甲州街道として今回で最後の走り。終わってしまうと意外と短い街道をでたったことを知らされる。
記録 2010年05月15日(晴れ)風冷たし
先週の続きから走り始めるために、自宅から輪行バックを携え中央線に乗る。八王子からの始発電車に乗り結構走ったところに韮崎がある。JR東日本のPASMOが使える最端地点で、これ以北は使えないことを今回初めて知った。この駅は「武田の里ウォーク」の終点に辺り何度も来ているが、この駅から富士山が見えることを知らなかった。」天気がいいこともあってか、東の空にきれいに見えていた。また、韮崎はJリーグの中田の出身地でもありサッカーが盛んなところでもある。駅前のロータリーにはサッカーボールとサッカーをする銅像とがある。
ここで、自転車を組み立てる。いつものように暑くなると思い薄着で来たが、駅に降りると風が冷たく、いつも日向ぼっこしている老人の人たちから「今日は寒い」との事を聞く。うすいジャケットを着て走ることになる。
韮崎駅から20号線に出て国道に沿って北上する。こあたりは、地図で見る限り谷間の道なので、この20号線以外には道はなく、交通量は多い。特に大型トラックが結構なスピードで走っているので、自転車としては肩身が狭い。必然的に歩道を走ることになるが、それも十分に整備されていない。道路に所どこと気温を示す掲示があるが14度、15度と都内では4月初旬の気温である。このなかを薄着で走っているので結構寒い。
韮崎からはナダラカな上り坂になっている。道は何度も歩いたことがあり、あまたの中では平坦な道だとの記憶だったが、実際は緩やかな坂道である徐とが分かった。下っている場合は、錯覚として傾斜をあまり感じなく、ましてや緩やかな下り坂は平坦な道に感じるのだろう。
途中も風景はといえば、季節がら田植えの風景をよく見受ける。今年は雨が多いためか、田んぼの脇に流れている水路には結構な水量の水が流れている。さらにその向こう側にはまだ雪に覆われた南アルプスの山々が姿を見せている。この二つの風景が旅人としてはとても新鮮に映って見とれてしまう構図である。山を見てそれぞれの名前はわからないが地図からすると南アルプス連峰何だろうと思う。
韮崎市を過ぎて途中道の駅「はくしゅう」でトイレ休憩したあとで、北斗市の道の駅「蔦木」で休憩をとる。ここは、為田の里ウォークのチェックポイントになっていることから何度も来ている。しかし、日中に来るのは初めてでまた違ったイメージを受けた。
韮崎からココまで約20Kmの距離になるが、ず~~~と上り坂の道のり。結構足と体力にインパクトを受けている。笹子峠のように急な坂道ではあるが短くメリハリがきいていれば少しは気が楽であるが、こうダラダラ続いていると嫌気がさす。
軽い休憩の後、再び走り始める。これからは道の変化もあまりなく風景にも大きな特徴もなくひたすら自転車を漕ぎ続ける道が続いた。気温も相変わらず15度程度で自転車を漕いでいる分寒さはあまり感じないが、持参した水はあまり飲むことがすくない。
山梨県を過ぎ長野県に入る。道の両側では「信濃」の名前がついた看板が目につくようになってくる。また道は相変わらず狭く、片側1車線の道を大型トラックが走り続けている。歩道もあったりなかったりの状況の中、なだらかな坂道が続いている。茅野市が近づくにつれ前方に雪を抱いた山々が姿を見せ始める。空気も乾燥していて先のほうまで見通しがいい。
実は、自転車に乗っている時にはラジオを聴きながら走っている。都内から韮崎辺りまではラジオはちゃんと聞こえたが北に向かうほど電波が弱くなって山梨の北部に入るとほとんど電波が入らない。やむなくチューニングを変えて聞こえる曲を探すとNHK(山梨)が見つかる。それを聞きながら長野にはいるとそれも聞こえなくなり、聞こえるチャンネルを探すがよくわからず、やむなくラジオのスイッチを切る。山間では電波は届かなくなる。
自転車はそれでも前に進み、諏訪市に入る。上諏訪駅の前を通りココからは初めての土地になるが下諏訪に向けてハンドルを握る。時間は11時過ぎでおなかも少しすいてきた状態であるが、終点も間もないことから最後まで走りきることにした。下諏訪では、諏訪大社下社がありそこの近くに、今回の終点である「甲州道中中山道合流之地」が存在している。下諏訪についたあとこのポイントを見つけるのに手間取ったが、こんなとこ??というような場所に碑があった。駐車場の脇にちょこっとあるふだけで、出発した日本橋の戸は比較にならない、ちんけなもので少々がっかり。まあ、それでも終点に到着したことには変わりなく、終わってしまえば、気が抜けるような距離でもあったが、坂道の多い行程であったことは記憶に残る。
走りが終わった後は、諏訪大社で安全であったお礼をして、温泉に入り帰宅した。
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