輪行旅行の第7回目。東海道で残っているのは、京都から浜松の区間でいつかは走りぬこうと考えていたが、しまなみ海道を走ったついでに走ることにした。これで、線が繋がった。
記録 2009年08月05,06日
本当は走る予定ではなく、しまなみ海道を走った後はそのまま新幹線で帰る予定であったが、せっかくここまで来たのだからと、出発の2週間程前から東海道制覇を考え始め、ネットで情報を収集しながら出発の3日位前に決心した顛末である。
朝は早く新幹線で京都まで輪行して、京都駅前で自転車を組立て、走り始める。天気は大変よく、蒸し暑い京の街がいっそう暑く感じる。東海道の起点は三条大橋であり、そこまで観光をしながら目的地を探す。ほどなく写真でも見かけた「弥次喜多」の銅像が橋のたもとにあった。意外と小さいことに驚く。「さあ、最後の浜松まで行けるかやや心配であるが、無事を祈ってほしい」
時刻はもう既に11時30分と見積が少し甘かったことを反省する。今日の目的は名古屋のカプセルホテルと決めて出発だが、片道130Km程度だがいけるか、すでに不安である。
京都からは、三条大橋を渡り三条通りにそって東を目指す。東山を越え1号線に合流するとさらに走りがいが出てきた。ほどなく大津に入り、ほんの束の間の京都であった。もっとゆっくり巡るとまた違った発見や経験もできるのだろうが、、とは思うが先を急ぐので諦める。大津に入り、左手に琵琶湖が見えるかと注意しながら期待したが、それらしき様子は少し伺えたが建物が多く1号線からはほとんど見えることがなかった。12時も回っているので、腹ごしらえのために「すきや」で牛丼をいただく。少し休んだところで、再び走り始める。
草津を通り中山道との分岐を過ぎるまでは、心が東にありあっという間の時間だった。甲賀市付近から両ひざに痛みが出てきた。長距離を走り続けるのは何とか続けられるが、走り始める時とか坂道などの踏ん張りが必要な時などは痛みがつらい状態になる。ここらで一休みをするために、高架された1号線を降り近くのコンビニに寄る。玄米茶の1㍑パックとアンパン、アイスクリームを買い駐車場でへたり込む。暑くて疲れて結構きつい。一休み後に走り始める。ところが、高架を降りたので、どう戻るか道がわからなくなりコンビニの人に聞く。「この道のひとつ目の信号を左折すると1号線に合流します」とのことで、なぁ~んだ、簡単だ、と走り出したが、そのひとつ目の信号がなかなか見つからない。600mくらい進むとやっと信号が見つかる。指示通り左折する。ほどなく1応戦に合流と考えていたが、行けども行けども1号線とは合流しない。コンビニの人の言い方も少し怪しいかったかと思い引き返すことも考えながら走り続けていると約3kmとぃど進んだところで合流した。元々、東海道は古くからの道で、近代化に伴い一般道でも交通量を補うためにバイパス道が作られているので、旧道を見つけて走るのが自転車にとっては走りやすいが、教えられた道も旧道だったようだ。ただし、旧道では案内図が不足しているので走りながら不安になる点が難点だ。
ほどなく進み、また疲れが出てきたのとトイレ休憩をするために、道の駅に寄った。「あいの土山」。さっき買ったアンパンの残りと玄米茶で体を休めたところで、空から雨がパラパラと降り始めた。今回の旅で初めての雨に遭う。西の空は黒くいかにも降っている感じで私を待ち受けているようだ。背負っているデイバックに雨除けのカバーを着けて走り始める。雨は止まない。 このまま1号線は鈴鹿峠に入っていく。走りながらなので地図を見ることはないので、実際こを走っているかはよく分かっていない。長い坂道を上っていると雨脚がさらに強くなってきた。滋賀県と三重県の境のあるトンネルまで来るとおおむね頂上であり、これを抜けるこるは土砂降りの天気になる。トンネルから以降は下り坂が続くが、前面から降り注ぐ雨で顔が痛いのとこの辺りからトラックの交通量が急に増え自転車の左を猛スピードで走りさる事と雨で来るの中がぐちゅぐちゅになったこととで、悲惨な状況になった。
亀山市に入った4時過ぎだったと思う。TVで有名になった街で、先ほどの雨で精根尽きた。本当は名古屋まで行く予定であったが、この時点でそこまではいけないことを判断し、亀山なら街だから宿泊施設はあるだろうとキョロキョロしながら走り続けたが、なかなか見つからない。見つからないまま鈴鹿市に入り、四日市市まで来てしまった。6時前の時間になっており真剣に宿泊場所を決めたく四日市市街地あたりで1号線道を外れ探すことに。そもそも四日市にとどまる予定がなかったので地理に不案内であったが何とかなるとの思いでいたが、何ともならずウロウロ探すうちに自転車の後輪がパンクしてしまった。踏んだりけったりの状態で、たまたま近くにあった自転車屋に飛び込む。長さ4cm程の釘が見事に刺さっていた。パンク修理中に四日市で宿泊施設を探す。携帯で探したホテルに電話して今日の宿泊を予約し、800円也の修理代を払った上で、四日市駅までの道順を聞く。「あの~よつかいち駅はどう行けばいいでしょうか?」「あ~、よっかいちですか」と市の呼び方も知らない自分が恥ずかしかった。
駅近くのサンルートに宿泊した。ホテルでは、ぐちょぐちょになった服をすべて脱ぎ、ついでにぐちょぐちょになった靴も脱ぎシャワーを浴びてすっきりしたついでに服と靴も洗ってやった。翌日もこの恰好をするので、ホテル内のコインランドリー迄行き靴と服を一緒に乾燥機に放り投げた。靴が入っているので乾燥機はゴトゴトと大きな音を立てながら30分回り続けた。まだ、十分乾燥し切っていない靴をはいて遅い夕ご飯に出かける。静かな街並みの中、数少ないお店のひとつ「天下一品」という京都発祥のチェーン店に入り、ラーメンと餃子をいただく。特に天下一品とは思わない味。近くのコンビニで翌朝の食事を買ってホテルに帰り、熟睡する。
今日の記録
106Km(三条大橋から四日市)
翌朝(8月6日)は6時に目がさめ、簡単に朝食を済ませ再出発する。四日市を過ぎたころから、また雨が降り始めてきた。一旦自転車を止め、デイバックのカバーを着ける。「また、雨で靴がぐちょぐちょ?!」と考えると憂鬱になった。桑名に入り、自転車は長良川、揖斐川を渡る。この地で長良川と揖斐川が合流している。
続いて木曽川もわたる。木曽川は川面に霧が掛っていて幻想的で足を止めて写真を撮ってみた。この辺りを過ぎると道が単純になってくる。地名も掌握していないことから行けども行けどもまっすぐな道が続くばかりで飽きてしまう。途中名鉄本線と並走することになり珍しい電車が走っていることで気がまぎれるがそう長くはない。途中で、軽車両通行禁止に出会う。こんな時にいつも思うことは、じゃあ、何処を通ればいいんだ!?との思い。車中心の道路事情なので呆れてしまう。手元に地図はないし、よそ道にそれれば進むべき道を見失ってしまう心配もあるし。もう少し、気配りを行ってほしい。
岡崎を過ぎ豊川市に入る。この辺りの1号線は幹線道路で車の往来が激しく、自転車は歩道を走らざるを得ない。歩道といっても歩いている人は皆無であるが、逆に草ぼうぼうで却って走りづらい。ふと気付くと並行で田舎道があったので、迷わず旧街道だと信じてこの道に進路を変えた。古い街並みで道に面した家には、格子窓を備えた家が多く情緒を感じる。確かに旧街道であろう。これを進んでいると御油(ごゆ)宿を通過する。松並木がきれいに整備されていた。ここで、遅い昼ごはんをいただくことに。街のスーパーに立ち寄り、特売のスイカとおにぎり2つ、2つで98円の揚げ物(ハムコロッケとウズラ卵)を買う。そばを流れている音羽川の川原で昼食兼休憩をとる。川の水がやさしく耳に聞こえ心が休まる。
1号線と合流し再び走り続ける。このままで、浜松に行けるか?足の痛みは気になるがこのまま怪我なく持ってくれるか?走りながら気になり、豊橋まで行ってそこで今回の旅を終わろうかと考えるようになった。またいつでも来れるし、今回無理に走り切る必要もないし・・。相変わらずまっすぐな道が続く。。豊橋まで数キロの表示とともに、浜松40Kmが目に入ってきた。豊橋でやめようと考えていたのに、浜松まで40Kmなら約2時間で行けることになる。それなら行くかと、、と気を取り直した。
豊橋から二川を抜けると海が見えてきた。太平洋だ。そして静岡県に入った。静岡の西の端が浜松と考えていた私は、あれ?と考える。距離的にはまだ10Km以上もあるのにここから浜松までそんなに距離があったのかと・・・。浜名湖の西岸にある湖西市、さらに新居町から浜名湖に入る。こうこうなったら浜松に行くしかない。浜名湖を通り弁天島でトイレ休憩したところで、浜松市に入る。ここでまた旧道を見つけそれを入りリズムをもって前に進んでいく。1号線と合流したあとは浜松駅に向かって一直線。1号線から離れ257号線で駅まで向かう。
到着~~~。やりました。京都から日本橋まで線がつながった。
今日の記録
144Km(四日市から浜松)
昨日からの累計
250Km(京都三条大橋から浜松)
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