來了
大連旅行
旅の記録
●2013年8月13日(火)
出かける時、昨日出した資源ごみが回収されずに放置してあったことを今朝見つける。飛行機便の都合から早朝の支度をしていた。最寄りの駅を5時7分発の電車に乗るため4時45分に家を出るついでに一般家庭ごみを一緒に出しているときに気づいた。朝早いので公共交通機関はまだ走っていなく自宅の車を使って出かけた。車が我が家にやってきたのは丁度先週のこと、それまでの車は次男と伴に一か月前に家を出てった。車の運転は女房に託すが、まだ不慣れなこともあって走り出すまでに時間がかかった。朝早いので道も混んでいなかったので、多少早めに出発したことでタイミングよく駅に到着することができた。
何度も成田空港を利用しているが夏休みのしかもお盆時の最中に利用することは初めてで混雑を覚悟していた。ただ、早朝であることから多少の軽減を期待していたことも事実である。成田空港までは、久々にNEXを利用してスイスイと到着することができたが、空港内はすでにいろんな人で混雑していた。チェックインカウンタで2、30人の列の最後部に並んだ。列の前に一人で4台もも電気釜を抱えたアジア人らしい人が数人並んでいる。カウンターでは少しもめ事を起こしている人もいて、なかなか進まない状況が続き少しイラつく。次の出国審査も長蛇の列となっている。人はさほど混んでいないが、審査官が少なく進みが遅い。どうやら8時30分まえは審査官の出勤者が少ないようだ。空港に着いたのが7時30分で出国審査が終えたのが8時30分ころと約1時間もかかっている。
朝から何も食べていないので空港内の売店でサンドイッチと野菜ジュースを買い搭乗までの短い時間をつぶす。
飛行機の中は結構寒い。こうやって今までの出来事をパソコンに書いていると膝のあたりが寒くなってくる。座席のポケットに出入国カードが添えられていた。英語と中国語で項目の見出しが書かれている。名前や住所は漢字で書くのか悩んでしまった。結局ローマ字表記にしたが、ホテル名は困った。実際日本語名しか知らない。。 離陸後安定飛行に入ったら朝食が振舞われた。予想していなかったことでやや驚く。そういえば今まで乗った飛行機は昼前か午後の便が多く離陸後は飲み物をいただきそののち食事のパターンだったことを思い出した。朝食といっても結構な量でありすべてを食べることはできない。食べてしまうとこれから続く旅行にも影響を及ぼす事になりかねない。(後でわかったことだが、この食事は朝食ではなく昼食だったことが分かった。もう少しちゃんと食べておけばよかったと後悔する。)
今回の旅行の目的は、(1)浅田次郎の小説(*1)を読み、中国にあこがれてしまったことで、何とかこの目で見てみたかったことである。ただし今回訪問する大連の地ではなかった。ただ、ここ最近の中国の事情(反日と公害)から北京に行けるようになるのはずいぶん先のことに思えるので大連でその代わりになろうと思っている。(2)会社の仕事で将来仕事をやっていただく会社を探している。今回その過程の中で中国に会社を構える企業と近づきになり、先方より是非大連に来てほしいとのこともあり、一度見てみることもありかと考えてのこと。(3)夏休みの期間で何をするかを考えていなく今回の誘いも時間つぶしにはもってこいのアトラクションとなる。以上のことから今回の大連訪問となった。これをきっかけに事前に予習をした。それまで、「大連」の名前くらいは認識していたが、どこにあるのか、どういった歴史を経たのかについては、何の知識もなかった。
203高地。名前は聞いたことがある。いつ聞いたのか、学校に歴史か、それともテレビ番組か記憶は全くない。改めて203高地について調べてみる。ビデオもあったので見てみる。ソ連と日本の奪い合いをしていた経緯も知る。自国に資源がないので他国を戦略することは当たり前になっている時代背景がある。およそ100年前の話であるが、今から考えると自分勝手な理屈である。それにしてもかつての大国である中国は如何してこんなに他国に攻められやすいのか?「満鉄」この名前も記憶にある名前であるが、はたして何のことか覚えていない。そもそも満州なるものも、浅田次郎の小説を読むまではまるで認識の中にはなかった。
大連空港は近年新しくなったとのことで、一見しても垢抜けた景色を見せてくれた。空港の周りは高層マンションが数多く立ち並び騒音被害に苦しむ市民を想像した。後から聞いた話では、建物自体が非常に堅牢でありガラス窓も2重になっているので騒音の被害はないとのことだが実際はわからない。土地に狭さを感じる。空港内に入ると室内は思う以上に暗く感じた。実際天井の電燈の数が極端に少ないように感じる。
入国審査はほかの国のそれと同じ様に比較的簡単であったが、面白いことに審査終了時にその人の態度をアンケートする場面があり、回答は目の前の4つのボタンのいずれかを押すことで最高から最低までを選択するようになっている。
一旦ホテルにチェックインして一休みする。のどが渇いていたのでホテルの備え付けのペットボトルの水に手を掛けふたを開けた瞬間、有料の文字が目に留まった。エビアンだったので35元(\560)もする。驚いたものの開けた蓋はしまってはくれない。
初日の午後、目的に一つであるソフト会社に訪問した。ホテルまで迎えに来ていただいたため、場所に関しては不明であるが中心街のはずれの位置と思う。昔の中国人が住んでいた地域との事で会社の周りは一般の住宅がある。住宅と言ってもその全部が高層のアパート形式となっている。話によるともともと国が建築を行い数年したところで民間が買い取り居住権として他への転売を行っているとのこと。中国では自分で土地を持つことができないので借地権として転売を行っているとのことであった。
会社で数時間打ち合わせを行い、その後夕食を頂きに海鮮料理屋に向かった。お店の名前は「万宝海鮮航」といい、大連では最高級の海鮮料理屋とのこと。ここで、海鮮のいい魚介類とバイチュウを頂く。結構飲んでいい気分になってホテルに着いた。これで今日の活動は終わりになる。
●2013年8月14日(水)
朝早くから目が覚める。海外にいると、、というより日本基準の時刻になると目が覚めるので、結果海外では変な時間に目が覚めてしまう。時刻は現地の4:10。あたりはほとんど真っ暗の状態。車の音も部屋からは聞こえなので静かそのものである。薄暗くなった時分からホテルの窓から外を眺めるとまだ人通りはほとんど見えず遠くのほうで車の走るのが見える程度。このまちは朝は遅いようだ。昨日のお酒のおかげですぐに寝ることができたが、クーラーを入れず、シャワーも浴びずに寝ていたので、体が気持ち悪い。このままシャワーということも考えられるが、外も白んできたのでそのまま外に出ることにした。
後から調べましたが、大連ではチップは不要のようで特に気になったのがホテルの枕浅でしたが、ネットで調べると要らないとのことだった。こんなことは誰かが伝えてくれればいいんですが。
大連の街並みの中を朝走ってきた。ちょうどホテルの前の道路を隔てたところが公園となっているので、信号を守り青信号になって道路を渡っていった。ここの街では歩行者は信号を守らない。赤信号でも老若男女誰彼かまわず車が来ていても渡ってしまう。しかしルールがあって赤信号で渡った場合は歩行者側の完全なリスクとなるので車にぶつからない様に器用に渡る。車側も人がいても車優先の運転をしている。強引な歩行者には容赦なくクラクションを鳴らす。そんなルールがあるのだが私は信号を守り横断歩道を渡った。公演の名前は「労働公園」と呼ばれ、労働者のために公園との意味とのこと。当初、公園では入場料を取っていたとのことで、その名残の建物もあったが今は無料になっている。労働者のための公園であれば最初から無料にすべきであろうと思うが。。労働公園はさほど広くなくぐるっと回っても2キロくらいかと感じた。ここから大連駅に向けて走り続けた。大連駅はホテルの裏側、ホテルからすると公園とは反対側に当たる。ここに行くにも大きな道を渡ることになるが、地下道も作られているので恐る恐る地下道に足を入れる。ちょうど商店街のようになっていていろんな店があるが、朝早いのでまだ営業はしていなく静かであった。地下道を抜けると大連駅の前に出るがもう一本大きな道がありそれを渡るには信号もついていない道を横断することになり、これ以上いかないこととした。走り始めたときにペットボトルの水を手に持っていたが、ほとんど飲み干したので、新たな水を購入することにする。時間的にお店も開いてきたので適当な店で水を買う。と言っても店先のペットボトルを手で持ち上げ日本語で「これ頂戴!」という。おばさんからは意味不明の音が出た。いくらかわからないが、ひとまず手に持ったお金(1元:16円)を出す。おばさんからまた変な音が出た。今度はおばさんが違うペットボトルを渡して、1元を取られた。売買成立である。ホテルの35元と比べてみても大違いの安さである。これで、ホテルまで帰ってきた。
朝食に8階にあるロビーに降りた。ホテルには2種類の朝食が用意されていて、洋食のバイキング方式と和食の定食方式。初日の今日はバイキング方式。簡単にチョイスする。パンと数種類の料理。牛乳とヨーグルト。昨日が豪勢な料理だったのでこれで満足。牛乳は通常のようにガラスのポットに入っているのではなく、金属の容器に入っていてじゃ口からカップに注ぐ方式。ちょっと変。
朝9時にホテルの玄関で待ち合わせして今日の観光に出かける。朝から良い天気に恵まれたので最初は大連を一望できるTV塔に上る。高台にできているTV塔で高さは300メートル以上はありそこに展望台がある。展望台まではエレベータで行くことになるが全面ガラス張りのドアで、外が見える仕掛け。高いところが苦手であり、いい気分ではない。展望台はさすがに大連全体が見渡せる。ちょっとガスっているのと展望台周辺のガラスがあまりきれいでない事から遠くまではよく見えない。むろん高いところが苦手であり、今一歩窓側に近づけない自分のせいかと思う。そんなにメジャーとも思えないこのTV塔には殆ど客はいなく我々の貸切となっている。高台から街全体を見ると建築ラッシュであることが明確である。集合住宅や商業施設などが至るところで建築が着工されれいる。目線を塔の室内に向けると観光地らしくいろんなお土産を売っている。有名日本人のトランプや色あせたプラモデルの箱、キーホルダ、ライター、、東京タワーの土産物売り場と何ら変わらない。ちっとも売れている様子も感じられない。TV塔をあきるほど見た帰り、東京タワーと同じく帰りのエレベータが止まったのは入り口の一階ではなく、途中のフロアーに降された。ここでも土産物があるのかと思ったら、そうではなく昔の写真が飾られたホールに誘われた。建築当時の街並みがその時の人の生活風景と伴にに映し出されていて1900年代初頭の風景を見ることができる。
遼東半島の東側にある海浜路に沿って車を走らせた。あまり情報誌では出ていないところであるが、海に沿って歩道を含む道路が芝生とともにきれいに整備された場所で、よく結婚式の写真撮影が行われているとも聞く、公園のようなきれいな一帯である。もともとは役人がVIPを迎える場所がその場所にあり、そこまでの一帯とその付近が整備されていることになる。最近では高級マンションが建設されているくらいに高級化されている場所である。延々とつながる道をひたすら車で移動したことになり、ただただきれいであったことのみが印象に残っている。途中大連と友好関係を結んでいる北九市に寄贈された北大橋も見ることができた。全般的に古くからあった場所ではなく、どことなく日本のどこかにある風景と勘違いする景観である。こんな一面もあるものだと認識する。
昼の食事は、春巻きみたいな薄い皮で包んでいただく春餅の料理を頂く。この皮に、野菜や肉を挟んでいただく。食べながらの雑談。中国の主食は何か伺ってみた。中国はお米もあるが、粉モンも主食にするとのこと。もともと大連は東北地方でお米は栽培しづらい所であることからドチラカと言うと粉モンが中心らしい。代表的なのが饅頭(中華まんの皮だけ)だったり、餃子だったりするとのこと。特に驚いたのが餃子は主食であること。餃子を食べるときはご飯や饅頭は食べない。日本でうどんとご飯を一緒に食べないようなものかと。
食事の後は、市内観光を行う。最初に行ったところは、大連駅裏の市場に案内された。この市場は4階建ての建物で、買えないものは無いとまで言われる超大型の市場である。ただし景色はさほど良くないので心して挑む。肉野菜の食料品、乾物品、生活雑貨、装飾品、、それぞれを扱う小さな商店が軒を並べている状態で、ちょうど御徒町の様だ。驚く量の西瓜を見た。トラックの荷台に蓆を敷き、そこに西瓜が山高く積まれている。このようにトラックが4,5台あった。丁度生産地から運ばれてきたような雰囲気であったが、こんな大量な西瓜にもおどろくが、これだけの需要があることに驚かされる。市場では売り物には値札はついていなく、店の人と客とが決めていくようだ。本当にほしいものしか価格交渉ができないので安いのか高いのか分からないが、一般的に考えても高いわけがないと思う。延々と続く市場を見ながら移動し、ロシヤ人街の入り口までやってくる。
ロシヤ人街の入り口から日本橋(勝利橋)を渡り中山広場方面に上海路に沿って歩く。橋を渡ってすぐの正面にまず目に入ったのは大連郵便局跡。ここは現在Chaina Unicom(中国聯合通信有限公司)として現在でも営業をしている。今日は暑いので、涼む事も目的で中に入ってみる。1階には多くの窓口があり結構古そうなのでおそらく昔から使っている郵便の窓口のように伺える。中は携帯の電話局の雰囲気で、複数の製品見本が飾ってあったりしている。日本のように大勢の客は来ていない。道なりに上海路を歩いていくと、大連ホテル(大連飯店)跡が見えてくる。これは民間の建物で、大連の重要文化施設となっていなくいずれ壊されることになっているという。つい最近まで利用されていたとのこと。次にあったのは大連郵政局と横浜正金銀行跡地の中間にでる。これら建物からが中山広場と接している。この郵政局は現在もそのままで利用されている。横浜正金銀行は現在中国銀行として利用されておりともに重厚な作りで歴史を感じる。ここから中山広場の円周沿いに左回りに歩いていく。次に並んでいるのは朝鮮銀行跡地、その隣が元大連民政署所で、現在はCITYバンクが入っている。さらに大連賓館(元大和ホテル)、大連市役所と続く。満鉄病院(現在は中山病院)は解放街に沿って南南東方面に少し行ったところにある。訪れた時間に大勢のナースが建物から続々と出てきた。今では懐かしくなったナース帽を頭地ちょこんとのせている。これらの建物が、まあるい中山広場を中心に建てられている。いずれも1900年初頭の建物であるが現在でも実際に使われている、貴重な大連市の遺産となっている。
最後は友好広場という大地下街ショッピング街にやってきた。ここは、アメ横の雰囲気で衣服、食事、装飾品、、などが目についたが全てを見たわけでもなく全貌はつかめていない。とにかく巨大である。
このまま歩いてホテルに戻り一休みした後で夕食に向かう。夕食はしゃぶしゃぶをいただく。牛、豚、羊の肉と豆腐、野菜、を主として銘々におかれた鍋でじゃぶじゃぶをする。つけだれもおいしく結構な量をいただいたと思うが、中華料理のほとんどが大皿に盛られた食材を好きなだけ食べるので果たしで自分がどれだけ食べたかは分からなくなる。今日は、朝から夜間まで思い切り遊んだ状態で夕ご飯を終えるころは疲れがどっと出てしまった。
●2013年8月15日(木)
いつものように朝は早く目が覚める。4時10分。昨日の出来事をWebページとして記述し始めたが、一晩もすると忘れていることも多く、思い出しながら整理した。
朝のジョギングで今日は、中山広場まで行くことと決め東に向けて走り始めた。時刻は6時を回っていた。大連は中山広場を中心に道路が放射線状になっているので、道一本間違えば大きく目的地と違うと言われていたので注意しながら走る。大連では現在車が増えすぎて、駐車場が不足している。道路は比較的広めに作られているので大渋滞を引き起こすことはないが、車の駐車場が極端に不足している。警察では道路に駐車して渋滞を起こすことを懸念して、駐車違反を取り締まっている。その結果、車の駐車は歩道を占拠することになる。ホテルの前の道をひたすら東に向かえば中山広場に到着するとの記憶から、走り続けてほどなくするとT路に遭遇した。想像していないことで戸惑う。左に折れるとそこに中山広場があった。単なる認識違いであった。そのまま広場を一周して帰るかと考えたが、車もそろそろラッシュ時刻となり増えだしたので危険も伴うし道に迷ってしまうこと考えられるため元の道に引き返した。ところが頭の中で描いている地図情報が修正されていなく、先ほどのT字路で左折したことを失念していたので、帰り道がまるで違った道になっていることに気が付いたのは走り出して10分くらいだった。その時点から修正したいのだが、そもそもどの方向が正しいのかまるで想像できなくなくなっていた。碁盤のめのような街であれば比較的容易にリカバリー出来ただろうが。道路のところどころに地図が掲載されているが、今自分がどこにいてどの方向に走っているかがわからない。仕方なく歩いている人に聞きたいが聞き方がわからない。言葉が出ない。意を決して歩いている人に手振りで聞けばいいと声をかけてみるがジロッと見返しされ、通り過ぎてった。仕方なくもう少し先に走ると朝の交通整理をしている公安がいたので、英語で話しかけてみるが言葉が通じない。ホテル名を告げても通りの名前を告げても一向に反応しない。仕方なく、近くにある公園の名前を筆談で書いてみると、やっとわかってくれて道案内をしてくれ、無事ホテルまで帰ることができた。
朝の騒動も収まり、今日の観光予定は旅順の予定である。大連から旅順は。車で1時間程度の距離。その間の道路はよく整備されている。聞くところによると最近目覚ましく整備が進んでいる模様とのこと。
203高地(203景区) 砲弾と遺跡があるがそれ以外は特に何もなく、説明しづらい。まず、ここを訪れた。
昼の料理は海鮮式の料理屋。軽い物とラーメンを期待するが、こちらの麺はうどんのような麺であった。トマトと卵をあえた料理がおいしかった。これに炒飯を添えて食べると結構いける。
東鶏冠北堡塁 ロシア軍の跡地、その後日本軍が占拠。この場所が保存されている意味がよくわからないが、銃弾の跡や、攻撃された基地の跡を見ることができた。連日の暑さでじっくり見るにはそれなりの興味が必要になるが、全員あまり興味がないのでそそくさと引き上げることになった。ここで、盛んにお土産を進めるおばさんがいて商売の意気込みを教えてもらう。ただし意気込みだけでもう少し工夫することで客は買ってくれるんだろうが、あまり要領はよくない。
白玉山景区;塔を含めた観光地一帯で、日本占領時に建てた記念碑が高くそびえている。塔の入り口のお土産屋さんに89歳のお爺さんいて、流暢な日本語で大連の歴史を自前のアルバムを使い説明してくれた。この人は、日本の新聞にも載った有名な人らしく話を聞くためにやって来る人もいるらしい。このお爺さんの説明は大体10分足らずの簡潔な内容であったが、分り易く説明ただいた。説明が終わると店の人が出てきて、今話したことは「この写真集」に載っているので買えとのこと。やや興味もあったし、このまま買わずには席を立てない雰囲気もあったので、サインをしてもらって大連の写真集を買う。おりしも8月15日の終戦記念日のサインいただいたことは何かの縁かもしれない。ただし値段は280元と結構高い買い物である。
白玉山塔にも登ってみた。恰好は灯台と似ていて、塔の内部にらせん状の階段が備え付けられていてそれを歩いて登る方法である。300段足らずの階段であり、大した高さでもないが、階段は構造上結構スカスカでありなおかつ年季も入っていることからが一歩一歩がすくむ。狭い階段は登りも降りも同じ階段を使い、やや危険であるがあまり規制状態ではなかった。展望デッキでの見晴しはいいが、連日のガスで眺望はあまりよくない。旅順港は一望できるし、旧旅順と新旅順の街も一望できる。ただ、足はすくんでいるのであまり長居はせずに降りてきた。
旅順からの帰りがけに、夕食を食べに行く。今夜の料理は餃子をいただく。野菜を中心とした蒸し、焼き、水餃子の三種類をオーダする。一皿15個のオーダで、ほかにもいろんな料理を頼んでいるので4人で食べるには量が多い。しかしいずれも美味しい。大連の餃子はいずれもニンニクは入っていない。中国のそれが全部そうなのかはわからないがニンニクがほしい場合は、同時に添えられているすりおろしたニンニクと一緒に食べる方式である。ビールは青島だった。
●2013年8月16日(金)
今日の目覚めは目覚まし時計に起こされた。ちょっと疲れがたまってきているのか。朝すぐは霧が出ていたが間もなくそれも日が射してきた。大連では気候が不安定で、もともともこの3日間は雨の予報でったらしいが、ずっと天気は晴天が続いている。最後となる今日を有意義に過ごそうだ。
今日のジョギングは労働公園を走る。走り出しが、とても体が重くて少し走っただけで息が切れてしまう。少し辛抱しながら走ると少しずつ慣れてきて楽に走れるようになった。労働公園をゆっくりくまなく走る。2日目に朝走ったところでなので心配なく走ることができる。ここで改めて見ると市民が多く集い、いろんなスポーツを楽しんでいる。ゆっくりした動作で体を動かす人、長い刀を持って踊っている人、社交ダンスをする人、散歩をする人、糸巻の大きなのをロープで回している人、バトミントンの羽根みたいな大きいのを蹴っている人、同じくバトミントンのラケットを使って弾力性のないゴムまりのような球を突気合いしている人、、公園の中には数百人規模がいたように思える。毎日のことであろうがそれぞれのチームリーダが全体を先導している。
朝食後、今日はホテルをチェックアウトするまでの時間でお土産の買い物をする。ホテルの近くのデパートに行きいろいろ物色する。デパートなのでこれと言って買う物もないが、話のタネにバイチュウの小さいのを買って帰る。
ホテルをチェックアウト後、空港に向かう。1時間ほど間について荷物チェック、空港チェックイン、出国審査、手荷物検査、、と順調に進み搭乗時間までのあまり余裕ががなく手続きを済ますことができた。待合室でも無駄な時間を過ごすことなく搭乗が始まった。空港は近年リニューアルされたとのことで大変清潔であり、快適である。
搭乗後、ほどなく離陸すると思ったが、搭乗後いくら待っても出発せず、定刻15分後にアナウンスがされて、出発の許可が出ないとのこと、さらに出発予定は不明であることも同時に告げられた。座席に座ったままやることもなく、映画を鑑賞した。船を編む。。1時間遅れで離陸し成田に到着したのは30分以上も遅れて17:30をまわていた。その後は何事もなく自宅まで帰ることができた。今回の旅は大きな失敗もなく問題もなく終えることができた。