天気に恵まれた5月8日に第二回目の走りを行った。
記録 2010年05月08日(晴れ)
ゴールデンウィーク明けの土曜日。前日から本日の決行決めていて、ひろご飯用にスーパーで期限間近のパンを数個買い求めて帰宅していた。本日は朝4時20分頃に目が覚め、朝食をバナナとお持ち3個で済ませ出かけた。今日は前回の続きで山梨県の大月駅からのスタートとなるので、八王子で中央線に乗り大月まで向う事にしていた。
ところが、八王子駅に着くと「荻窪駅で人身事故があり中央線快速は運転を見合わせている」との放送が流れた。しばらくホームで電車を待つが一向に動く気配はない。中央線快速は高尾までが運転区間であり高尾からの山梨方面へは動いているとの情報を確認し、輪行バックにつめていた自転車を再度組み立てて、急きょ八王子から高尾まで向う事にした。距離的には6Km程度なので大したことはないが、予めの地図は頭に入っていないので、道路標識を確認しながら最短距離の選択はできていないが何とか7時には高尾駅まで到着した。
電車はと言うと、この時間になると快速の運転は既に再開していたがダイヤはかなり乱れているとのアナウンスで、次の出発は八王子駅からやってくる直通電車だ、、とのこと。こんなことなら八王子で待っていればよかった。
通常は、高尾始発電車なので都合の良い場所を確保して当然座ることができるのだが、直通の場合はそうはいかない。
やってきた電車は休日の早朝であるが満員状態。これに無理やり自転車を持ち込んで乗ることになりややヒンシュクを買うことになる。まあ、それでも途中の上野原に着くぐらいになるとほとんどの人は降車したので、座って行くことができた。
大月駅でも特急電車が遅れているので、お客の待ち合わせをしているホテルなどの送迎バスが駅前を占領していた。ここで、自転車を組み立てて出発だ。 大月からは20号線をひたすら走ることになるが、駅から2km程度走ると道は上り坂になってくる。最初から坂道は想定していたがこんなに早くから坂道になるとは思わなかった。駅で言うと「初狩」「笹子」と西にすすむにつれて坂の傾斜がきつくなるように感じる。道路は片側一車線でやや広いと思えるが、この道を大型トラックが風を切って追い越してくるので結構危ない状態ではある。
10Kmほど進んだところで、一旦20号線から外れ県道212号線に入る。この道は旧の甲州街道であり、調べてみると現20号線の笹子トンネル(新笹子隧道)が出来上がった1958年以降、この道は県道に格下げになったとの事が書かれてあった。こういった歴史背景や人知れない道の神秘さもあって、バイクや自転車、ハイキングをされている方も見受けられる。
道sのものは、これでかつての国道かと思うほど狭く車のすれ違いもできないように思える。かつてはこの道を使って、東京の鮮魚が運ばれたりしていたとの事だ。 <追伸>かつて山梨の人と飲みに行った時、彼らは飲みながら魚の刺身をこのんで食べる。もともと山があっても山梨県と言われるほど、山の中に住んでいるのにどうして刺身をこのんで食べるのかと聞くと、昔からお客に対してはモテナシをする習慣があって特に魚は古くから貴重品だったので逆にもてなし料理としてこのんで食べるようになったとのことである。
このような背景がある中で、笹子トンネル(新笹子隧道)の役割は非常に重要な位置づけだったのだろうと思う。
この旧道(県道212)の途中に、「矢立の杉」という観光スポットがある。杉良太郎に歌われており、出陣する武士が矢をこの杉に立てて勝利を祈願したといわれている。杉良太郎がうたっている歌を知ったのは、YOUTUBEで今回見つけて初めて知ったのだが、掲載されている画像では大きな杉の木が立っているが、本日見た実物は上部が
折れていてよわよわしく感じた。いつの時代か落雷で上部をなくしたそうです。また、今では根もと周りも立ち入り禁止になっていて杉の中が空洞になっているとのことだが、確認することはできなかった。
さらに先に進むと前述した笹子隧道があらわれてきた。車一台分の幅しかなく、中は真っ暗の状態。開通は昭和13年(1938年)で、現在は文化庁の有形文化財に指定されている。これを自転車で走ってみる。全長240m程度ではあるが、中はとても涼しくて、かいた汗がひんやり感じても寒い。
この隧道が笹子峠の頂点になっていて、これを抜ければ後は長い下り坂になる。さっきまで汗を流しながら登っていたのが嘘のようにブレーキをかけながら一気に下っていく。下りのほうがややこう配がきついように感じるが距離的には15Kmほどの距離で麓まで駆け下りていくことになる。
この勢いで県道214号線、国道411号線と乗り継ぎ、仕事の関係でよく行った山梨市に寄ってみることにした。この辺りから甲州街道を忠実には素人の思いがなくなってきた。山梨市は少し北側に位置しており、昔から小さな街であったが、数年前から駅前の整備が行われきれいに生まれ変わっている。そして目当ての会社は既になくなっていて、市役所に生まれ変わっていた。一部の建物以外は取り壊されていたので面影もなく以前の会社の入り口である門だけが使われなくなったままさみしく佇んでいるのでがさみしさを感じさせてくれた。
お昼近くなってきたので、近くの万力公園で持参したパンをいただく。前日の雨のおかげか、水量の良い多い池の水を見ながらパンを食べていると、絶えず流れ続ける水のごとく何度もの歴史が繰り返しそして形を変えていくことに一つのサダメを痛感した。
小一時間休憩をとって再出発した。大きく甲州街道から外れているのであまり気にせず西の方向を目指した。国道140号線は雁坂みちと別名がついていて、秩父と山梨を結ぶ道とのことで、そういえば、山梨は埼玉県と接していることを改めて認識した。 石和温泉駅、甲府駅と走り抜けた。甲府駅では、武田神社に寄り道して今回の旅を終えようと考えていた。駅前から中央線を跨ぎ北側から武田神社の標識に沿って神社を探したが途中で標識がなくなり道を見失ってしまった。元々どのあたりにあるか確認しておけばたどり着いただろうが、事前の確認を怠っていたため方向を見失いその代わりに、韮崎の標識が目に入ってきた。距離的にも10Kmあまりなのでついでに韮崎まで本日の目的を変更する。
韮崎は先月も武田の里ウォークで来ていて、特に気になることはなく駅に到着後、10分後に出発予定の電車人乗るべく、輪行バックに自転車を詰めて手早く帰宅した。
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