■トピックス
昨年申し込んであえなく抽選漏れした第一回横浜マラソンを今年の第二回は当選して走ることができた。気温が不安定な3月の中旬、当日は低い気温で寒かった。ただそれ以上に足の痛みで大打撃を受け、危うく関門時間を超えてしまうようなギリギリの状態だった。
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昨年第一回が開催された横浜マラソンは抽選から外れて走ることはできなかったが、開催当日に会場にいてカメラを片手に大会の雰囲気を味わいながら今度は参加したいと願っていた。それが今年は叶い参加できることになった。
しかしです。昨年の帯状疱疹の後遺症がまた続いていることと2月に参加した東京マラソンの後遺症から練習が殆どできず、ぶっつけ本番の大会参加となった。大会当日の天気は曇り空で気温も寒い中25,000人のランナーが走り抜けた。
当日のスタート時間は8時30分と平均的には早い時間でありこの時間に沿っていろんな時間が決まってくる。荷物預けは7時30分までだったり、スタート地点への集合時間が8時00分までだったり。当然ながら自宅からの準備は前日の準備と早朝の準備と着々と進めた。前回の東京マラソンは久々の大会でやるべきことを失念していたり時間配分が悪くて出発前にバタバタすることもあったので今回は事前準備を入念にした。
みなとみらい駅には6時少し前に到着し勝手知ったる会場に何も支障なく到着することができた。大勢の人が集まっていた。パシフィコ横浜の荷物置き場は整然として整備してあった場着替えをする場所のスペース確保が不十分で狭い場所で着替える人で混雑していた。プロデューサの坂本さんにはこういったところの工夫点の配慮をしてほしい。またスタート地点に集まったときから実際のスタートまで時間が1時間から30分あるが何のイベントもないので退屈の感じてしまう。東京マラソンでは盛んに場内のアナウンスで飽きることなく気分を高揚できていた。
定刻通りにスタートとなりに並んでいたので15分程度遅れのスタートとなったが、見送ってくれた横浜市長と剛力彩芽に手を振って走りだした。走りだしでは、いつもの知っているコースなので気が楽に走ることができた。この道はこうなって、こういけばこうなって、、と思うままの道で走りながら楽しくなっていた。しかし、それもつかの間のことだった。15kmを過ぎるころから、左ひざががくがくとなってきて痛みも感じるようになってきて、そのうち時々歩くようになてきて、走れなくなってきて、まだ半分も走らないうちに動けなくなってきた。
南部市場が中間点であり、そこに着く頃は殆ど歩いている状況であった。この南部市場に入って折り返しまでの距離が遠くていやになるパート1。体力も落ちてきて曇り空の下で風も出てきて寒さが襲ってくる。やっと折り返しをしてここからあと半分の距離を走らないといけない。
ここから湾岸高速に登る。日本で高速を走るのは初めてのこと。ホノルルではここのコースと同じように高速を走り折り返して帰ってくることになっている。これと同じ様なコース設計にしているのかもしれないが。。日本の高速道路は味気のないコースである。車専用に作られているので面白味はない。そのうえで膝の痛さが手伝って、走っているのがいやでいやで仕方なかった。高速道路の道のりは単調で長くてつらくて、、いくら進んでも出口が見えない、長い道路。
走っても走っても出口が見えない。汗はすでに引いていて逆にそれが故に体が寒く感じる。給水所にはすべて足を止め、スポーツドリンクとバナナやあんパンや梅干しやチョコレートをいただく。また持参していたSOYJOYを食べる。まだまだ続く長~い道。フルマラソンがこんなにつらいことを感じたことがない。永遠の苦労を背負ったように感じた。手袋をしていても手がかじかんでくる。大勢の人に先を譲る。いや抜かれてしまう。マラソンに制限時間があることを初めて経験した、制限時間をまじかにした関門を何とか通り抜けていく事のみじめさを初めて感じる。それでも痛い足を引きずり少しずつ前にすすむ。少し進んで、ストレッチしてると係員から声をかけられることが多くなて来た。「大丈夫ですか?」これに対しては、まだ走れるので放っていてほしいの気持ちで「大丈夫です」と返事する。
やっとのことで、みなとみらいに帰ってきた。痛い足で何とか帰ってこれた。沿道で応援してくれる人にも感謝したい。少しずつランドマークタワーの姿が見えてきた。コスモワールドを横目にゴールを目指す。その間であっても膝の痛みは続く。ゴールが見えてきた。実況しているTVKアナウンサーの声も聞こえてくる。もうすぐ制限時間の6時間30分を迎えるとの実況が聞こえた。何とか時間内に走り(歩き)終えたことに感動した。終わった、終わった。
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