メキシコへ行ったぞ〜

どうやって行ったか

 日本からは、いろんなルートがある。
日航では週便の直行便(バンクーバ経由)があり結構の込みようである。
(毎週月、木)成田発(17:30)メキシコ行(17:35)【JL012】
また(毎週火、金)メキシコ発(09:00)mexから成田着(16:55)【JL011】
がある。これ以外に北米の都市を経由するルートがある。

どこにあるか

アメリカ大陸にあり、北米を構成する国の一つ。地理的には北米であるが、認識度は中南米であり、 日本の外務省ホームページでもその認識である。確かにそのような雰囲気です。

どんな国か

メキシコ合衆国。面積は197万ub(日本の約5倍)
人口は約一億人以下で年率2%で増加していて、識字率は90%。
人口の70%が都市部にすんでいる。人種はスペインを中心としたヨーロッパ系が15%、先住民が25%、双方の混血が 60%の割合。
ことば
スペイン語。スペインの植民地時代
政治
立憲民主制の連邦共和国。1連邦区31州で構成されている。
経済
GDP 約6000億ドル
インフレ率 9%、失業率2.5%
通貨 ペソ(=約0.1US$)
産業
主要輸出品目:乗用車、トラック、原油、繊維類、自動車部品(1644億ドル/2000年)
輸入総額 1744億ドル
観光 2000万人(世界第8位)
メキシコには、「マキラドーラ(Maquiladora)」と呼ばれる輸出保税加工区がある。米国に親会社を設立し、100%出資の委託加工会社を メキシコに作る。メキシコへの資材輸入は免税され、やすいメキシコの人材を活用する事で、外貨の獲得を 進める制度であるった。この制度に絡んで日系企業が、メキシコ北部に会社を設立しているとこことです。 1965年に創設され2001年には制度は廃止されている。
食べ物
トルティージャ:トウモロコシをつぶして餃子の皮を大きくし焼いたものに、いろんな具を挟んで食べます。
飲み物は、ビールとテキーラですね。ビールの種類は多く、ポピュラーな銘柄はないのか?もしれません。 レモンを搾り、その中にビールを入れたミッチェラーダは口当たりもやさしくグイグイいけます。
テキーラは、塩をなめながら飲むとおいしいと聞きました。結構きついですが、年代ものは口あたりが 滑らかになっておいしいです。
気象
メキシコシティーは標高2,300m。八甲田山1600m、谷川岳1960m、大雪山2290mに同じ高度でありながら 緯度は20°と特殊な環境である。朝は、気温10℃以下でも日中は30℃近い気温になることもある。
雨季と乾季に季節は二分され、6〜9月が雨季にあたる。乾季ではほとんど雨は降らず、湿気も低いこと から大変すごしやすい。日中の、日向と日陰で体感温度の差が大きく感じる。
その他
 電気は110Vの60Hz日本と同じ電源プラグと同じ形状。

歴史

メキシコで最古の文明はメキシコ湾岸におこったオルメカ文明で、紀元前12世紀頃まで 遡ることができる。紀元前3世紀にはオアハカにモンテ・アルバン、中央高原にティオテワカンなど の宗教都市が築かれた。ティオテワカンも10世紀には滅亡し、その後トルテカ文明、アステカ文明が おこり各地に影響を与えていった。 一方ユカタン半島では3〜9世紀にマヤ文明が栄え、パレンケ、ウシュマル、チチェン・イツァーなどの 巨大な建造物が造られた。 1521年、スペイン人の侵略後、鉱山での労働を強いられ天然痘の流行とともに人口が激減した。 またキリスト強宣教師は固有の宗教を破壊した。
300年もの植民地時代に終止符を打ったのは1821年。これを記念してレフォルマ大通りには 「独立記念塔」がたっている。1847年にはカリフォルニア、アリゾナ、ニューメキシコをアメリカ に奪われてしまう。
メキシコシティは、その昔湖であった。

日本との関係

日系進出企業 マキラドーラを中心として444社(2001年)
在留邦人 3,800人、日系人数 15000以上
1897年中南米では最も早く移民を始めた。日本からの移民も以前行ったとのことで、先人たちが この地で日本の野菜を栽培していますので、日本の食材はたいてい手に入るとか。。

(いい話を)日刊工業新聞社のホームぺージより引用
第二次世界大戦の開戦で、日本とメキシコは敵国同士となり、日系企業の財産は接収されてしまう。 ある町の町長が、日本人は敵国人だと演説しかけた時、数人のメキシコ人老婆たちが立ちあがりこう叫んだ。 「この町の入口の橋は誰が架けてくれたのか。この町の電灯は誰がつけてくれたのか。 あの大きな学校は誰が建ててくれたのか。すべて日本人移住者ではないのか。国と国が戦争するのはしょうが ない。でも日本人の悪口を言ったら承知しない。おまえのような恩知らずが町長をしていては、 この町は栄えない。出直してこい!」 老婆たちのこの叫びを、町民全員が拍手で支持した。 中南米そして東南アジアのODA前線を回りながら、「政府開発援助とはなんだろう」と自問するたびに、 見たはずもないメキシコ人のおばあさんたちの怒った顔や、バツの悪そうな町長の顔が浮かんできた。 そして、「顔の見える援助」「顔の見えない援助」などという表現や議論の無力さを考えさせられ続けた。 「軍事外交を行わない日本にとって、ODAは最大最良の外交手段である」 この言葉に異論はない。 だが、外交とはそれぞれの国の明確な主体性があって成立するものではないのか。米国とEU(欧州連合)は、 ODA予算の増額方針を打ち出している。これは明らかに欧米先進国それぞれの政治戦略、経済戦略が 背景になっている。つまり国益戦略という主体性をベースにした方針である。 日本もODAに対する戦略をもっと鮮明にすべきである。それがたとえ欧米の思惑と対立するものであっても かまわない。それが国家の主体性であろう。メキシコの老婆たちが正直な気持ちを叫んで日本人を 救ったように、日本は本音を叫ぶべきである。欧米戦略だけがグローバルスタンダードではないはずだ。