奥州街道(その5)八戸~青森

 朝から雨雨雨。。一日中雨雨。
記録 2011年08月17日(雨)真夏なのに気温は22℃
奥州街道  朝目覚めた時外を眺めた。昨日の天気予報では雨の予報だが、本当に降るのかが最大の関心ごと。朝5時時点では雨は降っていない。やった、これでいける。とガッツポーズで身支度をして7時からの朝食に挑む。このホテルの朝食はとてもいい。バイキング方式であるが、ボリュームの多い食材が多く並べられている。テーブルいっぱいに食材を取ってきてはじから食べ始めていると空模様が悪くなり、最後には大粒の雨が降り始めてきた。天気予報は当たるもんだ。予報では午前中は雨で午後は曇りとのことだ。午前中のも我慢か。。。 奥州街道ホテルを走りだして4号線と104号線の分岐点までやって来た。変わらずの雨なので、DAISOの雨合羽をはおるスタイルを今日も続けている。ここからは、無言の走りが続く。雨なので写真を取る気もしないし持参したIPODを聞きながらひたすら走り続ける。全体を通じで坂道は少ない。あってもそんなに長くない坂道でありいやにならない。2~300登り坂のあとは2~300mの下り坂の繰り返し。平坦な道も多い。歩道も完備してるし走っていても走りやすい。幹線道路の4号線だから大きな貨物車は頻繁に走っているので比較的歩道を走っていた。もちろん車道でも道幅は広いのであまり苦にならない。これで天気がよければ言う事なしなのに。 奥州街道  全体的に良い道であるが時として車道と歩道の間にアスファルトの隙間があったり、歩道のところどころに金網が敷設してあったりで、自転車としては走りにくいところもあった。そんなところに気をつけながら走っていたつもりだが、気が抜けたのかもしれない。長坂道を登り終えた頂上で、歩道を走っていた。金網が敷設してあり、この上を走るとタイヤがとられると思い、意識的にハンドルを切ったのだが、丁度金網とアスファルトの隙間にタイヤがはまり、ハンドるを取られてしまった瞬間、こけてしまった。こける瞬間で自分が分かっていて受け身をしていたのでおおごとにはならなかったが、左脛を擦り剥いてしまった。それ以外はなんの外傷はなく、一人で起き上がり雨の中を再び走り始めた。 奥州街道  ひたすら4号線を北へ向けて走った。津軽海峡が見えた。雨のせいで黒く汚れているようだ。もう少し感動を覚えると考えていたが意外とそっけなく感じた。雨は降っている。ひたすら走っている。4号線も北のあ外れに来ると道路も空いているかと考えていたが、以外に交通量は多い。水しぶきをかけられる。通りすぎる音がうるさい。青森市街に近づいてくると地方道の259号に入り海に近い道路を走る。この狭い道でもトラックやタンクローリーが多く走っている。さらに進むと再び4号線に合流する。この4号線は青森駅の手前で終了となり引き続き7号線に接続されている。4号線は東京の日本橋から繋がっていて、7号線は新潟までの道路となっている。その境目を探して写真に収めた。今回の奥州街道は本当は函館までの街道をさしているが、ここから函館までは殆ど船か列車の旅となるため、この4号線がここで終わることになることを考えて、私の奥州回答の旅もここで終わりにします。 奥州街道  日本橋を起点とした5街道の旅を思いついて2年3カ月で制覇することができた。ここで回想すると、どの街道も前に進むことを気にしすぎたと反省する。
・一番つらかったのは、何といっても中山道の山道。
・一番うれしかったのは、中山道の終点の諏訪湖が見えた時。
・楽しかったのは2回訪れた京都。
・衝撃だったのは、震災後の福島、仙台。
・日光の山道もつらかったなあ
・距離の長い目標はあまりよくない!
奥州街道  これが国道の碑。日本橋のとは趣が違うがこれのも味がある。







奥州街道 青森の写真が少なかったので、街の風景をパチリ。







奥州街道  はじめてきた新青森駅。周りは何にもないけどよくここまで来たもんだ。 奥州街道