2010年が空けての初めての自転車の旅。今年は甲州街道の制覇を計画し、コツコツ制覇することを決心した。5月が明けた2日を出発日と決めて今年の計画をスタートさせた。
記録 2010年05月02日(晴れ)
4月までは、天気がおもわしくなく且つ気温も低めの天候が続いた。桜の花が咲いたにもかかわらず雪が降ったりで今年の春はなかなか本番にならなかったが、ゴールデンウィークを迎えてやっと天候も落ち着き気温も平年並みに回復してきた。4月の日照時間は観測史上で何番目かの短さで、キャベツきゅうりレタスなどが平年の2割程度になっている。5月以降の天候で平年並みになることを期待する。
通年では5月連休前に自転車で出かけているのだが、今年はやっと5月2日に動き出した。今回の甲州街道は、前回の東海道と違い山の中を走ることが多いことから十分地図で下見をしていくことにした。東海道は国道1号線を頼りに走っていたことからあまり地図を見なかったが、そのため途中で自動車専用のバイパスになったりで苦労したことも反省して準備をしっかりとした。(つもり)
出発日の朝は、午前4時半に起床し身支度を終え最寄り駅まで向うが、財布にお金を入れるのを忘れたり、自転車のスタンドを取り外すのを忘れたり、準備不足が目立った。スタンドを取り外していなかったため、輪行バックに自転車に詰め込めるに時間を要したが、なんとか予定していた電車にのすことができた。
電車で道路の聖地である日本橋に向かう。日本橋は前回の東海道の終点であったが、今回は始発点として選んだ。地下鉄で大手町まで行って、自転車を組み立て日本橋まで向う。ゴールデンウィークで街並みは静かであるが、バスツアーの待ち合わせ客が大勢いた事が印象的だった。
都内は道路も整備されていて非常に走りやすいが、その反面信号が多く思った通りに走ることができない。日本橋を午前8時15分に出発することになった。人がいなくて走りやすい。気持ちいいスタートだ。走り始めて間もなく日比谷公園のそばを通った。そういえば、ニッポン放送が代々木公園で公開放送をやっている事を思い出した。トイレに行くついでにちょっと公園に行ってみる。放送は9時からなので、会場では多くの人が列を作って会場に入るのを待っているのが伺えた。今日も気温はぐんぐん上がるので暑くなるのだろう。。
日比谷公園から再出発して皇居周りをとおり、国会議事堂前を通る。この辺りも道はきれいなのだが車中心の設計となっていて、自転車ではいくつもの信号をジグザグに渡りながら進んでいく。やっとのことで半蔵門前で20号線に入る事が出来た。ここからはまっすぐな道なので、車道をひたすら漕いで前進する。あっという間に四谷、新宿を通過することになる。新宿手前で20号線から離れ東口からおおきく新宿駅を左回りに回りこみ20号線に出ることにした。ここからは、下高井戸まではまさにまっすぐの道が続く。道路の上は首都高速が走っていて右の写真のような道が4Kmほど続く。休日のせいで道路はすいている。
調布市に入ると、何時かは行ってみたいと考えていいた「深大寺」に行きたくなった。地図で確認すると甲州街道からはちょっと離れていることが分かったが、これを逃すと行く機会がなくなるので北側に進路を変更する。ずっと前にTVで見て、調布駅からすぐと勘違いしていたが結構離れている事が今回初めて分かった。自転車という事もあって丁度いい手段で深大寺にいけることができる。深大寺と言えば、「蕎麦」がとっても有名だが、値段が1200円と旅をする身としてはちょっと高いので、蕎麦饅頭を買って食べる。さつま芋入りのを買って食べたが、おいしかった。
下高井戸を過ぎたことから、首都高速とは別れることになり、こちらも20号線と別れ、旧甲州街道を通ることにする。いつのことか車の量に応じてバイパスが作られ前の道が旧道になっているのだが、その大昔、今走っている旧甲州街道ももとは違った道路だったのかもしれない。飛脚が走り馬が走り人が歩いていた時分とは昭和初期でも交通量は大きく違っていただろうから、何が旧でなにが新かはいい加減なものなのだろうと、勝手なことを考えながらペダルを漕いでいた。
旧甲州街道は、6キロ程度の距離で、20号線と並行で走っている。片側1車線の道。細い道だが車が少なく走りやすい。
府中を通り立川から日野市の入るところで多摩川をわたる。日野橋を渡ると日野市になる。ここで、少し早いが昼ごはんにする。持参したパンをバックから出してむしゃむしゃと頬張り一休みする。
多摩川で一休みして、続きを走りだす。ここからが、また単調な一直線の道が続く。丁度八王子~西八王子~高尾間を中央線より少し北側を走ったことになるが、単調すぎて途中で飽きたぐらい。高尾駅から高尾山入口に来ると観光客が目立ってきた。ここで、トイレ休憩をとる。高尾山口駅前の駐車場にトイレがあったので借用する。
一休みした後は、大垂水峠越えが始まる。天気はよく、汗が噴き出すほどの暑さであるが、この環境下で坂道は結構つらい。登っても登っても坂道が続く。東海道の箱根レベルではないが、下調べが不十分だったので、こんな坂道があると知らずの挑戦で心の中はやや驚きももの木の状態で足が止まりそうになる。それでも大垂水峠の頂点にやってきたときは、心の中で「ヤッター」と叫んでいた。途中で、数人の自転車に追い抜かれた事を思い出した。これでも足に自信があったがそれを追い抜いて目の前から遠ざかった人はすごい、と改めて感心した。
頂点からの下り坂は本当に気持ちいい。逆走して坂を上ってくる自転車とすれ違ったが、頑張れと声をかけたくなった。坂を降り切ったところに写真のような標識があって甲州街道の歴史を感じた。
観光の定番である相模湖に行った。ボートに乗る人、魚を釣る人、湖を見ながら話す人、、、いろんな人が楽しんでいた。ここで、一休み。結構疲れたので休憩するが、場合によってはここで今日は終わりにしようかとも思うほどだった。
一休みしたら元気が出てきて、もう少し先まで行ってみようと気が変わった。相模湖を回り、中央高速の相模湖インタを横目に20号線を進む。藤野駅、上野原駅のそばを通りながらさらに進む。四方津駅、梁川駅、鳥沢駅・・と進んで行く内に猿橋の標識が見えてきた。猿橋は、学校の教科書で見た記憶がある。何度も大月にきているけど一度も見たことがないので、いつか見てみたいと思っていたがいい機会だとちょっと寄り道を。20号線から少し入ったところに猿橋はあった。もしかしたらこれも旧甲州街道だったのかもしれない。
「猿橋」は、日本三奇橋として「錦帯橋」「桟」とならんだ有名な橋である事が今回分かった。実際に見てみるとそんなに変ったようには思えない。
猿橋からもう少し進むと大月駅がある。大月の周りのいつの間にか変っていて、駅前にあった20号線はバイパスができていて車の数は減っていたし、何より驚いたのは駅前の建物ほとんどが建て壊されていたことだ。大月市のホームページでは平成23年を目標に駅前広場の拡張を行っているようで、いままでバス、タクシー、一般車両、人が狭い駅前広場に入り乱れていたのが整理されるとのことで、快適な様子が略図として掲載されていた。そのために、お土産屋さんや飲食店など数軒のお店がなくなっていた。もともとは、南北の自由通路を作る計画だったらしいが、今日の不景気からその計画は凍結となっているとか。。
さて、時間は午後3時過ぎとなり、自転車の旅は今日はココまでとした。大月であれば特急も停車するので再開するにも良い場所であるし、これから西は笹子峠もありこれ以上の挑戦は無謀だと判断した。
■忘れ物しないように覚書
少しはお金を持っていく | 地図は事前に調べて、場合によっては持参する |
汗ふきのタオルは多めに | 自転車の整備は前日に行うこと |
輪行バックは忘れずに | 衣服は薄手のものを数枚がベター(着替えも) |
自転車スタンドを外す | カメラ、携帯の充電はしっかりと |
水は必ず持っていく | サングラスと手袋は必要 |
スイカは必要 | 場合によってはレインコートを |
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