中山道(その1)日本橋~高崎

街道シリーズ第三弾の中山道に挑戦。中山道は日本場所から京都の三条大橋までであるが、東海道と違い北回りの難所コース。初日は関東平野を縦断することで終わり。
記録 2010年06月06日(晴れ)梅雨前の晴天
中山道  朝早起きした日曜日の出発である。昨日は天気が思わしくないとの予想で、本日に延期した。いつもの日本橋からのスタートとなる。都営地下鉄の大手町まで輪行しここまでやってきた。日曜日ともなればこのあたりは寂しくなり人通りもさほどない。ここから、17号線を通り北上していくことになる。ちょうど三越前の通りを通るわけであるが、初めて東海道制覇でここに来たときは、日本とは思えない雰囲気で圧倒された記憶がある。それが当に三越前のとおりであった。日本らしからぬ大づくりの建物が並びその前は、日本とは思えないゆったりした道路が走っている。行ったことがないがヨーロッパの町並みを想像させられた。今日はその前を自転車で走っている。人も車も少なくスイスイとペダルを漕ぐのは気持ちがいい。
 17号線をひたすらまっすぐ走っていたつもりが、道路標識はいつの間にか王子方面に向かっていた。地図上では東大前を左に折れるのをそのまま直進していたことに3Km程気づかないままでいた。そのご、地図を参考に正しい道に軌道修正できたが、都内は道路が整備されているので、よく確認しないと迷ってしまう。ただ、道路標識は整備されているのでリカバーは用意にはできる。
中山道道路の軌道修正が終わり、巣鴨の地蔵通りにやってきた。おばあちゃんの原宿である。中山道の旧道はこの地蔵通りを貫いている。これを通り過ぎ進むと程なく東京のハズレに到着する。戸田橋を渡ると戸田競艇場を左手に見ながら埼玉県に入る。ここからは、まっすぐな道が延々と続くことになる。元々中山道がこんな真っ直ぐで広い道路ではないので、時代とともに道幅が広がり迂回路ができ近道ができたであろうから、可能な範囲で旧道をと売りたいとの希望があった。ただ、戸田の市街地から明らかに旧道である旨の表示がある道がある。
中山道ちょうど蕨(わらび)あたりから、「中山道蕨宿」の碑が立っていてここから旧道に入る。旧道は、名のとおりで道幅は狭くなるが、車の通りも少なく生活の色が濃くなることから走っていても楽しい。ほぼ、17号線と平行に走っているが、突然道が左右に分岐する場合ががある。本当は地図を持っていれば迷うことがないが、適当に進むことで期待以上の発見もある反面当周りをすることももある。今回道に迷ったのは、中浦和あたり。後で地図で見れば、もっといいリカバリー方法もわかるのだが、かなり迷走しているところもあった。はるか向こうに大宮の高層ビル群が覗けたので、それを目安に道を選ぶことができてそれ以降は比較的順調な進行ができた。程なく、17号線とも合流し一安心する。北与野を過ぎた頃から、旧街道を示す表示があったので、迷わずそれが指し示す右折を選択した。しかし、その標識があったあとは特に標識は見つからず、いこうまた堪で前進することになる。こうして、旧道と17号線とを行き来戻りつしながら高崎を目指すことになる。これ以降は平坦な道が延々と続くことになり黙々とペダルを漕ぐ事しばらく。 中山道
 高崎駅に到着する。群馬県の県庁所在地であり大きな街である。到着後ひと風呂浴びたく、近所での銭湯を探すが、街のど真ん中ではさすが煙突も探すことができず断念し、駅のトイレで汗をぬぐい着替をして新幹線に乗り込み帰宅する。高崎からの帰りは、当然新幹線と思い込んでいたが、実は八高線なる路線があることをあとから認識した。時間はかかるものの運賃が遥かに安い。
今回の教訓として銭湯マップが持参すべき!さらに帰りの効率的な交通手段を事前に決めておく事を挙げる。


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