奥州街道(その1)宇都宮~郡山

五街道シリーズの最終章。奥州街道はいつもの日本橋から走り始めた。第一節は、宇都宮からの出発とした。まだ震災の後も生々しい栃木、福島を走ることに。
はじめに豆知識
 奥州街道は、江戸時代の5街道の一つ。日本橋から陸奥白川(福島県の白河)までの行程。そのうち、日本橋から宇都宮までは日光街道と共用されている。また、白川以北は仙台までの仙台道、北海道函館までの松前道と接続する800Kmを越える工程となる。

記録 2011年05月04日(晴れ)新緑の季節なれど肌寒い気温
 今年の5月連休は、震災の後もあって事前準備が十分ではない。「連休中にいつかは自転車に乗ろう」と考えているうちに連休半ばも過ぎてしまった。今回の連休は例年より曜日の関係から長くなる予定であったが、仕事の関係からそれも叶わなくなった為、早々の行動が必要であったが思いきれなかった。
 5月3日の夕刻になって、このままでは連休が終わってしまうと重い腰を上げ、出立の準備を行い翌早朝の出発を決心した。人の気持ちは持ちようによっては幾らでも変えることができる。つまりはきっかけや思い切りであることが改めて分かった次第である。
奥州街道  5月4日の天気予報はから新緑のさわやかな風を想像してやってきたが、風も冷たくやや曇りがちの空模様で出鼻をくじかれる。宇都宮は餃子の街で、前回来た時は、宇都宮駅東口は再開発の途中であったが今回は、御覧のようなモニュメントが置かれた餃子のお店ができ始めていた。今後もさらに増えていくと思われる広さである。時刻は9時前なので、まだお店は準備中で今回はいただけませんが、またいつか来て食べたいと思います。
 さて旅を始めましょう。ここ東口で自転車を組み立てて4号線に向かいハンドルを向ける。朝早いからか、元々そうなのか人通りは少なく、車もそんなに走っていない道をペダルをこぐ。
 自宅を出るときに急な計画であったため軍資金がほとんどなく、手持ち500円程度だったので、お金をおろし水分も購入する予定で、すぐのコンビニに寄った。「サンクス宇都宮東店」ここのATMでは三井住友のカードが使えないことが分かった。ゲゲ。幸先が悪い。こんな調子で何処のコンビニでもお金が下せなかったら大変になる。次に寄ったのが、「ローソン宇都宮東宿郷4丁目店」。ここにでは使えるATMがあった。ひと安心で、一路4号線を北に進路を取る。
 久しぶりの自転車で調子がよく分からない事と、寒いこともあって一心不乱にペダルを漕いでいたので途中の風景を写真に収めることも忘れていた。本日の目的は、奥羽街道の白川までを想定していたが、走り続けていたので12時過ぎには新白河の駅前を通りすぎていた。コンビニの駐車場で一休みした後でこのまま帰るのももったいないので、後続の仙台道を走ることにした。

奥州街道新白河を過ぎてもまっすぐの道が続き、あまり高低差もなく逆に特徴もない道路を走ることになる。白河を過ご福島県に入る。福島は目下、原子力発電所の事故で注目を浴びている。自転車で走る事で当初気にしていたが、地図で見る分距離的にもかなり遠いとことであるので気にしないことにした。4号線を走っているが、沿道の家々は地震の影響がまだ色濃く残っていて、瓦屋根の場合は殆どがてっぺんの「冠振」が崩れ落ちている状態でこれがもとになり被害が増幅している状態と見受けられる。郡山市街地では、自動車販売店の大きなガラスが壊れているところも数店あり被害の大きさを感じた。しかも震災から2カ月を迎えようとするなかで、まだ復旧のめどが立っていないことが深刻さを示していた。
奥州街道  今回の最終地点は、新幹線の便利さから郡山とした。今回は事前に地図を検証する時間もあまりなく、本来は旧の奥州街道をできるだけ走ることにしたかったが、道が不安なので4号線を走ってきた。こうすると何処に駅があるか分からない事があり、新白河の駅は危うく見逃すところだった。それもあり、気をつけて道路を走ってやっとのことで郡山駅にたどり着く事ができた。到着時刻は午後3時過ぎで丁度いい時間。ここでお風呂に入り汗を流せば気持ちよく帰ることができるが、事前の調査が不足していて何処に銭湯があるか分からずこのまま帰ることにした。あまり汗かいていないと思っていたが、以外に体がねばねばしている事を新幹線に乗って気付くありさま。


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