2007年夏期休暇初日となる8月10日、富士登山に挑戦した。

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 年の初めに実行をココロして同行の徒と日程調整するが妥協する最良日がなく一旦は諦めたものの、旅行会社からのDMに誘われて日程ギリギリでながら2週間前に申し込むも難無く予約が採れ今日の登頂に至った。

 当日8時東京駅集合にもかかわらず、30分前からは所定の場所に到着し早々とバスに乗っていた。遅い梅雨明け以降ここ数日は快晴が続いており連日真夏日熱帯夜の連続で雨の心配はない。当日は世間のお盆休の少し前の平日であり、街の行動パターンはいつも通りに見受けられバスの進む道路もそれなりの込合う様相である。 東京駅、新宿駅と参加者を拾ったバスは中央高速に乗り快調に進んでいたが、程なくしてやはりお盆休みのせいか渋滞モードに突入しノロノロ状態が続く中、添乗員の方から今回の全行程の説明が行われる。
 中央高速富士吉田ICを降り「富士浅間神社」に寄り、「富士スバルライン」を通り河口湖五5目到着し昼食。昼過ぎから登り始め夕刻には8合目の山小屋に到着。夕食のカレーライスを食べたらすぐに就寝し翌早朝12:00過ぎに頂上を目指して出発。5:00頃には頂上到着後、ご来光を仰いだ後お鉢巡し後下山開始。おおむね9:00には5合目に到着の予定。大勢の登山客がいるとの事で、相当混雑を宣告される。
 途中、談合坂サービスエリアで休憩をとるが、込合い具合いはさほどでもなく駐車スペースも所々見受けられる程度である。談合坂まではノロノロ走行であったが休憩後以降は道路は快調に進んだ。時間的には予定をオーバーしていることから浅間神社への寄り道はせず直接5合目に向かう事となった。

images/10-1224.jpg  5合目の「五合園」に到着し持参したの昼食を食べた後、身なりを整えいよいよ出立である。ここで、富士山登山ガイドがツアーに加わり、参加者37人と合せて39名の団体様である。先頭と最後尾のスタフに挟れてゆっくりペースで動き出した。天候にも恵まれ風もなく絶好の条件である。参加者は、私を含む暇なおじさん達、暇なおばさん達、若いおねーちゃんもそこそこいらっしゃりワイワイガヤガヤの珍道中の始りです。6合目までは比較的なだらかな道のりで移動距離も少し長く、火山灰の砂利道をザクザクと歩くことから足をとられて歩きにくい。ところどころ石畳の階段もあり砂利と合わさって滑りやすい状況でした。

images/10-1337.jpg  6合目でトイレ休憩を取り、ガイドから注意事項を受ける。特に団体行動である事についての話だったように記憶しているが詳細は覚えていない。6合目を越えたころからあたりの空気が少し涼しく感じるようになる。100m上がれば2℃下がるとの事を伺う。ここからも比較的なだらかな坂道が続く、山梨県のおかげで土砂崩れ防止が施されたザクザクの砂利道である。ゆっくりとしたスピードであり、時として足が止まってしまう位のため体力は温存できる。後半、岩場や急坂も出てくる。チェーンを使ってヨイショと登っていくと結構体力を使うので、極力小股になるようコースを選ぶ。

images/10-1500.jpg  7合目を過ぎたあたりからますます道は険しくなる。頂上あたりに目をやると山小屋が岩場にへばりつくように何軒も見えてくる。そのうちの高い所に今日は宿泊する予定であり、な〜んだ、近いなぁと思える距離に見える。だが実際は中々どうして、・・・少し空気も薄くはなっているだろうが実感は無い。

images/10-1652.jpg  8合目あたりから、ガスがかかって来た。視界をさえぎるまでの量ではないがこのまま増えていくと。。不安に感じる。頂上に目を向けると本日の山小屋である「白雲荘」が手に取るように見える。もう少しだけど中々到着しない、まどろかしさ。眼下を見れば今まで歩いてきた道に長く列を作り別のパーティが伺える。『ここまできたんだ』と実感する。

images/10-1751.jpg 初日の予定はここまでで、山小屋「白雲荘」に宿泊する。富士山との立地条件から水は貴重であり風呂なしは仕方ない。また土地自身も狭い上に訪れる人が多いので、多少の窮屈は覚悟していたが予想を超えたトンでもない所だった。
人の体の大きさをご存知であろうか。日本人の平均身長は男が172cm女が159cm肩幅は男が40cm女が37cmとなっている。そして、畳の大きさは(五八間)176cm×88cmである。この山小屋の場合、自分のスペースは半畳分であり176cm×44cmのスペースに172cm×40cmの人間が寝ることになる。床に入るまでは、何とかなると軽く考えていたが、実際横になると両手が横に下ろせなく胸の前でクロスするしか手がない。当然見ず知らずの人(男ですが)と肩と肩を寄せ合って寝なければならない。寝返は出来ない事は言うに及ばず、天井を見るしか手が無い。普段横向きに寝る人にとっても非常に寝つらい格好である。おまけに寝室は屋根裏そのもので、たって歩けない事は当然で、這うように寝室に入ってもの屋根裏の梁で頭を幾度と無くぶつけてしまう程の窮屈さである。 またさらに悪いことが重なる。富士登山は御来光を拝むことが常のように考えられていて、我々のツアーもまさにそれであり、当然ながら日の出前に頂上に到着していなければならないため、翌朝の出発は早朝になる。お盆時期に差し掛かった登山客は一日に2万人とも言われ、一斉に頂上を目指す為ラッシュになる訳でそれを回避すべく各山小屋では連係して登頂時間の調整をしている。われわれは11時30分の割当てでつまりは当日の夜間にゴソゴソ起きださねばならない。そうなると消灯時間もおのずと早くなり午後7時には窮屈な布団に見知らぬおじさんと肩を並べていた。
さらなる悪い事が2つ発生した。布団に入った瞬間は、あまり気にならなかった温度であるが、せまい部屋に男女あわせて30名以上いる訳で、年を取ってもそれでも人息はまだ暖かい。そのあたたかさが天井が極端に低い部屋中に充満する訳であり、時間とともにとても暑くなる。暑いのによく朝の寒さを予想して2重の毛布と布団が掛けられており暑くてしかたない状況が始まる。さらにもうひとつは、こんな劣悪な状況下でも高鼾(イビキ)をかいて熟睡する奴が複数名いる!その鼾がステレオのごとく耳について寝つけない。
こんな事で、それでなくても休める時間が少いのにほとんど休めなない。これは鼾をかいていない大部分の人も当てはまる結果であり、4時間あまり地獄の時間をすごすことになった。それでも何とかウトウトしてきた午後10時30分頃、眠れなく我慢できなかった人が早々と起きだし始め出したのだ。せっかく寝ようとしたのに・・・・
この事件はともかくとして、翌日(正確には当日)の午後11時30分に頂上を目指して再出発をした。あたりは当然であるが真っ暗であるが、天上には降るように星が見え時折流れ星が縦横無尽に待っている様子が伺える。真冬の格好に着替え白い息を吐きながら一歩一歩列を作って進んでいく。岩場が続く登山道であり足元に気をつけながら無言で進んでいく。 富士登山で多くの外国人を見かける。アメリカ人、中国人、ドイツ人他・・・。こんな所が観光地になる位富士登山は一般化しているのだと改めて思う。と思える人が定番のように、半袖のTシャツと短パン姿であるいている。コッチは厚手のウインドブレーカーに長ズボンなのに。。。

 本8合目にある富士山ホテル(山小屋)の中で全員休憩。朝早かったので、この場所で眠気覚ましと早すぎる出発の為の時間稼ぎ(?)に30分休憩となり、「各人何か1品注文する様に」とのガイドの進めに、参加者の一部から不満の声が出る。インスタントコーヒでも1杯500円もする有様で、飲む気がしないので、ホテルの中に入らずに外で待つ。歩いている時は体はホカホカしているが、じっとしていると寒い。下界の熱帯夜が羨ましい。
このあたりでは、さすがに酸素は薄い。急な階段を登っていると息苦しく感じ、深く吸い込む必要がある。私より年上のおじいさんおばあさんも多くいるけど大丈夫だろうか・・・

images/11-0334.jpg  頂上に到着したがあたりは真っ暗で、気温も低い。ツアーの強みで、頂上の小屋「東京屋」に入り込んで追い出されるまで休憩をとる。ここでも何か1品頼めとの事を言われたが、何も頼まなかった。ちなみにメニューを見ると、コーヒー500円、味噌汁500円、カンのコーンスープ400円、カレーライス1200円とバカ高い。それでもみんな寒いので、飛ぶように注文が出される。ここで働く人は、なぜか関西訛りの人が多い。山小屋は7月〜8月までの2ヶ月しか営業できないのでどこの店も「えげつない」売り方をしている。客を客とも思えない扱いと高額な価格、それでも争って買い求める客、バランスが取れているようで通常の感覚と大きく隔たりを感じる。
その後店の人に追い出され、寒い外で午前5時過ぎの「ご来光」をひたすら待つ。頂上には朝早くからお土産屋さんや食べもの屋が商をしている。「富士山のおみやげは、5合目でも麓でも買えるが、『富士山頂』の名前がついた土産はここでしか買えない!」との呼び込みで、飛ぶように売れている。日本人は「限定品」に弱い。
4時30分くらいからあたりが明るくなり始めてきた頃には、頂上は人でごった返してきた。おみやげを買う人、何かを食べる人、気が早い人はご来光を待ちながら東の空を見つめる人、老若男女、日本人、中国時、アメリカ人、ドイツ人、いろんな人が同じ瞬間をそれぞれのスタイルで待っている。時がゆっくりと過ぎていく。空は満点の星。風は無く静かな夜であろうが、人の声は止まず秋のお祭りのごとくである。
その瞬間が来た。低く稜線上に厚い雲があり、日の出の瞬間は確認できなかったが、その雲の上から覗く日の出に多くの歓声が上がり、カメラ、携帯電話のシャッター音が響き渡る。若者の歓声が続く。
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2時間もの間待ち続けたが歯切れの悪いご来光で、調子抜けの感が強い。まあ、ご来光自体が目的ではないのでいいとしよう。多くの人がご来光に見とれている間、反対側のお鉢(火口)を覗きに行く。富士山だからか、火口の底には何も無く窪みがあるだけで、感動は少ない。かつてあったレーダ跡建物が朝日に映えてかっこいい!

ご来光を見終えると早々と下山の準備が始まる。我々のツアーも点呼を取り下山する。本当は希望者にお鉢めぐりのオプションがあったが、山頂までの間にリタイヤした人がいた為添乗員付き沿い、全員が同じ行動をする必要がありオプションは中止となった。登る時間に比べ、下る速度は速い。富士山の場合登頂のルートと下山のルートは別々ではあり、岩山のルートは無く殆どが火山灰のザクザク道である。みんな、すべるように下山していく。そのため、もうもうと砂煙が立ち登る。下るごとに気温も上がり、来ている服を1枚1枚脱いでいく。空気も濃くなり激しい運動も可能になる。2度の休憩をしたものの、一気に駆け下り5合目に着いたのは8時30分とたったの3時間であった。