2006 Homecoming
2006年春の出来事をつづっていくうちに、2つのことを考えました。

一つめのこと。
時間とともに物事は変わっているということ。一見変わらないと思っても実は少しずつ変わっている。それと見るから変わっている事とが同じ世界に同居しているという事。

二つめのこと。
自分という人格がたった一つだけど、この世にあるという事。この私という人格は、私がコントロールできるたった一つのものであるが、可能性は無限大のものである事。

近くで咲いている藤を見に行きました。少し早いようで6分咲き位でしたが、蜂やコガネ虫がブンブンと舞っていました。 丘の上から見る瀬戸内海です。寅さんが出てきそうな情景で心和みます。天気が良くて水面を走る船も気持ちよさそうです。
一服した喫茶店のお店から一望した風景です。こんな景色を見ながら頂くコーヒはまた格別です。 「枝広邸」といって、昔は街の小さな医院でしたが、廃業後公共設備として再生され観光の1つとして利用されています。
山の中にあるのが実家ですが、田舎の奥って感じです。冬は暖かく夏は涼しくといい環境です。 昔よく遊んだ小さな神社。「アンエ」と呼んでいた集会場もある場所。子供の頃からほとんど変わらない姿です。石段の一つ一つもそのままのようです。
変わらないものの2つめ小学校の門。字がかすれてしまっていますが、昔もあった。 変わらない。。変わってしまっていますが、これは散髪屋さんでした。おじいさんとおばあさんが散髪屋をやっていました。もう家も壊れてしまいましたが。私にとっては懐かしいものの一つです。

<帰省1週間前>
帰省する事を思いつき、家族に同伴を提案してみたが、それぞれの予定が合わなくて計画を断念するかとも考えたが、しばらく帰省していないことが気になり一人で帰省することを決めた。
さて、交通手段は・・・・
もっとも一般的なのは東海道・山陽新幹線の利用だが、一ひねりすることも考えてみた。(1)夜行列車(2)夜行バス(3)車、などがその選択肢としてあがってきた。
・家族複数人で帰るなら、車の利用が安上がりになるが、走行予定距離約700Kmとして燃費12Kmで片道のガソリン代7800円+高速利用14350円=22150円(片道) およそ9時間+休憩時間=12時間。一人では金額的にも体力的にも無理な内容である。
・夜行の高速バスは、片道10500円也。新宿8時55分発。約10時間のスケジュール。過去に2度利用したことがあるが、到着時間が早すぎて、到着後の暇つぶしに苦労する。また、出発も夜ゴールデンタイムになり、わびしさを感じる時間帯である。
・今は少なくなった夜行列車。以前は、あさかぜ、さくらなど数本の選択肢があった。昔は新幹線よりも夜行列車がメインだった。 その後、新幹線の高速化、一般化が加速してほとんどの路線が2005年までに廃止になってしまい、残るのはサンライズ出雲で途中下車して乗り換える方法しかなくなっている。当然新幹線よりは高額で27000円也。
いずれも、体力的に自信がなくなっているので、もっとも一般的な新幹線にすることとした。
<4月26日>
最近は、切符をとるのがとても便利だ。3日前に、携帯電話から予約をした。席が空いているかやや心配だったが、予定の日にちは時間を調整することで難なくとることができた。「過去を振り返ると主要駅にしかないみどりの窓口に何時間も並び、希望する日時を告げ満席であればまた、後ろの列に並び直す事を繰り返した。たいがい予約時点で嫌気がさして帰省は断念する事も多かったものだ。
<4月30日>
日曜日の本日、昨日に比べると天気も良く気温も初夏を思わせるくらいに上昇している。とても気持ちがいい。新幹線出発の30分前に新横浜に到着して、おみやげを買い求めた上で、しばし時間の過ぎるのを待つことにした。待合室は、老若男女入り乱れて国民大移動のまっただ中であり、おみやげものを売るおばさんも普段にないお客で大わらわの状態である。
新幹線は定刻通りに走り始めた。車内は、新横浜を出た時点でほとんど満席の状態であり、次の停車である名古屋までの、 指定された席は、7Dの通路側で、すでに7Eにはご婦人が座っており、読書の最中であった。昔の新幹線は席と席の間隔が狭く、窓側の人が降りる際は通路側の人が立ち上がって譲らないと通れない間隔であった。最近。。といっても10年以上前からか、十分間隔であり通路側で居眠りをしていても窓側の人はいつの間にか下車している事が当然のごとく行える間隔である。
出発の3時間ほど前、東海地方で震度5弱の地震が発生し、新幹線の運用が気になったが問題ない状況であたことを後から気がついた。 東北新幹線に乗ることが多い。JR東日本では、私の知る限り少なくても5年以上まえから新幹線改札口を通ると、自動的に検札を行うシステムであり、列車内ではぐっすり眠れるが、JR東海では昔ながら人手による検札を行っている。結構うっとうしい。会社は違うけどいいところはまねして導入すべきだ。 東海道新幹線といえば、「ひかり」と「こだま」である。この固有名詞は、私の頭に焼き付いていたが、「ひかり」より早く特急料金の高い「のぞみ」が出て以降、本日に至っては「ひかり」はまだ走っているものの「のぞみ」を利用するしか帰省の手段がなくなっている。時代は変わっている。そういえば新幹線を使って帰省するのは何十年ぶりかと思いつく。
名古屋をすぎた頃から、大変酔っぱらいました。ビールと日本酒それぞれ一本ずつですが、いい気持ちになっています隣に座っていた婦人は名古屋で降りて、代わりに子連れの若奥さんが座りました。この人は新大阪までのご一緒ですが、言葉を交わすわけでもないですが、小一時間のつきあいです。後2時間足らずの旅です。もう一本ビールのもうかなぁ~
京都に近づいて来ると田植えを前にした田圃が見えてきました。そういえば、そんな時期なんですね。しばらく忘れていました。5時をまわりまいたが、まだ外は明るくて、経度の違いを実感します。名古屋からずーっと、しゃべり続けている隣の子供。
新大阪からは、一人の女性が隣に座った。こう次々からうまい具合に入れ替わり立ち替わり、うまく予約が入っているものだ。JR東海もいまかきいれ時なんでしょう。。。。若い人と思ったのですが、トイレの帰りによく見たらおばさんでした。若い人の格好をした人でした。新大阪まで2時間半。早いものです。 長い一日が終わりそうです。9時を回ってもう眠くなりました。2年ぶりの帰省になりますが、明日ゆっくりはなしましょう。
<5月1日>
日があけた月曜日。朝はいつも通りはやく目が覚めたが経度の違いからあたりは暗く二度寝する事になった。十分休んだ事で元気はつらつで朝を迎えることができた。しかも朝の目覚めは鳥のさえずりで起きた。
交通の便がめちゃめちゃ悪い。どこに行くにも車を使わなければならないが、車がない。朝食を済ませて、近くに咲いている藤を見に行くことと決め、家から歩き出す。ゆっくり歩きながら周りをみることができた。「あぁ、ここが変わっている」などよくわかってくる。今まで車で通り過ぎてみていなかった細かなことが見えてくる。いろんな角度でに風景も見えてくる。木々の色や風のさわやかさが、暖かい日差しとミックスされ心地よく伝わってくる。藤が咲いているのは、近くの小島と結ぶ橋のたもとで、付近を往来する船の妨げにならないように30メートルほどの高いところに架けられている。見晴らしもよく風も気持ちがいい。歩いてきたので適度な疲れも手伝い、達成感もわいてきた。
帰宅途中に、「枝広邸」がある。ここは、街の医院があった。古くは病棟も持つ大きな病院であったが、私の知っているのは、診察だけを行う医院だった。その医院の医師は街でも評判がよく繁盛していたが、子供がいないことからやがて廃業し、最後までその家にいた看護婦も他界したことから持ち主不在となり、町が引き受け改装した。
昔は、この医院の庭に勝手に入り込み、防空壕も兼ねての小山の中にトンネルが造られており、そこに入っては遊んでいた事を思い出す。家の近くに竹藪がある。この竹藪もかつては個人の持ち物だったが、現在は町のものになっている。ということで、早速のタケノコ堀を始める。過去に何度かタケノコ堀を経験した事があるので、お手の物であったが、急な斜面に生えている竹の子は難易度が高い。3本ばかり掘り出したところで、今日の仕事は終わった。 残りの時間はだらだらと茶飲みしながら時間の過ぎるのを楽しんでいた。年とるとこんな生活パターンになっていくのだろうが、このパターンではぼけてしまう!年とるまでに人生の課題を見つけださなければならない。
今日も9時前には就寝した。いい生活だ。
<5月2日>
暗い朝があける。今日は近くの温泉に行くことを決めていた。朝方通り雨のおかげで、空気も澄んですがすがしい空気。やはり朝が早いことから、時間の過ぎるのが待ち遠しい。
9時半ころタクシーを呼んで温泉に出かける。タクシーの初乗りはなんと500円と格安。およそ15分1200円で到着。近い!温泉は大きく2カ所。元々の場所と新館。従来のお湯は岩風呂、サウナ、露天、水風呂、薬草風呂などがあり健康ランド風。新館は「竹山」(竹藪の中の露天)と「開山」(桧の風呂)の2種類を男湯女湯で日替わりに利用する。本日は男湯が竹山の露天。まずは、新館の竹山に入る。竹藪の中なので、静かな雰囲気。。だと思ったら、すぐ下に道があることから、温泉に荷物を運んでくる軽四トラックなどが行き来してややうるさい。笹の葉もハラハラと舞い落ち、湯船の中にポチャリとこれまた、気に掛かる。そうこういろいろあったけど1時間30分入っていた。足の甲は真っ赤っか。温泉としては、やや薄目の泉質らしく、長くは行っていると肌がすべすべ感じてくる。あがると、お昼。昼御飯。食べたら一眠りしてまた風呂。仕上げにビールを飲んでもう一寝入り。これじゃあ、ぼけるわ。3時すぎてやっと帰路へ。
朝に雷とともに雨が降り気温は昨日に比べると少し低くなったけど午後には天気は持ち直し鯉のぼりが気持ちよく泳ぐ空になった。夕食前に散歩に出かけた。車がないことで、歩くことを強いられるがそれがいいのか、今までいけなかったところ行くことができた。近くの空き地だったところ、神社、小学校・・・。総評すると、もう変わってしまったところと今でも継続しているところがあり、継続は努力が必要だとの感想です。
<5月3日>
天気の良い朝があけました。連日の食事と運動不足から胃がもたれています。休みに入って9時前後に寝ているので十分睡眠をとっているので、夢を見るようになっている。昨夜の夢は、会社の夢でした。自分の想像の範囲が狭いことをつくづく感じました。帰宅の時がきました。些細なお礼に家の掃除をしてあげ帰ります。ちょっとしたことですが、「来たときよりも美しく」の心です。面と向かってはいえませんが、両親には長生きしてもらい間ものです。畑にはすでに戒名が入った墓石があり、子供には迷惑かけないぞ!との意気込みが伺えました。迷惑かけるのも親孝行と思います。普段近くに入れない分親孝行したいと感じます。
予定していた新幹線で帰路につきます。お世話様でした。兄に駅まで見送ってもらいましたので、あとはビールをかって酔いつぶれだけです。おつかれさま!乾杯!
列車にのっての時間の過ごし方にはいろいろあります。若い頃は、というか昔は、ただ外の流れゆく景色を見ているだけで楽しかった。電車が目的地に着かないでほしいとも思ったことがあるくらいだ。家並み、町並み、川、山、大きな建物、小さな建物、車、人、ゴルフ練習場、学校、トンネル、工場、駐車場、パチンコ屋、自動車学校、建て売り住宅、田圃の中の一軒家、お墓、鯉のぼり、ラブホテル、またトンネル、若い芽の木々、小さな工場、またトンネル。。飽きることなく窓越しに繰り返される景色の変化を見続けていた。そして、今は景色の変化もおもしろいが、ビールを飲み寅さんの映画を見る。見飽きたら、こうしてくだらないことをつらつらと書く。時間の過ごし方はいろいろだ。
席の並びは大きな荷物を持った老夫婦(?)がすでに座っていた。もう一時間にもなるが双方等も無口で前を向いてじっとしている。時折腕を組み直してはみるものの大きく姿勢も変えてはいない。これからどこへ行くんだろう。新大阪をすぎてから、お互いにしゃべり始めた。年は60~70位か。。京都で降りた。京都では若い夫婦らしき二人が乗ってきて、3時をとっくに回ったのに弁当を食べ始めた。
世の中には、世界に約7億人のいろんな人がいて、7億の人生と考え方があって、この世界に生きている。私もその7億人の1人であり、私自信の考え方と生活がある。ほかの7億人と大差ない人間だと思う。ただ唯一違っているのは、この私は私自身だということだ。私自身は唯一私が自由にできるものであり、私はそれ以外の人を自由に使えないし、他の人は私を自由に使えない。当然のことだが、最近それがわかってきた。
自由にできる人格を持ちながら、それを有効に使えなく、くすぶらせていることは自分の責任である。隣で、弁当を食っている人は自分の意志で弁当を食っている。私が食べろとは指示していないが、彼は彼自身の判断で行動している。