありませんか?」数人に聞いてみたがだれもが知らないと。困ったなぁと途方に暮れていると、トラックに乗った運ちゃんが声を掛けてくれた。(もしかしたら、乗せてくれるかも・・)と甘い考え。「それいくらだ?」とどうも今自転車が欲しいらしく、値段を聞いてきた。「いや売れないんだ」と返事すると、「OK」と過ぎ去る模様なので、「このあたりにバイク屋サン知らない?」と聞くと知らないね、と返事。なんかもう限界だね。また、自転車を押し始めるが、名案が思い付いた。パンクしているが、空気を入れれば少しの間は走れるのではないか、と近くの無人ガソリンスタンドに行って空気入れを探す。料金は75セントの有料。昨日の両替コインがいっぱいあるのでポケットから25セントコインを3枚出して、空気をいっぱいいれる。なんとか、走れる様になり再びバイクショップを探す。別モールを見つけたので、辺りを探すがそもそも店構えが、日本のと違うだろうから、見ただけではわからない。店の人に聞いてみる。「知らない」との返事。ここもだめか。それで発見したのが、モータバイクに乗ったカップル。彼らに聞いてみるが、どうやら、このあたりの人ではなくよくわからなんだと申し訳なさそうな回答。気持ちよく「ありがとう」と別れる。まだ、タイヤの空気は抜けきっていない。上半身裸のにいちゃんがジョギングしていたので聞いてみた。また、知らないよと、なんならバスで帰ったらとのアドバイス。バスは自転車を乗っけてくれるよと。良いアイデアだねと分かれる。誰に来てもバイクショップは知らない様だ。さっき入れた空気はまだ乗れる状態なので、この調子ならしばらくこれで帰ってみるかと。。と甘い考えで、ワイキキを目指す。
ちなみにパックのことを英語でなんというか?
よく、車が「バースト」したと言っているのを記憶していたので、「burst」の単語を使ってみたが、みんなキョトンとしていた。そうか、こんな単語は使わないんだな。後で辞書で調べたら、パンクのことは puncture「パンクチャー」というらしい。日本語と同じじゃないか。またBURSTとは突然車のタイヤが破裂することを言うらしい。通じないわけでもないのになぁと思う。
追伸:後で調べたら、ハワイカイのトラックの運ちゃんに尋ねた場所に自転車屋があったのだ。眼と鼻の先だったのに、あの運ちゃんは知らないといった。まったく。
ハイウエイを西に向かう。空気が抜け切るまでの間にどこまで距離を伸ばせるかが。課題になるので休む暇なくペダルをコギ続ける。空は炎天下の太陽のもと、午後2時近辺では気温も結構高い。非常につらい走りとなる。途中、別のガソリンスタンドを見つけては寄ってみるが、無人だったり工事中だったりで、修理は出来ない。そうこうしながらハイウエイの8Kmのうち2/3程度まで走ってくることが出来た。「カレニHighScool」まで来たころから、タイヤの空気圧はペチャンコの状態になる。ここで自転車を降り、再び押す事に。ちょうど学校が終わる時間らしく大勢の学生がバス停に集まっている。それを横目に自転車を押す姿が、自分でも少し惨めに感じた。ここから1Kmほど東に進むとハイウエイを降りる事になり、そこにもガソリンスタンドがあり、ここでも空気をいれる。このスタンドは有人スタンドで空気入れは無料だった。いっぱいに空気を入れて、さらに西に向け走り出す。ここまでくればもうすぐなので、今更修理はしなくてもいい。ここから約7Kmでやっとのことでレンタル屋さんまでたどりつく。もう、クタクタだ。店の人に事情を話すと気の毒そうな顔をしながら、パンクしたんですか、じゃあ10ドル頂戴、ここはビジネスライクだ。
自転車でハワイを走るのは良いアイデアだと思ったけど、こんなことがあるとちょっといやになる。
自転車を手放した後は歩いてホテルに戻りシャワーを浴びる。やあ、疲れた。一息つく。
明日の6時過ぎには部屋まで荷物を取りに来るのでそのため、大きなな荷物だけは本日中に詰めこむ必要がある。残り少ない滞在時間ではあるが、明日の帰り支度を行う。昨日の背タンク物をたたみ、クローゼットの中から服を取り出したたみ、お土産用のスペースを作りながらカバンにきれいに詰め込む。今回一人なので元々荷物はそんなに多くはないし、日本から持ち込んだ飲料水や食料は消費したのでその分スペースは開けられた。一通り荷物を詰めこんだ後、夕ご飯を食べに行く。今までの間は、マラソンの事が中心でずっと炭水化物ばかり食べていたので、今日はコッテリ系の夕食をしたく街に出る。もうパンは食べたくない。いろんな店を物色しながら歩き回る。ラーメンが食べたいな~。。いろんな店があるが、高そうな店に入りたくないし、安そうな店は多くの日本人が列を作っていて並ぶ気がしないし、あれこれ1時間ほど歩き回ったが、これといったお店がない。歩き疲れ、もうコンビニの弁当でいいや、めんどくさい。と例のABCマートやFOODパントリーをのぞき見する。弁当はあるが意外と高い7~10ドル平均の単価。円高ではあるが、1000円近い弁当を喜んで食べるわけにはいかない。ABCストアーも何軒もあるので、片っ端から入り込んで弁当を探す。すると期限切れ間近の弁当が4ドル弱で売っていたの見つけた。これは買うしかない。それを買い、ホテルで食べることにした。いやはや貧乏性は健在だ。
さて、夕ご飯も食べたし荷物も詰めこんだし、今日はもう寝よう。時間は9時を回っている。今日も疲れた。
●2009年12月15日(火)
ナカナカ寝つけない夜があけ、最後の日となる。今日はどこに行くこともなく、朝食をゆっくり食べて帰り支度をする。空港へのバスは8時20分なので時間がある。少し早めにホテルをチェックアウトして海を見に行く。海岸沿いはホテルが多く立ち並んでいるので海岸に出るには少し遠回りになるが時間もあるので行ってみることにする。ちょうどダイヤモンドヘッドが朝日を背にきれいなシルエットを見せてくれていた。絵になる風景を見れて良かった。写真を数枚撮ってバスの集合場所に向かう。定刻より10分程度遅れてバスが来た。それに乗りこみ空港に向かう。バスの比較的前列に座ったため、バスを降りての搭乗券の入手も一番最初に終え、ホテルで預けた荷物の受け取りもスムーズ。到着初日に買い求めたお土産もきれいに箱詰され預けたカバンと一緒に並べられていた。このあたり、システマチックで良い。JALのチェックインも荷物検査も待つことなく終った。搭乗の身体検査では、例年靴を脱がされる。これはアメリカだけ行っていて、例の911以降続いている。
時間は9時頃で、飛行機の出発時刻の11時30分までにはあと2時間以上も待つことになる。この間、何をするかが問題だ。空港内には、DFSや食べ物を売る店があるが、買い物はする気がしなく、お腹も減っていないので何もすることがない。2時間の間、空港内を歩き回り時間をつぶすことにした。歩き回るといっても、そんなに広くない空港なので2往復もすると飽きてしまう。結局50分前にはGATEの前で搭乗が始まるのを待つことにした。
定刻どおりに搭乗が開始し、しかもも定刻どおりに機体は動き出した。成田に比べれば離着陸する飛行機も少ないので、時間どおりに事が進んでいるように思えた。機体は滑走路手前で離陸許可をもらっているようで暫く止まっていたが、予想外に機長のアナウンスが始まった。「第2エンジンの調子が悪いので、点検をする。」その場で調整をしていたらしいが、結局回復せず、「一旦出発ゲートに戻り修理する。修理時間は30分程度の見込み」とのアナウンスの後、機体は元のGATEまで動き出し修理を行っている模様。その間、キャビンアテンダント、客のイライラを解消するためか、飲み物のサービスを始めた。これを気を紛らわせる。暫く経った後、「原因がわかり回復した」との事で再び滑走路まで移動が始まる。都合1時間程度の時間を要していた。
時間は12時30分を周り離陸することが出来た。水平飛行に移ってキャビンアテンダントのサービスが始まる。席は、ちょうど彼女らが働く目と鼻の先であり忙しそうに動いていることがわかる。
いままで、JALをはじめ多くの航空会社をつかってきた。2年前のホノルルも今回と同じJALWAYSである。通常のサービスは、①お絞りのサービス②飲み物のサービス③食事のサービス④機内販売といったのが一般的だった。しかし、往路でもそうだったが②と③が逆だったり、復路に至っては②と③を同時にサービスしてる。しかも②にはおつまみは付いていない。また、往路の出発時間が遅かったので、食事の量が少ないと考えていたが、復路の時間が11時30分定刻にもかかわらず、食事の量が少ない。メインの皿とサラダとゼリーとそれに水だけ。何とも節約されたものだ。来月からは新聞もサービスが廃止になる予定との事。飛行機はもともと移動手段なのでこれらのサービスは付加価値なので重要ではないかもしれないが、旅の気分は半減する。JALも赤字続きで国営との事で風あたりが強いのだろうが、こういったところから客離れが始まらなければ良いが。成田→ホノルルは穂化に大韓航空が飛んでいるらしいがそっちのサービスはどうなんだろうか。。
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●2009年12月16日(水)
日付変更線を跨ぎ、1日進む。飛行機はエンジントラブルもなく順調にすすみ、出発が1時間遅れたことから、到着は定刻より30分遅れで成田に到着した。あとは、トントン拍子で、事が進み、入国、荷物の受け取り、税関。ここで、トンカツ弁当を買ってバスに乗り込み帰る。冷えた弁当だが日本の弁当がうまい。
平成19年7月より全員から「携帯品別送品申告書」の提出が必要になった。このことは2007年12月の前回のホノルルからの帰国で提出しているはずだが、記憶になく、最初は書かなくてもいいものと思っていたふが、キャビンアテンダントから全員いりますよっとの事で初めてした有様。
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