輪行旅行の第4回目。前回から仕掛っていた日本橋までの走行を1カ月ぶりに再開し完了させました。
記録 2009年06月20日
両ひざを痛めたため、しばらく自転車から遠ざかっていた。6月になって梅雨に入り自転車に乗るチャンスも作れないと考えていた。梅雨に入ってもゲリラ豪雨には遭遇するが、以外に雨が少ない今年の梅雨である。そんな土曜日朝、天気予報では「今日は気温も上がり晴天。こんな天気は今日限りです」とのことで、今日限りといわれるとついついその気になてしまう日本人の性格から、思い出したように自転車にまたがった。
前回の中断地点である横浜の関内までは、元気出して直接自転車で向かうことした。出発は午後まっさかりの14:00を少しまわったところ。横浜までは約35Kmあり約2時間で出発点まで戻ってこられた。関内ほか横浜地域は、ここ10年くらいで様変わりしている。今年で横浜開港150年を迎えたこともあり、関内から横浜までも15号線沿いは、ゆっくり走りながら風景を楽しむにはもってこいの様相である。静岡から走ってきたが、ここが一番気持ちよく走ることができたと思う。

国道を1号線から15号線をめぐって自転車で走っているが、道端には写真のようなポストが一定間隔で設置されている。ネットで調べると距離標(キロポスト)と呼ぶらしいことがわかった。距離標に、鉄道、道路、河川といろんな用途があり、道路においても国道、その他と用途に分けてはいろんなタイプがある。
写真の距離標はごく一般的な国道のmので、100m毎に設置されていた。この標識に依ると28.2Kmで起点の日本橋に届くことになる。平均時速20Kmで走っているので1時間30分で目的地に到着予定となる。

関内から15号線に沿って、横浜、鶴見、川崎と走ってきて、神奈川県の終りとなる多摩川を渡る。この辺りから、またしても両ひざが痛くなり始めていた。力を入れずに軽く走っている分にはさほど気にならないことから、日本橋まではいけると思うが行く先々注意しながらの走行とした。

東京に入り、蒲田、大森、大井町と北上していく。地名の認知度が高く、ペダルを漕ぐ毎に進んでいることが分かりやすい。都内に入って15号線の車は少なくなって、自転車でも走りやすくなっている。ただ左側の車線に停車している車が目立ってきてそれさえ気をつけていれば、とっても走りやすい。品川を過ぎると、東京マラソンで走ったコースとなり見覚えもある。しばらく進むと某会社の本社ビルも見えてくる。普段は歩道からしか見ない風景も車道からみるとまた違った見え方もするものだ。 日本橋が近づいてくると距離標もご覧のように変わっている。あと6Kmとクライマックスを迎えつつあり、心が逸る。
15号線を限りなく北上していると、急に通行止めの地域に出くわした。銀座である。秋葉原の歩行者天国が廃止されてことで、全国の歩行者天国も橋されたと勘違いしていたが、銀座では引き続いていたことを改めて認識した。多くの人が繰り出していたが、人の種類があまりにも違うのでここを自転車を引きながら歩いて通り過ぎるには抵抗感があったので、脇道を通りぬけた。脇道でもいろんな人がおり、場違いな恰好が少し恥ずかしかった。
日本橋に到着した。ここが、日本の道の起点となっていて、「日本国道路元標」が置かれている。(右から2番目の写真)
ここから、国道1号線(東海道)、国道4号(日光街道)、国道6号(常磐道)、国道14号(千葉街道)、国道15号(第二京浜国道)、国道17号(中山道)、国道20号(甲州街道)のそれぞれ起点となっている。ただ、物理的にそんな多くの道路が集まっている訳でなく、単なる四差路にすぎないが、それぞれの起点として位置づけられているとのことです。
さて、静岡の端から日本のへそまでたどり着いたので、これからの道のりについて考え、また未踏の地に行ってみたいと心新たにした。
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