夏休みを使っての奥州街道1日目
記録 2011年08月15日(晴れ)暑い灼熱35℃
夏休みを利用して懸案だった奥州街道の残りの行程を制覇することにした。夏休みの日程は個人の申請でとることができるので、計画を立てた当初は空いていると考えていた8月の最初の週で決行を考えていた。所が宿泊先を予約する段階でどうしても予約ができない。よく調べてみるとそのあたりはねぶた祭りを代表とした夏祭りの開催があり殆どの宿泊施設では満員の状態であることが分かった。
そのため、日程の大幅変更をして今回立てたお盆時期を選んでみた。混んでいるのかと予約状況を見てみると宿泊先も電車も比較的すいている事と季節がら、「お盆」の名前で宿泊プランも格安で出ている事も分かった。今回2泊で仙台から青森までの日程を計画していて、2泊とも朝食付きで4000円くらいのプランを予約することができた。
さて、出発である。仙台へは自宅からの始発で向い、朝9時に到着することができた。ここで自転車を組み立てて出発する。前回の6月にはここまで来て引き返したが、震災の後が生々しく残っていいたが今回はその様子は感じなく整然とした街並みであった。駅前を出て近くのコンビニで水を買い求める。
昨年に、自転車部品であるビンディングを買い求めた。これは専用の靴底に特殊な金具がありこれと専用のペダルgが機械的にくっついて、自転車を漕ぐときに足を踏み込むときと同じく足を上げるときにもペダルに力を入れることができる優れたものである。ペダルから靴を外すときは足首をひねるようにすると簡単に外すことができるので、信号待ちのときには片足のビンディングを外すして足を地面につけることができる。
さて、まずを買うためにコンビニの前でビンディングを外そうとう、左足首をひねったがビンディングが外れない。このままでは、かっこ悪いがコンビニの前で横に倒れてしまう。ガチャガチャとやってみたが依然と外れない。倒れる寸前で右の足を外しかっこ悪い結末までには至らなかった。右足で立ったまま左足のビンディングを外そうとしたが一向に外れる気配がしない。仕方なく靴を脱いでペダルにくっ付いたままの靴と四苦八苦した結果、靴の裏側についている特殊な金具が2本のネジで固定しているのが1本なくなっていてもう1本も緩んでいることが分かり、この結果から足首をひねっても外れなかったことが分かった。なんとか靴をペダルから外しなくなった1本のネジは取り戻しできないので、残り1本をきつく締めなんとか使えるように修復した。この間30分の時間を要した。幸先悪い出来事だ。
仙台は杜の都と言われるように緑がきれいだ。走っていてとても気持ちがいい。こんな気持ちよさが全体を通じて続いてくれたら、満足な結果を得られただろうしまた来たいと必ず思っただろう。つまり現実はそうそう生易しくできていない。 仙台から、愛宕上杉通りから奥州街道に入り調子よく風を切る。八乙女駅を過ぎ泉中央を過ぎたころ、出ました。軽車両の通行禁止の道路が忽然と現れる。車中心の生活環境なので仕方ないかもしれないが、「通行禁止」ではなく、軽車両はこっちを進め、とのアドバイスが必要である。東海道を走ったときにも静岡であったが、いきなり通行禁止となった場合、どうすればいいのか分からない。地図もないし人もいないとなれば、当てずっぽうに進むしかなく、これが原因で道に迷ってしまう結果となる。国の行政はどうなっているんだ。。幸いこの道の上も道があり、これに沿って走ることができたので迷う事もなく4号線に出ることができたが、それがそうなら簡単な地図くらいで説明しておいてほしい。
4号線を走っては快調に走ることができた。4号線沿いにはかつてよく通った会社があり大変懐かしい光景があった。その会社は故あって他の系列になってしまったが、おりしも2日前にその会社にいた人に電車で出会い、今はほかの会社に移っているとのことを聞いたばかりだった。
3月の震災の影響も気になるが、宮城はお米の産地である。仙台を小一時間も離れると見渡す限りの田んぼがある。この年のコメの出来具合はどうだろう。8月8日に72年ぶりにコメの先物取引が再開されたが関東コシヒカリに買い注文が殺到して値がつかなかったとのこと。先日のテレビでは、まだ青い穂をサンプルで収穫し麦わらと穂を一緒にザク切りし放射線の測定をしている映像が流れていた。厄介なことになってしまった。
宮城県の北部、栗原市から待ち合わせていた知人と一緒に走ることになっている。一人で黙々走るもの良いもんだが、複数で走るのも新しい発見や経験が出来て良いこともある。知人は、わざわざ岩手県の一ノ関から来ていただいて、平泉を通り水沢駅の手前まで伴走していただく事になった。天気はよく気温も30℃を越える真夏の気候。。 一人で走っているとわき目も触れず前に進んでいるんだろうが知人の案内で少し旅らしい事をした。
栗原市の金成おちうところに古い小学校を歴史民俗資料館として保存してあるところに立ち寄った。壁も板で覆われたあの茶色の校舎。校庭と思われる空き地には樹齢300年の欅の大木もある。すこし走って、東北本線に有壁という駅があり、この近くに旧有壁宿本陣がある。国の重要な史跡にしてされている建物は武士社会を感じさせられる佇まいで200年もの歴史を伺う事ができる。明治天皇が休憩されたとのことも伝えられている。
ここに震災の爪後があった。何かの功労のために立てた胸像だったのだろうが、据えてあった石の台が転がったままになっていて、胸像だけがちょこんと据えられているのはいかにも事の顛末を言い表している。震災から5カ月立ってもこの始末であれば、物事の優先順位がこのようにさせたのだろう。
ここから走り始めて平泉を抜け、水沢近くで知人と別れまた一人になり、北上に向けて走り始めた。今回はできるだけ旧道を走るつもりで、事前に地図を調べ旧道との分岐点を記録して出かけているのだが、北上向かう道も4号線から県道254号線に抜ける道に注意していたが、見落としていて思っていない道を走っていた。なんとか北上までたどり着くことができた。今日はここまでで、終わり。宿に泊まってゆっくりして明日につなげよう。
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