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なぜかリンゴを食べている姿をよく見た
ドイツ人が、街中で歩きながらリンゴを食べている姿をよく見る。しかも、どうやら煮たやつのようで、「シャリシャリ」ではなく すするように食べていた。どうしてか・・・?
電柱がない!
無いと無いことに気が付かないですね。撮った写真を見直すと、やはり電柱がない。きれいな街並みに無いのは最近の 日本でも良くあることですが、田舎の一本道に行っても電柱はありません。もしかしたら何処かで見落としたかもしれませんが 記憶には残っていません。だから、街がすっきりしてきれいなんでしょうね。
郵便局
空港にも郵便局がありました。そこで、絵はがきと切手を買って、日本へ手紙を出しました。日本の郵便局と違って コンビニのようなスタイルで、自分で絵はがきを選んで、レジに行くと「これ出すんですか?」と聞いてきた。「はい。」 と答えると切手も一緒に売ってくれる。最初は、ふつうのお店かと思っていたら、郵便局でした。日本もこれくらいオープンだったら 良いのにと思います。
トイレは大抵有料です
駅や美術館などの公共の場ではトイレは有料です。一回当たり30〜50円位でしょうか。小銭になれていない日本人は トイレの前で、財布からジャラ銭を手に出して、「これと、これで。。30」とワンタイミング遅れてトイレに入ります。早めに 行きましょう。
コイン
ドイツはユーロです。紙幣には5,10,20,50,100、200,500ユーロの7種類がありますが、通常の生活では50以下が中心 ですから4種類になります。これは日本の1000,(まだ、2000円は見かけませんので)5000,10000円の3種類とあまり変わりません。 ところがコインがくせ者です。2、1ユーロ、50、20、10、5、2、1セントと8種類もあります(日本でも5種類ありますが。。)。 特に、「2」の単位は日本の生活に無い為、使うのが大変難しく思います。単に、20セントなら頭を使いませんが、70セントとなると 「20セント2枚と10セント1枚」。これに50セントや5セント、1セント、2ユーロ混ざった財布からではなかなか探し出せません。 おしっこもらします。
交通信号
自動車用の信号機は 青→ 黄→ 赤→ 黄→青の順で変わるため、解りやすい。 歩行者用の信号機は青→赤 →青であるが、途中青の点滅が なく、歩いているとたんに赤になるためついつい走ってしまう。しかし歩行者は結構信号無視をしている。
喫煙率
多くの人がタバコを吸っている。特に目についたのは、女性が歩きながら吸っている光景に出くわした。少し 偏見があって目に付いたかもしれないが、吸い終わると道路にポイすてです。もともとドイツでは自動販売機は あまり見かけませんが、電車の切符とタバコのはよく見かけます。
午後の過ごし方
街で見かける、テーブルとイスに腰掛け、べたべたしゃべっている姿をよく見かけます。大抵ビールを飲みながら。 一度我々もこれを試みたが、注文の方法が判らず、10分位あいたテーブルに座っていましかが、店の人が来なくそそくさと退散しました。 どうやら根気よく待てばよかったようです。しかし、平日なのにみんな何しているんだろう?????
自転車の生活
よく自転車を見かけます。街中であれ、電車の中であれ、駅前であり、車の上や、キャンピングカーの後ろや いたるところでよく見ます。道路には大抵自転車専用レーンが設けてあるように、便利な足として使われている ようです。
服装
8月の真夏である今時分でも、上着を着ている人や、長袖の服を着ている人をよく見かけます。朝夕は薄ら寒い 時間もあり、日中でもうっすら汗をかくぐらいで、とてもすごしやすい。ミュンヘンの方がベルリンより4〜5℃気温が低い様です。
物価
日本とあまり変わらないと思いました。比較的つつましい夕食でひとり600円くらいの値段です。ミネラルウオータの2リットルが 約150円くらい。特に安いもの高いものは発見できていなません。1ユーロ100円と換算して生活すると 違和感無く生活が出来ます。実際は1ユーロ122円くらいなので、若干高めの値段かもしれませんね。
言葉
当然ドイツ語が中心です。私は全然ドイツ語が出来ないため、ちょっと困ります。せめて表示なんぞは英語で補足してもらえると 助かします。駅の案内、切符の自動販売機、案内表示、アウトバーンの表示など公共の場合でもほとんどドイツ語だけです。 ドアの「押す」「引く」までもすべてドイツ語です。これでは外国からの旅行者には不親切です。しかし、大抵のドイツ人は 英語が理解できるようで、何処に行っても英語で話しとおせました。(ベルリンのホテルの近所にあったイタリヤ 料理の兄ちゃんは英語が通じませんでしたが・・)
電車のドア、バスのドア
開くときはすべて手動なのです。電車なんかに乗ってて次で降りようとして、思わずドアが開くのを待ってしまう。 バスも同じです。公共の交通機関はそんなに多くに人が利用していないので、ドアが勝手に開くと冬なんかは寒いんでしょうねぇ。 合理的かもしれません。
バスの降車時には、ドアがある左側に車体が5〜10Cm傾くんです。それで乗り降りが楽になるとの配慮です。驚きました。バスにもちゃんと 車椅子用のスペースがあります。乳母車もこのスペースを使います。
道路でのエンターテイメント??
ミュンヘンでもベルリンでも見かけた、動かない人間。 それと駅前の小銭を稼ぐ人達が非常に多い。貧しいわけでもないのでしょうが。(右の写真。ほとんど動かない人です。お金を上げるとお礼をします)
傘を刺さない人達
日本に比べ降水量は多いとのことですがあまり傘を刺している姿を見ません。天気が悪い日でも傘を持っている人はほとんどいません。 濡れている人は見かけました。
いつもと変わらず朝5時に起床し、出発の準備を進める。昨日用意した荷物の積み込みが中心です。 忘れ物がないかに注意しながら荷造りを進めます。朝6時ころには、準備を終え息子を起こしに行く。 昨日も遅くまでバイトに行っていたためやや心配な心持で部屋に向かう。やはり爆睡状態。何とかたたき起こし、 6時30分には出かけられた。なが〜い一日の始まりです。
値段の最も安い、田園都市線を使い水天宮へ、T-CATの道順で一路成田へ向かう。全然順調な道のりで集合時間の 10時15分の30分前には到着した。団体カウンターでの手続きは、おそらくわれわれ一組だったのか、待ってま したとばかりに受付を行っていただき、「ハイ、いってらいっしゃ!」。
ルフトハンザLH715便(エアバスA340)は定刻の12時15分に出発した(どの時点が出発を言うのかが いまだ判らずにいます)。飛行機の中は、ほぼ80〜90%の満席率で、老若男女、いろいろいます。 離陸後まもなく上映されるTVニュースはドイツ語と英語で、何言っているかさっぱり判らない。スッチーは日本人2名と でかいドイツ人がたくさんの人員構成です。
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成田→新潟→ロシア→シベア→フィンランド→ヘルシンキ→バルト海→スエーデン→ベルリンと上空を 通過しながらミュンヘンへ直行です。途中、あまりおいしくは無い昼食、おやつ、夕食を出され、合間に に映画を3本上映。暇つぶしには、もってこい。それにしても12時間は長い。<飽きた>が過ぎで稚内 位になった時に、定刻よりも30分早く、ミュンヘンに到着した。
ここまでは、ほとんど順調そのもの。旅なれた?私としては息子に鼻が高い。
ミュンヘン空港からは、電車<Sバーン>でホテルのあるミュンヘン中央駅に行きます。ここからあたりから 勉強不足?の成果が出てきました。切符の買い方が判らない。自動販売機はあるものの、 すべて「ドイツ語」 ですから、何が書いてあるかわからない。日本のように路線図があって金額がかかれているわけでもなく いくらの切符を買えばよいかもわからない。5分ほどあれこれ悩んだ挙句、そばで見つけた有人のチケット 販売の列に並んで、買い求めることができた。それにしても、自動販売機は全部で4つ、切符売りのひとは 3人しかいないのに、待ってる人もまばらで閑散としていることに驚きました。
切符を買い求めたあと、ホームに向かいます。電車はすでに入線しており、ガラガラの状態です。東海道線 のようなボックス席にすわり一安心したところで、切符売りのおばちゃんが言っていた「パンチ忘れないでね」 の言葉をなんとなく思い出しました。そうだ、ドイツでは改札が無い代わりに、自分で改札の日付を タイムカードのように刻印しなければならないのです。それがどこにあるか?きょろきょろ探しても判らず 電車に乗って入り人に聞くと、丁寧に「外にある」と教えてくれた。一人で、刻印しに行ってこようとも考えたが 虫の知らせで、子供を連れて、電車から荷物を抱えおり、パンチ機を探している間に、電車は音の無く出発 してしまった。<セーフ>
再度乗りなおした電車も、ガラガラの状態でしたが、止まる駅毎に人が増えてきた。そう言っても、日本と 比べると全然ガラガラの状態です。電車は畑の中をひた走ります。ここでは、とうもろこしと麦の畑が延々と 続きます。途中の駅も寂しい状態です。
大きな荷物を抱えたままなので、一旦ホテルへ直行です。歩いて5分くらいですが、道が石畳ですから、 トランクを転がすにはとても不向きです。いいかげんな地図を手にホテルを探しましたが、容易に見つける ことができた。このホテルは、出発前にインターネットで調べると悪評が掲載されていたので、あきらめてい ましたが、やはり、がっかりです。エレベータは今にも壊れそう、廊下は自分で電気をつけなければ 真っ暗、なんとなくうす暗い部屋、TVは有料、石鹸やシャンプーも置いていない。せめての救いはバスタブ があったこと。小さな冷蔵庫があった事(あたりまえか?)。
飛行機で散々食べてはきたが、やはり腹が減ったのと、水や少しの買い物のために、荷物整理もそこそこに 出かけることにした。中央駅から少しの場所のため、歩いていけることが楽です。午後7時ちょっと前なのに 太陽はまだ出ている。(日本では夜中の2時です)とりあえず、駅に向かい明日のレンタカー手続きのために 場所を確認することにします。日本で言うと地方の主要駅って感じでしょうか、思ったよりも大きくなく、人も そんなにいるわけでもない。レンタカー屋はすぐに見つけることができた。次は買い物と腹ごしらえです。
日本では、コンビニが多く見かけられ、そこに行けば何でも手に入ることが常識ですが、ここではそれが ありません。水は、駅の地下で買うことが出来、いっしょにビールも買った。ホテルにティッシュペーパが無いので それを探したが、一向に見当たらない。そうこうしているうちに、店じまいをする光景が目に入ってきた。まだ 外は明るいのにもう閉めちゃうのか?時計をみると8時をすぎている。
じゃあ、こうなったら夕ご飯だ。駅前をうろうろしていると、サンドイッチ屋があったので、そこで腹ごしらえ。サンドイッチ 2つとポテトフライにコーラひとつ。記念にのこる最初の食べ物は、ジャンクフーズでした。
ホテルに帰り、風呂に入り明日の予定を考えているうちに眠くなりお休みです。日本時間で土曜日の午前5時 になり、結局24時間起きていたことになった。その後は、爆睡です。
定例報告 何をしたか 使ったお金 歩いた歩数 成田からミュンヘンへ 12,292円
40.75ユーロ13,241歩 長い一日であった
朝は、早くから目がさめてしまった。時計をみると午前3時。もう少し寝ようとがんばったが ちっとも眠れない。しかたないから、ホームページ作成に取り掛かる。午前6時前ようやく 空が明るくなってきた。6時45分からの朝食に間に合わせ身支度を整えた後、息子と 一緒にホテルの食堂へ行く。パン、ハム、チーズが数種類用意されたバイキング形式の 朝食です。特にパンはいろんな形がありどれもおいしく食べさせてもらった。昨日Sバーン からみた畑に麦畑がたくさんみえたが、そのせいか麦製品はとてもおいしい。
早めの朝食をいただいた後、早速ミュンヘンの見学に出かけました。このホテルは 駅から近く、かつ中心街へも歩いていけるため非常に便利である。旅行ガイドを片手に まだ早朝の街へ「シュッパーツ」。
ガイドブックどおりの建物、街並みがそこにはあった。市庁舎、教会、噴水、市電・・・。 教会は写真で見ると、何のことは無い教会ですが、近くでみるとその大きさにびっくりです。 恐らく撮った写真ではその迫力は出せないと思いますがそれは驚きです。 昔の人の偉大さに敬服した。
観光地と言うともあって、朝早くからいろんな人が出ている。東洋人が多いかと想像して いたが、やはり西洋人(国籍はわからない)が圧倒的に多い。すこし、韓国人がいたぐらいで 日本人はほとんどいなかった。観光の途中でマクドナルドで用足し。街には公衆便所が あまり見当たらない。
二時間ほど見学した後9時30分過ぎに、あらかじめ予約していたレンタカーを借りに駅まで 向かう。オフィスは昨日下見していたのでスイスイと到着した。受付のおばちゃんに必要書類 を見せて、手続き完了。キーをもらい車がおいてある別の建物の地下4階まで向かう。てっきり 係りの人がいると思ったら、誰もいない。キーにかかれていた車のナンバーを頼りに 車を探す。「コンパクト」クラスを予約していたのだが渡されたキーはアウディであり、実際に 見つけた車は、Audi19TGL?という、ディーゼルのワゴンである。日本では2000CCクラスの 大きさで、しかもマニュアル車。どうも新車の様でに匂いがそのように感じた。
エンジンをかけ、車の使い方を調べたあと、駐車場の中で10分間練習をしたあといよいよロマンティック街道へ出発です。
なれない、右側通行とマニュアル車に加え知らない道と三重苦を抱えた不安な出発ですが、 天気は最高で風も気持ちが良く心うきうきでした。最初は・・・・・。
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息子のナビゲータで市内を抜け、アウトバーンを使い一路ローテンブルクへ向かう。市内では まだ運転に慣れていないので、まっすぐ前を向いて運転していましたが、アウトバーンでは 少しなれてきたせいか、周りの景色に堪能する時間を過ごせました。誰もが知っている時速制限が無いアウトバーン。私も飛ばしました。180Km。どうだと自分に酔いしれていると、後ろから別の車に煽られ、そそくさと右側レーンに引っ込みました。アルトバーンは日本の丁度中央高速って感じですか、山の中を片側2車線の道路です。週末でもあり、キャンプ用品 を載せたワゴンを牽引した車や、カンピングカーを多く見かけました。また、これらの車は スピード制限があるのか、ゆっくり走っているため、最初は、家来のようについて行ったのですが そのうちなれてきたころから、追い越すようになりました。
昼食は、アウトバーンにある、サービスエリアみないな場所でいただく。結構狭い場所なのに そんなに人が入っていなく、食にありつくことができました。チキンとソーセージとパンです。
ローテンブルクへ行くには、このアウトバーンの出口「108」を降りて。。と思ったら、ちゃっかり 見過ごしてしまい、次の出口「107」まで行ってしまった。ちゃんとリカバリーしないと、気が焦るあまりに 「107」で一旦出たものの、反対方面のつもりで入った入り口が、先ほどと同じ方向だったため、 次の次「106」まで行くことになった。時間のロスだ^^;;;。
アウトバーンからローテンブルクのお城があるとことまでは、地図が無く何とかなるだろうと 考えていましたが、なんともならず、道に迷ってしまいました。およそ30分ほど、あーでもない こ−でもないと回ったあと、やっと見つけ、駐車場を確保した。
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この場所は、全体を城壁に囲まれたきれいな古い街並みで、訪れた人たちを堪能させてくれる。 持っていったカメラでバチバチ写真を取りまくりましたが、どこをみてもきれいな街並みで、 いいかげん飽きるくらいです。この時点で3時でした。
一時間ほどローテンブルクの見学をしたあと、ロマンティック街道を南下して次の街である ネルトリンゲンまで行きます。このロマンティック街道とは、実際にはいろんな道を論理的に つなげた道の集まりで、田舎の道もあれば、高速も含みます。面白いことは、所々に ロマンティック街道である標識が出ているのですが、日本語の表記もしてありました。
ガイドブックでは、ロマンティック街道そのものガイドは無かったのですが、走ってみて 判りました。すばらしく素敵な道路です。九州のやまなみハイウエィと北海道の田舎道を 掛けたような感じです。(いずれもわすれましたが・・)どこまでも続く、とうもろこしと麦の 畑、時折見る木々、緩やかな起伏の大地、空の青さとあわせた風景に車を何度も留め 堪能しました。写真ではこれは伝わらないだろう・・・
ネルトリンゲンに着いたのは4時を回ってました。ここは、昔隕石が落ちその場所に街を つくり城壁をめぐらした珍しいところです。とは言っても、空から見ないとこれを 確認することはできませんけど。ここはもちろんきれいな街並みであり、街の中心には 背の高い教会があります。30分くらい見学した後、そろそろ帰ることにします。
せっかくきたのだから、十分堪能しなければ。。。の思いが、本日の日程を大幅に 狂わせてしまった。本当は後もうひとつ訪れる場所を予定していたが、あきらめ このまま帰ることにしました。
再びロマンティック街道を南下します。ここらあたりまでは、非常に楽しい旅行でしたが これからが悲惨です。ロマンティック街道を南下し、途中アウスクブルグを経由して ミュンヘンに向かうところを、アウスクブルグを通し越し、次の街まで行ってしまったのです。 これをリカバリーしようと、またまた間違った道に入り、ここがどこやら判らなくなった。 ナビゲータの息子もあーだこーだと言いますが、なかなか糸口がつかめません。時刻は 6時ころです。幸い日が長いこの国ではまだ、太陽は高い位置はありますが、明るい うちに帰りたい気持ちでいっぱいです。道路に出ているとおりの名前や道案内の 看板を手探りに地図とにらめっこ。なんとか道がわかり、修正することができました。 しかし、アウスクブルクからミュンヘンまでは近いと考え、高速ではなく一般道を 使って帰ろうと考えたのですが、なんと50Kmもあることが判り、やや焦り気味で走りぬけました。
それが災いだったのでしょう。昔の道ですから、単なる一本道ではなく、左に分岐したり 右に分岐したり、大きい道だったり、細い道だったり、寂しい道もありました。それらは すべて道路の案内板を見ての進路変更です。見失うとリカバリーは難しいでしょう。 そうこうしているうちに、太陽は地平線に沈んでくる。早くしないと暗くなる。看板は 見えなくなる。道路には街灯がほとんどありません。そのうちに、最悪の事に雨が 降ってきました。周りも時間とともに暗くなり、対向車線の車のヘッドライトに照らされる 反射した路面、雨しぶき、おまけに朝からの疲れが加わり、ヘレンケラー状態です。 「これも楽しい旅の醍醐味だ」と負けをしみを言いながら運転する本人はくたくたです。 これで、事故を起こしたらどうし様も無くなるので、さらに注意を払って運転です。
午後9時半、やっとのことでミュンヘンの市内にたどり着き、一安心です。ここからは 道路標識は当てにはできません。私のホテルへの案内板は無いのです。ミュンヘン 市街の地図を目安に走りつづけます。昔からの道であり、いたるところで、交通制限 があり、この当たりだと思う道にたどり着けません。ぐるぐる市内を回ることになります。 「っあ、ここ、これを左に行けば・・」「っあ、この道、この道だよ」「何でここ直進できないのか」 「っあ」の連続です。同じ道を何度もとおり学習した後で、やっとの思いで、ホテルに着きました。 10時を回っています。駐車上はホテルの地下と聞いてましたが、なんとシャッターが下りている。
ホテルの前の道に、「平日の8時から16時は2時間以内の駐車可」の標識が出ています。 自分なりに解釈すると、休日はいつでも駐車可となるので、ここにとめよう。
アウトバーンで採った昼食以来無いも食べておらず、腹が減っているが食べる元気も無く、そのまま ベットへ直行。時間は10時30分でした。長い2日目が終わった。爆睡。
定例報告 何をしたか 使ったお金 歩いた歩数 レンタカーでロマンティック街道 22.88ユーロ 19,229歩 道に迷い、暗い中をホテルにやっとたどり着き、夕食もしないで爆睡
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昨日の疲れとは別に、体は午前5時には起きてしまう、悲しいサラリーマンです。窓をあけると その路上には、私の借りている車がちゃんと路上駐車してあります。朝起きるとあめが降っている。ちょっと 残念。ここは、日本に比べて降水量が多いとの事なのでしかたないかと思う。
まずは昨日の事を記録するため、PCに電源を入れて、カリカリと書き込む。あまりにも多くの経験をしたので 書くことが多く2時間もかかってしまった。昨日疲れきってベットに入ったため、洗濯していないし、 風呂にも入っていない。息子を起こし、まずは朝食に向かう。昨日と同じメニュー。食堂の係りの女性が コーヒーを片手に「カフェ?」と聞いてくる。「Yes, Please!」われわれが日本人なので短縮した言葉で 言っているのかと思うと、誰にでも「カフェ?」である。「コーヒーいかがですか?」とちゃんと聞くのが礼儀だろうが ここでは、教育していないのか。
部屋に戻り、風呂に入り洗濯をして、出発です。今日はロマンティック街道を南下する計画です。
「イノバンシュタイン城」を見に行きます。このお城は、シンデレラ城の見本になったといわれる きれいなお城です。朝車のエンジンを掛け地図を確認し午前10時の出発です。昨日の経験を元に、あまり 欲張りせずに堅実な時間計画をするため、できるだけアウトバーンを使います。今日は、 少し時間が早いせいか道路がすいています。昨日もそうですが、道路は基本的にはスイスイです。渋滞も 一般道でもありませんし、アウトバーンでも遭遇していません。特に今日はガラガラです。(日曜なのに) いきなり140Kmで飛ばしていきますが、私の左側を猛スピードで走り去る車が何台もいることは昨日と同じです。
アウトバーンからロマンティック街道に降ります。すると風景が一変します。どこまでも続く大草原に牛が草を食み、 所々に大きな木が点在しています。「WindowsXP」の壁紙が目に入ってきます。そこそこで車を止め、写真を バチバチとります。こんな風景があるとは、ガイドブックに書いてなかった。古城や教会もきれいだけど これほどきれいな風景はないと感じます。やはり自然に勝つ方法はないでしょう。
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途中で、車の食事をします。この車はディーゼルなので、軽油です。現在3分の1の残量ですが、田舎道のため どこにスタンドがあるか判らないので、早めの給油をすることにします。小さな街で見つけたガソリンスタンドで はじめての給油体験をします。車の燃料キャップをとり、給油レバーを手に持ち、ガツンとぶっ刺します。 気持ちでは、「ガチャン」を想像していましたが、「カツン」の感触です。レバーを握り「ウンウンウン・・」と軽油が 注がれていきます。「カチン」と止まったら満タンです。店の中にいるおじいさんに、お金を払い終了です。意外と 簡単でした。
再びロマンティック街道を南下します。ドイツの街は、基本的に農業や牧畜が中心なんでしょう。広い畑や牧草の 中に、ポツリと街があります。中心にはたいてい高い塔の教会があり、その周りに民家が立てられています。 どの民家も示し合わせたように、オレンジ色と茶色の中間色の三角瓦屋根に、白い壁の家ばかりです。 そのため、草木の青と非常にマッチしたコントラストになり、きれいに見えます。土日のせいか、畑ではたらく 人は見かけませんので、余計に絵になる風景です。これは写真では撮れないので、目に焼き付けて帰ります。
目的地はフュッセンという街です。有名なお城であるルートヴッヒ二世が建てた 2時間ほど車で走ると、イノヴァンシュタイン城が山の中腹に見えてきました。写真で見るのは航空写真が多いので きれいな印象でしたが、直接目の前で見ると確かにきれいですが、感動が半減します。先ほどの草原の方が 感動しました。イノヴァンシュタイン城は太陽の位置にありカメラで撮るのは逆光です。ちょっと写真写りが心配 ですが、バチバチいただきました。
このお城のふもとは、さながら観光気分を盛り立ててくれるお土産物屋さん、食事どころ、観光馬車、 大きな有料の駐車場があります。今までこのような観光地は無かったので、ドイツでも箱根でも同じ ように感じました。ここには、ドイツ人をはじめ韓国人、日本人、イタリア人、☆▲□人などいろんな人種国籍の人がバスで乗り付けてきます。こんな風景はあまり好ましくなく、早々と引き上げることに しました。(昨日の反省も含めて)
時計は、午後1時を指している。これからホテルに向かうと3時ころには着くはず。あまり欲張りせずに、 着実な計画をします。ロマンティック街道を北上し先ほど通った大草原を逆に走ります。2車線の道ですが そんなに広くはない道が、あおい牧草のなかを幾重にも蛇行しながら道が続いています。そこを80〜100Km の猛スピードで走りぬけていくわけです。右側通行に加え左ハンドル、車の車幅感覚も十分でない私に とっては、恐怖の道です。対向車が無いときは道の真中を走ります。基本的にはスピード制限の無い道 なので、ほかの人は狭くてもバンバンとばします。運転技術は高いのか??時折、一般動で80Km制限の 標識を見かけます。みんなそれに従って走っています。
目的地はフュッセンという街です。有名なお城であるルートヴッヒ二世が建てた >
ロマンティック街道から、高速に乗りました。ここも時折、120Km制限の標識を見かけます。一気に駆け抜け ホテルまで約2時間で到着しました。車を返して、ミュンヘンの旅は終わりです。本当は、ドイツ博物館や BMW博物館が近くになるので行って見たかったのですが、午後4時、5時で締まってしまうため、残念ながら 行けません。しかし時間も少し早いので、昨日行った市庁舎前にもう一度行ってみました。
昨日訪れたときは朝早かったので、あまり人もいなかったのですが、今日は午後4時ころの訪問のため わんさか人がいます。道路のいたるところに机とテーブルが出され、ビールを飲んでいる人が多くいます。 「よし、ここで飲んでやろう」と決心し、その前に市内見学の続きをします。ミュンヘン市民博物館が6時まで やっているのでそこに行きました。4階建ての美術館は、昔のミュンヘン市民がどんな生活様式だったのか を教えてくれる内容でした。最上階には、操り人形や影絵人形が数多く展示してありました。古いせいか、 頭だけの人形も100以上はあったでしょうか。昔の金持ちが使っていた食卓、応接いす、おもちゃ、 置物、洋服、写真、などが多数展示してあります。もし私がミュンヘンで生まれたのなら、懐かしさのあまり 涙がでる逸品ばかりなのでしょうが、「ふ〜ん」と見過ごす品物ばかりでした。
ここらあたりで、見学も終わり6時過ぎましたから、ビールにしましょう。。。と思ったら、風が出てきました。 空も厚い雲が出始めてきて、今までいすとテーブルを出していた飲み屋もそそくさと片付けはじめましたので す。どうやら雨が降るとの予想です。われわれも、仕方なくホテルへ帰ろうと回れ右をしました。
ただし、夕ご飯を何とかしなければならないのですが、ここドイツでは土曜、日曜は大抵のみせは休みです。 またコンビニはまず見かけません。セブンイレブンもスリーエフもローソンもありません。コンビニ弁当は 買えませんので、ひとまず中央駅まで行き何とか食を手に入れようと考えました。駅の地下にちょっとした コンビニ風のお店があり、ビールやお菓子類を売ってましたので、ここで500mlビール3本とビール入りコーラ 、ミネラルウオータ2本を買い求めました。さらに一階に上がり、サンドイッチ2種類で今日の夕ご飯をそろえ たところで、駅の外を見ると「雨」です。昨日もこれくらいの時間に雨が降っています。少し様子を見るため 買ったばかりのパンとビールを駅の中でテーブルを見つけむしゃむしゃ食べ始めました。ビールもうまいし パンもうまい、いろんな人種がいて見ていても飽きない、駅ですから列車が入ってくる。ハングリーですが 楽しい夕食です。
夕食を終えても雨はやんでくれません。普通なら、タクシーを使ってホテルまで帰るのですが、貧乏の続きで 走って帰ることにしました。極力ビルのひさしの下を使いながら、雨の中を掛けぬけます。ホテルに着いたときは 服やズボンがややぬれたぐらいです。
これで、ミュンヘンの旅は終わりになります。あすは、ベルリンへの移動 しますので、これ以上の観光はできません。とっても疲れたが、いろんな経験をしたミュンヘンでした。 今日も9時近くまで外は明るいですが、早めに寝ます。<おやすみなさい>
定例報告 何をしたか 使ったお金 歩いた歩数 イノヴァンシュタイン城の見学 78.11ユーロ 18,812歩 WindowsXPの壁紙を見てきました。こんな風景があるとはガイドブックには書いてないっぞ!
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朝起きると3時半でした。昨日の顛末を記録するために、パソコンに向かいカリカリ はじめます。いつもの事のようになかなか陽は昇りません。昨日で最後であるミュンヘン から未知のベルリンはどのような街か期待します。息子は、ホテルの朝食に 持っても期待しているようです。この街での概括としては、古くから栄えた街ですが 最近までは、古いままの伝統が守りつづけられてきて、やっと新しい文化に 染まり出してきているとの感触です。
そろそろ息子を起こして、最後の朝食を食べに行こう。時刻も6時半を回った。出発前の荷造りを行い、忘れ物も無いことを確認した後、チェックアウトです。ここのホテルの エレベータは大変変わっています。ホテルに着た当時はそれがわからず、3階に部屋を 割り当てられたので、当然エレベータを使ったのです。なんと外側の扉は、手で開けるようになっています。 「上」のボタンを押すと、乗る箱が到着します。それをあけ、中に入るのですが、当然外側の 扉は自分で閉めます。内側の扉は、自動にはなっていましたので、あとは目的地まで、上昇するのです。 動き始めは、「ガタン」とともに上昇が始まり、到着すると内側の扉は自動で空きますます。 年代も古く、非常に不安な機械です。わたし達は、これ以来エレベータを使わない生活を続けてきました。 当然チェックアウトの時、大きなかばんがあるわけですが、階段を使って降りてきました。キーを渡し、 ちょっとするとフロントのおじさんから「OK」と言われて、このホテルからもさよならです。
ホテルから駅までは、カッコつけないでカバンガラガラ引きながらを歩きます。5分くらいですから。 駅に着いて、切符を買います。ミュンヘン空港で自動販売機の前で迷ったあげく、カウンタのおじさんから 買い求めた苦い経験から、今回はチャンと買いぞっとばかりに、自動販売機の前に。さてどれを買うか・?? また悩んでしまう。結局一番長い距離の「4ゾーン」を買い求めます。
この国の切符システムは、地下鉄、市電、バス、路面電車すべてに共通で、短距離(4駅まで)、同一ゾーン内 片道、2ゾーン内、3ソーン内、4ゾーン、さらには、一日券、回数券などが選択できます。どの切符も一度 はさみを入れると。あとは有効ない様によって、乗り降り自由です。また、あまり検札もこないので、「キセル」 し放題のように思えます。
市電に乗って空港まで約40分くらいです。途中の風景は、やはり畑が中心の田舎がのぞき見れます。
多少時間に余裕を持った計画でミュンヘンに到着した我々は、早めのチェックインを行い、最後の買い物 と早い昼食をいただきます。昼食は、「サンドイッチ」。これで、ミュンヘンの食べ物はすべてサンドイッチと なりました。しかし、結構おいしいので、ちっとも残念ではありません。
飛行機に乗り一路ベルリンに行きます。飛行時間は約一時間、途中飲み物のサービスはありました。 空の上から、ベルリンを見ました。ミュンヘンでは、畑の真中に街がまとまってありましたが、ここでは 畑はあまり見なれずに、余裕を持った敷地に均等に家が並んでいます。
ベルリンに無事到着後、今度はホテルがある街まで、バスを使います。ここでも切符のシステムはミュンヘンと 同じですので、今度は一日券を買い求めました。ホテルに入った後もバスでの見学を行いたかったので。 バスは、すいています。バスの中では、若いネーチャンがスイカを食べています<!?>軽快に走り始め、 郊外から市街地に向かっていきます。建物もミュンヘンとは違い 近代的なビルが並んでいます。都会だなあ・・。しばらくすると、中心街に近くなったのでしょうか、エルメル やルイビトンなどの専門店街の前をバスがとおります。都会だ・・・・。中心街に近くなる毎に乗客が増えてきて ぎゅうぎゅうつめになります。初めての経験です。この原因のひとつに、子供連れのおばチャンやおネーチャン 達が乳母車毎バスに入れているからです。合計3台も乗ってます。
バスの終点から、今度は市電に乗り換えホテルのある「アレキサンダー」まで数駅東に向かいます。あまり迷わず ホテルに着き、今度は19階に部屋を割り当てられます。ここで一息です。テレビもあるし、ヘヤードライヤーもある し、扇風機まで備え付けられています。冷蔵庫の中には数種類ののみのも と机の上にはスナック類が置かれています。当然有料でしょうが。日本のホテルとほぼ同じです。エアコンは ありませんが近代的です。
さあ、時間も3時です。このままうずもれるには早い時間です。先ほど買った一日乗車できる切符も待ってます。 市内見学に行きましょう。
まずは、ガイドブックに従って、ツオー駅まで向かいそこからバスにのります。バスは観光で有名な100番の バスです。二階建てのバスですから、当然二階にのります。バスが出発してまもなく、雨がパラパラ降り始め程なく、大雨になってきました。一通り、バスで市内を見学した後個別にめぼしいところを見学に行きます。 雨は降り続いているので、傘を買い求め、傘を刺しての見学です。バスを降りた「アレキサンダー」から 超有名なブランデンブルク門まで歩いて行きます。途中には多くの歴史的建物が多くあります。
アレキサンダー駅からマリエン教会の前を通り、ベルリン大聖堂、フンボルト大学、国立オペラ劇場、国立 図書館、ブランデンブルク門、ドイツ連邦議事堂と4、5Km歩きます。
ベルリン大聖堂へは、入場券を買い求め はいって入りました。入ってすぐに、礼拝堂があり天井の高いことに息が詰まります。高さにしてビルの10階くらいは あるのでしょうか。その天井いっぱいに絵がかかれ、壁にも装飾が飾られた見事なものです。堂内には音楽が 流れており、左手にあるパイプオルガンの演奏でした。実際におじさんが弾いています。しばらく、この雰囲気に堪能 したあと、堂内の探検に向かいます。石棺が4、5飾ってあります。国王だったらしい人が入っていた石棺です。 見事な飾り付けされたもので、これだけ作るにも相当の時間と手間がかかったろうと感じます。 この聖堂では、お金を出ば、ドームの上まで上る事ができます。運悪く買い求めた切符はそこまで行ける切符 だったので、不幸にも上ることになりました。階段を行く段ものぼり、上がる毎に狭くなる階段をひたすら上がります。 そうするとビル10階くらいの天井付近まできました。そこから外に出られ、傘を持ったまま、まあるいドームの周り を一周できました。高所恐怖症のわたしにはあまり好ましい場所ではありませんでした。
再び傘を片手にブランデンブルク門に向かいます。丁度、道路と道路の間に中州のような空き地があり 遊歩道のようになっています。その遊歩道を、雨の中、歩いているのは我々だけ。両側を車が水飛沫を立てて 走って行きます。中州の所々に、いすとテーブルがおいてあり、ちょっとした飲み物用意したを客待ちのお店が あるのですが、今はまったくの開店休業です。店の人も悲しげに空を見上げています。この遊歩道の所々に 岡本太郎作みたいな彫刻が飾ってありますが、それも雨の中です。
相当歩いた後で、ブランデンブルク門に到着します。しかし、どうも様子がおかしい、よく見ると門全体が 工事中で、すべてが覆い被されていて辛うじて最上部のローマ戦車に乗った勝利の女神だけは見えている 状態であった。非常に残念である。ガイドブックでは2002年春まで改装と書かれてあるが延期されているようだ。
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幸い、門も中央部は、人が通れるように通路が作ってあるので、ブランデンブルク門を傘を刺して通過する。 味気ないが仕方が無いことだ。ここからは旧西ドイツになるわけである。旧東ドイツのごみごみした風景と とは一変して、優雅で豪華な感じ漂う風景がそこにはある。門のすぐ脇にドイツ連邦議事堂に向かう。統一と 同時に全面改修されたとの事で、大変きれいで重々しい感じの建物である。ここへの見学は事前の申し込み が必要との事であったので建物を一周することで満足した。
ここからは、またバスに乗ってホテルがあるアレキサンダー駅まで向かう。時刻は6時になり、3時間の市内 見学となった。アレキサンダー駅でバスをおり、夕食に向かう。貧乏旅行だから、夕食は駅の立ち食いで済ませる。 駅構内にソーセージ屋さんがあり、生肉やソーセージを売る傍らで、茹でソーセージやパンも売っており、立ち食い ができる。何人かの人がすでに店内で食べている。何を頼めば良いのか判らなく、しばらくほかの客を観測して みたが、何を言っているのかさっぱり判らないので、度胸で注文するしかない事がわかった。指と心意気で 「これとこれを2つ」と、息子のドイツ語で注文する。それから、ミュンヘンでは飲めなかったビールも2つ。
なかなかおいしい夕食を食べた。少し物足りない気もして、ビザとスパゲティーを買い求め、ホテルの帰り際に デパートを見つけそこで、缶ビール4本とミネラルウオータを買い求め部屋に帰る。帰った後も、ビールを開け 親子二人で酒盛りを。 ・・・・・いつのまにか眠っていたようで、テレビと電気が点けっぱなしで眠りこけていた。 気がついた10時ころ、酒盛りの整理をしたあと、おやすみなさい。
定例報告 何をしたか 使ったお金 歩いた歩数 ミュンヘン→ベルリン、市内見学 157.91ユーロ 20,258歩 傘を買い求めて雨の中を市内見学します。ブランデンブルク門は工事中でした
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朝は、5時に目覚めた。今日はこのホテルの朝食が食べられる。どんな料理か 非常に楽しみであり、午前7時には息子ともども2階の食堂へ向かう。部屋数が多いこのホテルでは、朝食も 多くの人が集っている。ミュンヘンのホテルと比べものにならない。100人くらいはいたと思うが、ほとんどが 西洋人で東洋人は10人もいなかったように思う。食事の種類も結構あり、満足の良く食事がとれた。 やはり、パンがおいしい。
約1000室以上あると推測されるこのホテルは、旧東ドイツに位置しており、ガイドブックによると、 統一後全面改装して一新したと記述がある。 社会主義国時代のこのような大きなホテルを建てて、誰が泊まったのか不思議に思う。
朝から天気が良いので今日はベルリンの市内見学に当てることとした。朝一番で、一日乗車の切符を買いこんで 市内の本屋、楽器博物館、ペルガモン博物館、ベルリンの壁博物館とポイントを巡り歩いた。
市内の交通システムは大変便利にできている。大抵どこにいても「S」や「U」、「H」のマークを探すことができる。 「S」はSバーンという市電のこと、「U」はUバーンという地下鉄のこと、「H」はバスを意味します。どこへでも乗り継ぎ 自由で共通の切符が使えます。各乗り物はすべて番号で呼ばれ、S1、U6、バスなら100、109と外国人でも 理解しやすいようになっている。乗換えの案内もS2はこっちとかU6はこの方向に歩けなどの看板で解りやすい。 ただ、街のかなでは工事が多く、Sバーンも事情により運行を長期間取りやめることがあるらしい。しかし 、その案内はほとんどドイツ語であるため、よくわからない。地図によると、この駅で乗り換えてS1に乗りかえるはず なのに、S1の案内板にテープでバッテンをしてあるだけで、なんの意味かがわからないことがあった。
息子のリクエストで市内の本屋さんに行った。やはりすべてがドイツ語なので、何の事やらさっぱりわからない。 写真の入っている本を中心にパラパラ見るがすぐに飽きてしまう。本の値段は日本とあまり変わらない。
楽器博物館は、わたしのリクエストです。ここの博物館は、鍵盤楽器と弦楽器を中心に古い年代物を中心に 展示されている。20弦あるビオラみたいな楽器、6弦あるコントラバス、二段鍵盤があるピアノ、変な形をした バイオリン。チェンバロが多く展示されていて、実際に弾けるのもあります。由緒ありそうなチェンバロで 「ねこふんじゃった」を弾いてきました。
ペルガモン博物館に行きました。ペルガモンとは土地の名前で、息子によると昔のトルコあたりとの事。そこにあった 数々の遺跡をここベルリンまで持ってきて、大博物館にしています。考えてみれば、泥棒が盗んだものを 自慢げに見せびらかしている様なものです。6m以上もある石でできた柱、壁、床をはじめ、石像、小物類など さ〜と見ても一持間は必要な量が展示されている。歴史的背景や、その国に事情がわからないと飽きてしまう 内容であるが、多くの人が訪れており真剣に見入っていた。ここでは、日本語ガイドが聞き取れるCDプレイヤーを 貸してくれる。それを聞きながら、遺跡の見学ができる。でもつまらない。
ベルリンの壁博物館に行きました。ここの博物館は統一前、チェックポイントチャーチと呼ばれる東西往来の 検問所があったところとの事です。過去には多くに人がここを決死の覚悟で越えていったとの事です。 1990年ドイツの統一があって12年経ちます。ほとんどのドイツ人は、統一前と統一後の記憶がある人ばかり なのに、ここを訪れている人は多く、ドイツ人もいました。我々日本人は、このような悲惨な経験はしていません が、彼らはつい12年前までは苦しい環境に置かれていたわけです。
さあ、夕ご飯です。毎日パンを食べているのでたまには変わったものを食べたくて、ホテルの部屋から見える イタリヤ料理店に行きました。高級なお店ではなく、外のテーブルで食べるスタイルです。メニューはドイツ語 ですが、スパゲティやピザは何とか判りますので、注文も出来ました。ところが、注文しない料理が私達のところ 運ばれてきたので、「これ違うよ!」と英語で言っても通じず、別の店員が出てきて、「何言ってる?」と聞き返して くるので事情をもう一度英語で説明して理解してもらった。
定例報告 何をしたか 使ったお金 歩いた歩数 ベルリン市内見学 108.95ユーロ 17,628歩 時間があったら、ゆっくり歩くのが良いんだろうなあ・・・
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朝から、霧に覆われている。天気予報では、曇り/雷の予想で、雨が降ることは避けられないだろう。 今日は、ベルリンの最後の日である。本当は昨日遠出をしてドレスデンやライプツィヒに行く予定であった が、あまりに天気がよかったので、市内見学に当てた。今日は遠出をしても良いのだが、疲れがたまったのと 遠出に対してあまり魅力を感じなくなったせいで、本日もここベルリンで市内見物をすることにした。 あさ立てた計画では、ベルリンで最大の本屋とドイツで最大の本屋に向かう事(どうちがうのか)。 ツオー駅でお土産を買うこと。雨が降っていなかったらジーゲスゾイレに行くこととした。時間があれば ストリートオブベルリンへ行くか。
日々痛くなる足を引きずりながら、市内見学にでる。時間は9時。最初の目的地である「ドイツ最大の本屋」 である「ドゥスマンダスクルトゥアカウハウス」へ行きました。到着したのは9時前。。。ということは まだ開いていないでした。もう一度今度は「ベルリン最大の本屋」キーベルトへ向かいました。ここは 9時30分からの開店で、到着したのは9時20分くらいですから、少しふらふらすると門が開きました。 大きさは4階建てでビルの一角にあります。そんなに大きくはありませんし、本の種類も少なく、棚も がらがらでした。CDやPCのソフトも同時に陳列されていますので、結構広い割には本自体はそんなに ありません。そこで、CDの視聴コーナーがあり気に入った曲があったので、衝動買いしてしまいました。 息子は、専門書を2冊求めました。
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次に行ったのは、「ストーリーオブベルリン」という歴史展示館。1237年のベルリン市制から壁の出現 さらにはドイツ統一までを歴史の資料とともに展示されています。入場券を買うと係りの人が、これから ツアーに出かけるが一緒に行くか?と聞いてきたので、行く旨を回答したら、10人くらいで連れて行か れたのは地下のあるところでした。説明はすべてドイツ語で、若いオネーチャンがしきりに説明をしていますが 私は何の事やらさっぱりわかりません。20分くらいでしょうか?地下のいろんな所に連れて行かれては ドイツ語の説明を聞かされます。最後に「チュース」といわれ、終わりになりました。私は個人的に 彼女に問い掛けます。「私はドイツ語が判りませんので、簡単で良いですから英語で説明してもらえませんか?」 ・・彼女の説明によると、この地下室は、核シェルターで約2000人くらいの人が5日間生活できる設備を 備えており、1947年から始まる冷戦に対応して作ったとの事。幸いにしてここを使うことは無かったが、 都会の真中の地下深く、相当数のベッドが3段になって無数に備えられていた。最低限の台所とトイレ、 診療室はあるもののそれ以外の場所はすべて寝室で構成されていた。このツアーが終わったと、資料館を ひとつひとつ覗いていく。戦前の庶民の生活風景、第二次世界対戦時代、東西分裂の時代、そして統一の 瞬間を音と映像でつづる。ドイツ人の見学者ばかりだったが、とても真剣に見学していた。
次の訪れたのは、「(カーデーヴェー)」というショッピングデパート。三越やそごうの雰囲気で、お高そうなので そうそうと退散しました。お昼になったので、この近くのサンドイッチ屋さんで、サンドウィッチとコーヒー牛乳を 買い求め、店の片隅で食べます。こういったスタイルには慣れましたね。却って気楽で安上がりで良いと思います。
次に行ったのは、朝一番で訪れたドイツ最大の本屋さんです。もうこの時間になれば開いています。今朝行った ベルリン最大よりももう少し大きい本屋でした。品数も多いように思えますが、紀伊国屋のほうが数倍も大きい 事を付け加えておきます。
時間は4時に近づきました。最後のベルリンですから、ゆっくりホテルに戻ります。夕ご飯もいろいろ考えましたが ホテルでゆっくり頂くことにして、帰りの駅のソーセージ屋さんで、サンドウィッチとソーセージを買い、そのまま ホテルに向かいます。昨日買っていたビールを飲みながら、ドイツ語のTVとともに、夕食を食べます。クレヨンしんチャン やあやれちゃんをやってました。当然ドイツ語ですから、判りませんでしたけど。。。
今日はちょっと早いけど、寝ましょう。今までの無理が体にきて疲れました。お休みなさい。
定例報告 何をしたか 使ったお金 歩いた歩数 ベルリン市内見学 155.64ユーロ 20,828歩 ベルリン市民が抱く、壁の持つ意味が分かったような気がしました。我々より戦争への危機感は強く身近に感じました。
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朝、6時の目覚まし時計で起された。疲れが溜まってきたのだろうか。身支度をしてドイツ最後の朝食へ 向かう。昨日と同じメニューでパンを中心にいただいた。今日は比較的に人が多くいるように思えた。
ミュンヘンを13:00発の飛行機だから本当はゆっくり出来るのだろうが、貧乏性でじっとしていられない。 かといって、何処かへ観光に行くまでの心の余裕も無く、早め早めに空港まで足が急いでしまう。8時過ぎ ホテルのチェックアウトを終え、その足でアレキサンダー駅まで徒歩にて直行する。天気は薄ら曇りで、少し 涼しい朝である。もう、歩きなれてしまった 駅で、いつもの要領で切符を買い求める。ここから西へ5駅目のツオー駅で降りる。これからは、バスに乗り 換える。ツオー駅前のバス停で109かX09のバスに乗る。待つことも無くバスはやってくる。飛び乗ると、 程なく出発する。朝、9時前だから、通勤ラッシュのはずが悠々座れるほどの込み具合。空港まで約30分 とあるが、20分くらいで着いた。道もすいているし、乗り降りする人も多くない。
10時前には空港にいた。早いが、このままチェックインしようと、チェックインカウンタに向かうが、早すぎた為 12:00まで待てとの事で、そっけなく言われる。「どうしよう?」一般的に国際空港というのは、大きくて、買い物 するところもあって、暇つぶしが出来ると考えていたが、ここベルリンテーゲル空港は、勝手がちがう。空港は 6角形の形をしていている建物で、中心が駐車場やタクシー乗り場、周りが飛行機の駐機場になっている。 これら間に、チェックインカウンターや搭乗手続き場所、おみやげ物売り場、軽食屋が六角形の通路で一周し ている。ここの通路をゆっくり回っても10分くらいで歩ける。お土産売り場は1箇所、軽食屋は二箇所位で、 とても寂しい。ドイツ首都の国際空港とは思えない。
二時間あまり、お土産をみたり、サンドイッチの昼食を食べたりして、時間の過ぎるのを待った。待った。待った。
12時ちょっと前に、チェックインカウンターに並び5分もしないうちに、待合室へ入っていた。そこで、無料のコーヒー を飲みながらさらに一時間待つ。待つ。待つ。
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定刻より20分くらい遅れての出発で、一路ミュンヘンへ向かう。ミュンヘンは晴れ。トランジットの待合所まで 足早に向かう。スタンプを押すだけの簡単過ぎる出国手続きを終え、登場時間まで30分くらいである。 丁度良い待ち時間の間、最後の買い物をこの待合室で行う。ベルリンよりは少しにぎやかのお店が 並んでいる。ここで、少々のお土産と飛行機での中の食べ物を買い求める。コインはこの時点で 使い果たしたかったが、少々残ってしまった。
ミュンヘンでは成田行きの飛行機を待つため、久しぶりに多くの日本人を見ることが出来た。
成田行きの飛行機は約20分ほど送れてミュンヘン空港を出発した。日本との時差が7時間と片道 12時間の飛行時間であり。到着は翌日の朝9時過ぎの予定で、それまでの間は、飛行機の中で過ごす 訳である。
これで、ドイツ旅行の旅は終わりである。長いようであっという間に終わった旅であった。
定例報告 何をしたか 使ったお金 歩いた歩数 ドイツから帰国 97.50ユーロ
8760円13、983歩 涼しい夏も終わりで、日本に帰国した時点から体にまとわりつく湿気がいや〜になりました。