旅行のLOG
日付 |
備考 |
3月16日(火) |
またまた朝会社で会議を行いその足で成田からメキシコへ |
17日〜20日 |
お仕事。土曜日もホテルで仕事 |
3月21日(日) |
休日はピラミッドと買い物でクタクタ |
3月22日(月) |
お仕事。 |
3月23日(火) |
最後の仕事を終え、そのままロサンゼルスへ |
3月24日(水) |
ロサンゼルス→成田 |
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■写真の入り口■
2004年3月16日(火)
成田からロサンゼルスへ(およそ9時間)
午後、会社から予定通に抜け出し成田空港へと向う
特筆することはなく、定刻に成田空港に到着した。およそ二時間前であるが、チェックインに続き搭乗手続を
早めに済せる。テロ以降なのか荷物検査や本人確認の回数と厳密さが増したようだ。出発までの待合せで2時
間で仕事の確認を行ったり、ウトウトとしたり時間を過した。搭乗前から客の多いことが気になっていたが、
B747のほぼ定員である300人近くが乗込んでいるらしい。席は、通路側の46H。既に刺青をした黒人
のにいちゃんが隣に座っている。やや不安な旅の始りである。そのにいちゃんは、Tシャツ姿のいたって軽装
の服装。「おい、寒いだろう!」・・と言っても通じないか。エコノミシートに窮屈に足を折曲げ、自前のC
Dプレーヤに手振を加えながら酔っていた。
「ジョピー」と言う名が私の席担当のスチュワーデスの名前だ。アジア風の顔立ちだから、中国人かと思った
が、名前から中国を想像できない。ベトナムかカンカンボジアか???日本語は一通り分るようだし、英語も
堪能のようだ。さきほど、お酒を頼んだら、キリンですかサッポロですかと問か掛けがあったが、愛敬ですね。
私の前の席は、男一人と女二人の日本人が座っている。絶え間なくしゃべまくり。うるさい。通路挟んでとな
りは、アメリカ人?の子供3人とおばあさん?らしき人が座っている。英語の発音が上手い子供である。
「Just little」の「l(エル)」の発音がカッコ良い。さすがに本場だ。右手のにいちゃんはあいかわらず手
振が止らない模様で、悦に入っている。
飛行機にのった場合の鉄則を教えよう。食事が出てきたらやや早めに食べて、トイレを済せる事だ。食後しば
らくすると、長蛇の列がトイレの前に出来る。私みたいに尿意を感じた後ですぐさまチキンスキン(鳥肌)に
なる人は必須の行動である。
現在、成田空港を飛立って4時間たったことで、機内ショッピングが通り過ぎた。食事を配る人とは別の人で
笑顔がやたらにはっきりしている。JALカードだったら10%値引くしますと誇らしげに話していた。
この飛行機はロサンゼルス経由のメキシコ行で、アメリカ入国手続の用紙を配っている。私はメキシコに行く
ので、入国はしないはずだが・・・っえ?いるの?少々不安な状況。これもテロの影響かしら・・
乗っている飛行機はB747−400。最新機なんでしょうか、エコノミークラスなんですが一人一人の座席
の前にTVスクリーンが備つけてあり映画、ニュース、音楽、などが自分の好で選べるようなシステムである
。おもしろいメニューとしては飛行機の前方と直下の様子がモニタ出来ることだ。大平洋上では役に立ちませ
んが、丁度サンフランシスコ上空にさしかかると直下の風景が鮮明に映し出されて興味深い。実際はかなりの
高度を飛んでいると思うが、望遠で克明に景色が映し出されている。こうみるとアメリカも山ばかりだ。しか
し、その風景もロスに近づくに連れ一変する。今まで山しか見えていなかった画面に、定規で線を引いたよう
な景色が突然に現れたとおもうと、今度はビーズで刺繍したような景色に変るこれが住宅である。そろそろ到
着だ。
不安と感じていた予感は的中した。
ロサンゼルス空港に到着した。どうやら隣のにいちゃんはスポーツ選手のようでもう一人相棒がいるようだが
背が高すぎるためか本当は私の席の隣にならんで座るところが、一人だけエコノミーシートに座れなく前列の
入口付近の席に代っていたようだ。およそ2mを越える背の高さはバレーボールかバスケットの選手のようだ
。東京と名古屋に行っていたようだ。
まあ、人の事は置いておいて、自分の荷物を受取り、入国審査を無事通過し、乗換え用の通路を抜けると、再
び荷物の検査になる。今度は荷物の全ての鈎を開け、そのまま荷物を係の人に預けた。
ここまでは、優等生の行動でした。
さて、荷物を預けた後、どうするのか?だれも預けた荷物の検査を待っているようでもない。私は何処へ行け
ば良いのか??そこにいた空港関係のおばちゃんに利いてみた。
私:「あのぉ〜、荷物をあずけたあと何をすればいいのですか?」
おばちゃん:「知らないわねぇ」「何処に行きたいの?」
私:「メキシコ、これチケット」
おばちゃん:「おぉ〜メキシコぉ〜」「だったら、外に出てバスに乗ってターミナル7よ。ユナイデッドだか
らねぇ」
どうも調子のいいおばちゃんだった。あずけた荷物の事もあるし、まさかバスに乗って移動することは考えら
れない。他の人に聞いてみよう。たまたま目があった旅行会社の日本人に聞いてみたら、エレベータに乗って
3階へ行くように教えてもらった。「そうだろうねぇバスなんかにはのらないよねぇ」3階に行ってみる。カ
ウンターがあった。カウンターでチケットをみせたら、「ここはJALよ、あんたは〜ユナイテッドね、だっ
たらターミナル7よ」。あのおやじは嘘つきだ。おばちゃん正しいかった。ところで、ターミナル7はどこ?
。カウンダのおねえさんに聞いてみた。「右側よ。」とそっけない。
ひとまず建物の右側に歩みをすすめると程なく行止りである。なあ〜んだ誰を信じればいいのか!時計をみた
ら11時を回っていた。到着したのが9時過ぎで、あれこれもう2時間も時間がたった。乗り継ぎの飛行機は
13:15だからそろそろ時間である。きょろきょろして日本人を探し、ターミナル7の場所を聞く。その人
によると、一旦建物から出て、右側にターミナル4、5、6・・とあるから分りますとの事でした。たしか
に建物を出てみると容易にわかったが、とんでもなく広い空港であることも分った。最初のおばちゃんがバス
に乗って行けと言ったのが分った。ターミナル7は一番は遠いところにある。少し時間もあるので、歩いて行
くことにする。
「へぇ〜アメリカだぁ〜」と行き先が分った事で少し気が楽になり、空港の景色を眺めながら目的の場所へ足
を進めた。気温は暑くもなく寒くもなく、4月ころの気温で歩いていてとても気持が言い。およそ1Kmくら
いを歩きやっとチェックイン出来るかと、カウンターに行くと「ここじゃないわよ、このフライトはメヒカー
ナとのコードシェアだからメヒカーナのカウンタに行って!」っえええぇ〜、また違うわけぇ〜。もう時間が
ないだろうに。「何処に行けばいいの?」「ターミナル4の向こう側よ」じゃあ、結局元の場所じゃないか。
また1Kmを来た道を戻ります。歩いてね。
今度は景色を見る余裕はなく、のどは乾くし腹は減ったし、肩の荷物は重いわで、ちゃんと案内をして欲しい
モンだと、空港への不満をつぶやいていた。結局みんな正しいことを言っていたのだ。落し穴は、コードシェ
ア便だった。元来た場所で、メヒカーナのカウンタを探しチェックイン完了。そういえば、荷物はどうなるの
?しかも鈎を開けたままなのに。カウンターの人に聞いてみた。「メキシコまで乗せて行きますので、手に触
れることは出来ません」あっそーですか。
いろいろ散歩したので、時間がなくなり腹減ったけどガマンしてそのまま搭乗続を済せた。ここでまた、手荷
物検査が始りました。今度は、より厳密に行われています。ベルト、ズボンの前ホック、靴のヒモ通しの穴、
金属であれば全てがチェックされます。残時間は30分位。やっと落ち着ける。待合場所のベンチに腰を落す。
3/16ロサンゼルスからメキシコへ(およそ3時)
今度の飛行機はA320の小ぶりのです。それでもほぼ満席に近い乗客で、す。隣の人はメキシコ人と伺える40位の夫
婦です。飛行機が飛立ちすぐさま二人とも眠りに入りました。他にめをやると大体みんな寝てます。私も眠くなっ
て来た。いま日本時間の朝7時。ロスでは午後22時です。あまり寝ていないので、徹夜明の気分です。
いま、客室アナウンスで、昼ご飯の案内がありました。3時間のフライトでも食事が出るんだ、うれしい。タコスか
なぁ。
メヒカーナのスッチーは愛想が悪い。しかめ面で口もとが険しい。「鳥それともパスタどっちにするの食事はぁ
〜」ってな雰囲気でした。ビールとパスタでご飯を頂きほろ酔い気分です。
到着しました。成田を出て17時間、やっとの事でメキシコに着きました。ところがここに来て、ひとつ苦労
したことがありました。イミグレーションまで長蛇の列が続いています。殆ど同時に複数の飛行機が到着した
せいでしょう。列に並んで、イミグレーションを抜けるまで1時間以上も掛かったと思います。いらいらした
ことから時間が掛かった様に感じたかもしれませんが。それから食事をしてひと風呂浴びて、メールをチェッ
クして寝る準備が」出来たのが1時過ぎました。眠い。
ながい一日が終わりました。
3月23日(火)
おわった〜
仕事も無事終り、帰国の途に着きました。
ここまでの粗筋は以下の通です。(メキシコからの飛行機で書いています。)
メキシコの滞在は日曜日を含む7泊8日でした。
時差の関係と仕事の忙しさから前半の日程では睡眠時間が十分にとれない状態でしたが、気がはっていたため
か生活は普通に過せました。夜はとにかく睡眠が浅いことと眠りに着くまでの時間が掛りました。朝は、ホテ
ルのバイキング料理を数回頂きましたが、馴染のない食物で食欲がなくなる状態です。その中でも、パンはお
いしく頂けましたので空腹の思いはしませんでした。昼ご飯は、外食ばかりでとにかくローカルの食事を心掛
けました。タコスはもちろんの事魚、肉、サンドイッチとチャレンジしました。
ここでの生活で特徴的なのは、昼ご飯でしょう。その、ご飯の内容というより時間です。世界でも一般的な時
間は12:00からですが、ここでは通常2:00〜4:00との事で、訪問した会社では1:30〜2:3
0の時間でした。したがい、朝ご飯を食べて昼ご飯までに時間が結構長い。逆に昼ご飯から夕食までの時間が
短いことから残業しがちです。会社の周りの飲食店外もファミリータイプのレストランではあまり顕著ではあ
りませんが、高級なレストランとなると3:00を過ぎないと客はほとんど入って来ません。内容はあまり変
りませんが、強いて言うなら食事を注文すると必ずパンが出て来ることでしょうか。それも突合せのように、
パンとタコスの乾いたのやクラッカーのようの物が出て来ます。
時差にも慣れた後半では睡眠も十分採れるようになり、その上仕事の見通も出て来たことで時間に余裕が出来
るようになるほどでした。食事は相変らず口にあうものは少く、タコスがゆいつの楽しみぐらいです。ただ、
タコスには○がはいっており、「おなら」が腹にたまって、我慢していると腹がいたくなるほど・・・。
全体を通しての感想は、言葉の問題が一番なさけない点でした。
メキシコからロスへの帰路はメキシコのチェックインで指示された搭乗ゲートがぜんぜん違っていた事くらい
・・?最初に指定された搭乗口でいくら待っても搭乗予定の案内がなく1時間ほど前に再度係員に聞いたとこ
ろ、とんでもない場所へ行くように指示された。私だけでなくその他の人もそうだった。いいかげんな人達だ
。
ロスへは、何もなく到着することが出来た。機中で疲れが出たのか、3時間くらいの間は、食事をする以外は
ほとんど寝ていた。ロスについて、本日宿泊のホテルに向う。出発前から初めてであったためやや不安であっ
たが、メキシコに向う時に振回されたので以外と自身が出ていた。ホテルのシャトルバスもあまり待つことも
なくピックアップしてもらい、ホテルチェックインも問題なかった。
ホテルは、「フォーポイントホテル・シェラトン」。一泊99ドルの良い値段であったが、年代もので設備は
それほど良くなかった。テレビを付けてみた。リモコンのスイッチのPowerと書いてある緑色のボタンを押す
。一旦画面が出た瞬間、電源が切れる。もう一度押してみる。また画面が瞬間現れて、電源が切れる。なんだ
これは。何度かやりなおす事数回、画面が出た瞬間に、チャンネルのボタンを押してみると今度は電源が切れ
ずに画面が写り続けている。チャンネルを回してみてもおもしろくない番組ばかりであるが、一人で部屋にい
るには淋しいので、テレビは付けっぱなししておいた。時間は6時を回っていた。
何もすることもないので、夕食を食べに出かける。テレビは付けたままにする。ホテルの一階にレストランは
あったが、一人で行くのもつまらないので外に出てみた。ロサンゼルスと言っても、空港の目と鼻の先で、何
もない。ホテルを出て見回すと、Bugdetとavisのレンタカー屋さんとmariott、ルネッサンスホテルくらい、あ
とは・・見渡してもそれ以外を見るには歩き回らないとわからない。少し躊躇したが、足を踏出し食事の出来
る店を探した。
車社会のアメリカだからか、誰も歩いている人はいない。逆に歩いていると目立って車に乗っている人がこち
らを見る。程なく歩いていると道路の向い側に「BargerKing」が見つかった。自分にとっては絶好の場所であ
り向いまで、道路を横断することを考えたが、片道3車線くらいの道であり走って渡るにはリスクが高すぎる
。信号を探し規律良く従う。メキシコと違ってみんな行儀が言い。信号を渡ったところにコンビニを見つけた
。コンビに風の酒屋さんで、ワイン、ビール、ウイスキーが並べてある。傍には、ポテトチップやポッポコー
ンのジャンクフードがならべてあり、お客は2〜3人はいていた。買うものは特にないが、キョロキョロして
いると刺繍の入った皮ジャンをきたイカツイ格好のお客が目に入り途端に殺気を感じた。ワインとピーナッツ
を買い求め店をでた。
バーガーキングに入った。お客は家族連と2〜3名くらい。カウンターの上に大きな写真に載っているメニュ
ーをしばらく眺め、チキンバーバーセットを指差しでたのむ。ただし、コークはあまり好きでないのでコーヒ
に代えてもらう。5ドルくらいの値段。席について食べていると、南米風の若い2人つれのにいちゃんが入っ
て来た。よく、テレビで見る凶悪犯ににている。目を合わさないように食事を済せ、ホテルに戻る。
ホテルのロビーでは、JAZZの演奏が始っていた。ちょっとしたコーナーにおじいさん3人がウッドベース
、Gibsonのセミアコーステリックギター、フルートを始とする管楽器を携え、リズミカルな演奏をしていた。
席も空いていたのでビールを注文して小一時間聞入った。その3人を知合のお客もいて合間合間に話を交して
いる。言い気分。
部屋に帰って来て、明日もそんな早い時間のフライトではないが、何もすることがないので寝ることにした。
時間は9時頃。ロサンゼルスはカリフォルニアで気温もあたたかいとの認識だったが、やや涼しいと感じた。
いままで付けていたテレビを消す。消しても又付いた。緑のボタンを押して消す。また付く。今度は消えない
。何度も消しても消えないので、音量を最小にしてそのまま寝ました。
ホテルから空港へ向う。ホテルのシャトルバスを降りるときに運転手に荷物を下ろしてもらい、目がチップを
要求している。アメリカでもチップいるのかなぁ・・用意していなかったので慌てて財布から出したのが
10ドル札。その時は残念だったと思ったが、良く財布を見るとそれ以外は20ドル札であった
ため、まあ、良いかと・・。
ロスでの搭乗手続は、メキシコに向う時にもそうであったように、厳重な手荷物検査とボディーチェックがあ
った。体に身に付ける金属は全てカバンの中か備付けのプレートに出して、X線チェックをおこなう。ベルト
、靴、財布全てである。
今日は水曜日。なのに日本行きのJL062便はほぼ満員の状態。こんな怪しい世界情勢の中みんな何をしに
来ているんだろう・・・・・
さて、乗込むか。
座席は64Kで、ほとんど最後部席の窓側。本当は通路側を希望したのだがあいにくなかったらしい。3時間
前のチェックインで希望の席が空いていない・・本来は3列席であるが、64からは2列席になっている。離
陸までと離陸した後それぞれウトウトとしている。飲物に「お酒」を頼んで久々の日本人モードに切替えまし
た。ロスを飛立って2時間弱が過ぎアメリカ大陸を北上していた空路も太平洋上へと進路を変え高度9800
m、速度807kmh。約10時間ちょっとの日程である。それにしても後に座っているフィリピン人の話声
がうるさく耳に着く。気にすればますます気になる。
成田に着くと小雨の天候で、気温10度とのことで、メキシコ、ロスと10度以上も差があるようです。成田では
最近のテロ騒から警備がとても厳しく、警察犬や警察官が何人もいて、不審な荷物やゴミ箱などに注意を払
っています。ああ、かえってきたんだなああ。
これで今回の旅は終りです。
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