中山道(その5)京都~美濃太田

街道シリーズ第四章の中山道の最終節。方向は逆向きだが、未走破の京都~美濃太田間を8月2日、3日の両日で走破した。一年で一番暑い時期で、前々から気にしていた天気予報も晴れの一文字だったので、雨具は持たずの走りであったが、2日目は雨に出会ったてしまった。それでも最終節の目標は達成できた。
記録 2010年08月02日(晴れ)、03日(晴れ時々雨)真夏で気温が上がり不安定な天気
■当初の予定はこんな感じだったが。。

中山道  8月2日
 1年ぶりに京都駅にやってきた。昨年来たときには、北口と南口が分からなくなって、自転車を担いでなんども往復していたことを思い出した。京都は暑くギラギラと陽が降り注いでいた。京都で少し時間があるが、どこへ行くか当てもなく北方面に走りだした。やはりお寺が多く逆にどれも見る気がしない。烏丸通を北上していると嵐山の看板が目に入り、四条で左に折れた。ひたすら西にハンドルを向け桂川にぶつかる。川沿いに北上するとおなじみの渡月橋が現れてきた。金髪の人にまぎれてここでも中国の人をよく見かける。橋を渡り向こう岸にも行ってみたが、ただそれだけであまり興味がわかないので橋のたもとのトイレを借りて早々に切り上げる。ここから東に向かって走っている、、と思ったら北に向かって走っていた。実は渡月橋は南北にかけられていてこれを東西の勘違いした理由である。北に向かい清涼寺の正面にぶつかったので、右に折れた。実はこれで東に向かっているが、南と勘違いして走り続けていた。丁度京都の北の淵を東に進んでいたことになる。ここでは田圃があり、山道がありと京都らしからぬ風景が続いて、そのうち方向が違っていることに気づく。
 京都の街は碁盤の目のようになっているので間違いにくいと思い込んでいたが、それぞれの通りの名前がわからないと逆に迷子になってしまう。千本木通りに合流したが、この通りが街のどの位置なのかわからずそのまま南に下り、三条通りに交差した。相当走ったので、西のハズレに来たと勘違いして東に向けてハンドルを切った。途中、お昼になったので食事のためにお店に立ち寄り、トンカツを頼む。ついでに、携帯のGPSで今の位置を確認するとどうやら街の中ほどであったことがわかった。食事を終え今度は三条通り西に向けてハンドをとる。
中山道  三条通りは途中で商店街を通る事になり車が通れなくなる。自転車も通行禁止になることで、押して通ることにした。ひたすら西に向かうと1年ぶりに来た三条大橋に到着する。三条大橋は、東海道と中山道の起点となっていて、橋のたもとには「やぎさんきたさん」の銅像もある。ここで、GARMINのGPSカウンターをリセットして、西に向けてへ美濃太田を目指すことに。三条大橋は嫌になるほどの晴天。三条大橋からは緩やかな上り坂が続く。走り始めので結構きつい坂道に感じた。東山を越え山科に入る。山科から大津に向けてまた大きな坂道が続く。緩やかな長い坂道である。今回の行程では大きく2つの難所がありこれが一つめ。高低差200m弱であるが、暑さでやや嫌になる。特に滋賀県に入ると途端に道は山の中を走り辛さが増してくる。大津に入ると琵琶湖が見えてくるが、道路とは少し離れていて十分見ることができない。ストレスを感じながら走り続ける。現在走っているのは国道1号線で、京都から途中までは東海道と中山道と同じ道である。頭の中では、大津を過ぎるとすぐに東海道と中山道が分岐すると思い込んでいたが、大津から草津、栗東と進んでいくが1号線のまま走り続けている。だいぶ走り続けてたところで、やっと8号線の中山道との分岐である手原に着いた。ここから8号線を走り続ける。今振り返って考えると、そばに琵琶湖があって、その大きさと比較して京都からの道のり、大津からの分岐、分岐してからの大江八幡とそれぞれの距離が非常に短く感じられた。琵琶湖はそれほど大きい買ったことと思い知らされた。
 分岐して近江八幡もそんな距離には感じなかったが。行けども行けども目的地につかない。琵琶湖の淵を走っていると考えていたいたが、琵琶湖からはかなり遠ざかっているようで、道は正しいと認識しているが感覚的にはとんでもないところを走っているように思えるぐらいだ。8号線をひたすら走り続けて近江八幡市街地の看板が出てきたときは嬉しかった。8号線を左に折れ市街地に向かう。早々に今日の宿泊場所を見つけだして一段落した。
中山道  近江八幡は、豊臣秀次が開いた城下街として発展してきた。琵琶湖の水を引いた水郷が敷かれていて輸送に活用されていた様子を伺える。元々八幡城が築城され、街並みが碁盤の目の様に作られていた。現在ではお城はないが街並みは昔どおり整然とされている。近江八幡と琵琶湖の間に八幡山がありこの頂上に八幡城跡がありロープウエーで登ることができる。
 琵琶湖見たさに、八幡山の裏側に行くことにした。裏側に行くには南西方向に八幡山を左回りで裏側に向かうことになる。途中で合流したサイクリングロードに載り琵琶湖を目指すことができた。サイクリングロードの終点には長命寺があり、そこからは琵琶湖を目の前に見ることができた。
 琵琶湖も見ることができたので、一旦ホテルにチェックインして体を休めることにした。ホテルは、近江八幡駅から10分程度の場所にあり大浴場を完備したホテル。汗と埃で真っ黒になった体をお湯にゆっくり浸け休めたあとで、夕食のために出かけた。夕食を食べてかえろうと考えていたが途中で面倒になり、近くの「HEIWADO」で夕ご飯と明日の朝食を買い込みホテルで頂いた。ここではレジ袋はもらえた。

 8月3日
中山道  朝の天気はあまり良くかった。ホテルの部屋で朝食を済ませ7時前には自転車に乗っていた。世間では朝の通勤時間で道路は混んでいた。曇り空で時折、ポツポツと雨が降ったりしたがあまり気にならない量ではあった。彦根市を過ぎ米原駅前を通る。空は不安定ではあるが、気温が上がらない分楽に走ることができる。米原駅からは、21号線を使い岐阜県を目指す。途中、名神高速道と並走するところで、雨が大粒に降ってきた。高速の高架下でひと休みする事にした。雨が休憩するタイミングを図ってくれているようだ。やまぬ雨を見ていると丁度道路の向こう側に中山道の碑が目に入った。雨が上がって近づいてみると旧道の印のようで、この道を進むことにした。
 思い返せば、こういった旧街道に憧れて走り始めたのに、今では「走破」することに注力していたことに気付かされた。そうだ、こういった風景を見たかったのだ。人が生活する道路を見たかったのだ。。。国道の車中心の道路を走ってみてもつらいことだけが記憶に残るばかりだ。
中山道  柏原宿に入る。柏原宿は京都から数えて10番目、(東京からは60番目)の宿場街で、滋賀県と岐阜県の県境にもあたる。街並みも極力古い家並みを残しつつ、馬籠宿のような観光地化されずに自然の生活の場がそこに伺えた。警察や郵便局もちょっと古い格好をした形だけど実際に機能している建物でそこで暮らしている人たちを受けいれてくれていた。逆に観光客はその時は見ることもできず、タイムスリップしたような雰囲気を醸し出していた。柏原は、かつて艾(もぐさ)の生産が盛んで賑わっていたとのことである。今では静かになったがそれをもう一度盛り上げようと、年に一度、艾にちなんで「やいと祭り」が行われていて2010年で15回目を迎えている。祭りでは演芸やフリーマーケットなどが執り行なわれているという。(祭りのサイトでは、柏原の過去住人は1600人の賑わいがあったが今ではすっかり静かになって2100人が暮らしているだけ。。とのメッセージだったがちょっと逆転している事が面白い) 中山道
 柏原宿から18号線を渡ると今度は今須宿に通ずる。迎えてくれる道もそれらしい情緒のある風景である。このまま進めば文明を逆戻りしてしまいそうな道である。こんな道のほうが、アップダウンが多少あるものの、通常の国道より楽しく走ることが出来て疲れを感じない。進むと左手に、18号線の高架隧道とJR線の高架隧道を通してその向こうにお寺がみえた。妙応寺との事が後で調べて分かった。こんな道もここを過ぎた位で終わってしまう。後で地図でみると旧道らしき道がまだ続くのだが、走っている分には気づかないし、分かっていても確認が取れないのでよっぽでないと選択できない。
 垂井を過ぎた頃からまた雨が降ってきた。18号沿いのスーパーに駆け込む。「バロー垂井店」10:00ちょっと前だったのでまだ開店前で店の入口で雨宿しながら開店を待つ。その間も雨が振り続けている。バローで2㍑の水とバーのようなスポーツ食品を1つ買い込む。この店では、レジ袋をもらえないので、商品をそのまま裸で店から持ち出す。盗んでいないのだがちょっと後ろめたい気分が。。2㍑の水は、それぞれ小分けにして自転車と背負っているザックに入れてあとはペットボトルのまま持って走ったが、走っていて邪魔で仕方なく途中でペットボトルは手放した。
 大垣に入り、揖斐川、長良川を渡ると、岐阜市に入ってくる。18号線は交通量も増えて走るに気を使うようになる。歩道の整備もあまり進んでいなく、まるで自動車専用道を走っているようだ。大部分が高架の道で信号はないが、左からの合流ポイントが多く自転車の身としてはヒヤヒヤである。各務原にくると道も一般道らしくなってきて気を使わなくても良くなってきた。 中山道
 各務原を通過すると懐かしい木曽川が見えてくる。空はいつの間にか夏の日差しとなっていて、日本でも暑いとされているこの地域としては、木曽川の流れが、涼しさを感じさせてくれる。折しも川にあそびにきていた若者3人組みが岩間の間から川に飛び込んでいて、とても涼しそうだった。さらに進み例の写真館を見つけ出したところで、方向を北に向け目的地の美濃太田駅に到着する。時刻は1時過ぎと大幅に早い時刻。本当はここで、銭湯に入りさっぱりする様に予定していたが、あまりにも早くてやっていないだろう。それにしても何度来ても興味が薄い街である。喉の渇きと昼ごはんの為に3年前も来たHalloフーズにいく。前回はなぜかメキシコの食材が多く販売されていたが、今回なそんな特徴は感じられなかった。ここでも水2㍑とやきぞばを買い求める。スーパーの前の木陰でいただく。
 さてこれからの行動であるが、このままじっとしていても仕方ないので、帰りの電車賃節約のため鵜沼駅まで自転車を走らせることにした。鵜沼には名鉄が乗り入れており、名古屋に向かうには好都合場所である。鵜沼は先程きた道を後戻りする位置にある。鵜沼駅まで約50分の時間。駅前で暇そうにしていたタクシーの運転手に銭湯はないかと訪ねたら、15分先にあるのとこと。一旦は、それに従い自転車を走らせたが、道も不案内だしまたそこから帰ってくるまでに汗をかいてしまいそうなので、新鵜沼駅前のトイレで汗を拭き着替えることにした。駅前でまず自転車を輪行バックに収めた上で、トイレに向かう。最近のトイレは男女の他に個室がありそこを使った。個室には、トイレはモチロンのこと水道もあるしオムツ替えのベットもあるし、着替えるにはもってこいだ。何度が水で火照った体を冷ましたが、汗はなかなかひかない。いい加減にして着替を済ませキップをカウが丁度いい時間に急行があった、、というより後2分で出発時刻である。急いで自転車を肩に背負い出発ホームに走り込むとすぐに電車のドアは締まり動き出した。また汗をかいてしまった。
 ということで、今回で最後の中山道は無事終了した。最後はドタバタであったが、普段の調査不足と反省し、次回に役立てよう。名古屋からはのぞみに乗って新横浜についた。新横浜には6時ちょっと過ぎと巷の通勤ラッシュであった事を思い出したが事すでに遅し。周りの白い目を気にすることなく輪行バックを持って電車に乗り込んだ。


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