街道シリーズ第三弾の中山道の続報第2報。今回は難所続きの行程。
記録 2010年06月20日(曇り晴れ)梅雨の一休み
自宅から高崎までの移動について調べてみた。新幹線で行く方法と八高線で行く方法の2種類があり双方での値段に違いは、3千円以上。しかも時間差は30分程度。当然八高線を選択する。八高線は八王子から高崎まで直通しているJR路線だが、途中高麗川以北は電化されていないので必ず乗換の必要があるが新幹線を使うよりは乗換回数は少ない。
いつもの様に朝起きて朝食を食べた後出かけたが、時間の見積りを間違え5分の遅れで予定していた電車には乗れず、次の電車にした。ただ次の電車は30後と思いのほか早かったので安心。高崎には9時に到着し9時30分には18号線を走っていた。 高崎からはまずは碓氷峠越えを目標とする。 碓氷峠手前には釜飯で有名な横川駅がある。鉄道好きならこの駅もある意味注目する駅の一つである。かつて信越本線は高崎駅から新潟駅までを結ぶ路線であり、この横川駅から碓氷峠を越えて軽井沢を通っていたが、1997年の信越新幹線開通に伴い横川から軽井沢間の鉄道が廃止され、軽井沢から篠ノ井駅までの区間が第三セクタに譲渡されてしまった。かつては横川駅から軽井沢までの碓氷峠(10Kmで500mの勾配)をスイッチバックとアプト式の線路を使って登っていたが、廃止されそこはハイキング道路としてめがね橋まで行けるようになっていた。このハイキング道路は「アプトの道」の名で訪れた日にも多くの人が来ていた。
アプトの道は最後の軽井沢まで行けそうに思えるが、途中のめがね橋まででそれ以降は通行止めとなっていた。四季を通じて目に映る煉瓦色は鮮やかで、絶えない観光客の写真モデルとなっている。
さて、目標としているこのあたりから坂の傾斜が強くなっている。碓氷峠はカーブごとにCXXXと記号が付けられており最後のカーブはC184だった。つかり184のカーブで採取の軽井沢まで辿りつける。梅雨に入っているが、本日は天気に恵まれているが、湿度は高くペダルを漕ぐほどに汗が滴り落ちる。
碓氷峠を越えるとすぐに軽い左wの高原に入る。しままできた道の風景と大きく様変わりして、さすがに避暑地の別荘地らしく異国情緒すら感じる街並みである。軽井沢の街をさっそうと走り切り、中軽井沢、追分を過ぎた頃から南方向へハンドルをきる。ここから鉄道路線から外れることになりしばらくリタイヤできなくなる。今まで登ってきた坂道と同じくらいの距離を下って走る事になり、気持ちが良い。
さて、今回のコースはとにかく難所である。先程の碓氷峠(960m)は大変だっかが、これだけだったら、いい思い出で終わっていたが、その後笠取峠(900m)和田峠(1500m)とあわせて3つの大きな峠超えを行うことになる。笠取峠まではなんとかん走り切ることができたが、最後の和田峠にいたっては、ちょっとした坂道でも足が上がらなくなり、歩いたり、ペダルを漕いだりとバテ美味である。
和田峠はどこまで行けば終わるかと思えるぐらい道がつづいている。そもそも出発する時間が遅かったので、速く目的地に行かなくてはと思う反面、坂道で思いのほか時間が取られている。和田峠頂上付近までくると、旧道と新道の分かれ道に遭遇した。看板があり、「エネルギーと時間節約の為に新道利用を」とのチャッチフレーズが掲げられていた。最初は旧道を通ることをきめていただが、疲れと時間不足から有料ではあるが新道を通ることに変更した。有料道路への道にハンドルを切って進んだが、これが選択ミスであった。とにかく車を目当てにつくっているので、道の傾斜が強いほとんどの道で歩くことを余儀なくされた。あとでWeb検索すると旧道は比較的緩やかな道路で有ることを知って愕然とした。新道の通行料は50円。車に混じって料金払い、その後も押しながら頂上の新和田トンネル(全長2Km弱)を越えると一気に下り坂になり諏訪野町に下っていく。諏訪湖が見えるくらいになってきた時点で雨にあったが全般的には天気に恵まれた行程であった。
甲州街道の終点で一度来たことのある「甲州街道中銭湯合流之地」の碑の前で今回の旅を中断する。時刻は6時16分、だいぶ遅くなったが、汗をかいて体中がベタベタするので、温泉地である諏訪の湯をいただき帰ることにした。菅野温泉というのが下諏訪駅の近いところにあり、そこで、220円の料金で頂いた。さっぱりしたあとに電車でビールと思ったが、7時を回ると駅の中も駅の周りでもお店が見当たらなく、ビールどころか何も食べず帰ることになった。次回の教訓として、田舎では早めに旅を切り上げること。
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