さくら祭り2006




01_thumb.png 2006年の相模原市民さくら祭りは、例年になくジャストタイミングの開催になりました。実行委員の人も胸バリバリの気持ちでしょうねぇ。今年で33回目で、津久井町と相模湖町が3月に合併した初めてのイベントであり、みんな張り切っていました。天気もよく盛大でした。
02_thumb.png しかし、桜にしか興味ないわれわれ年代は、並び連ねる屋台の列や、それを求めた若者の人の流れが本当に邪魔で気分半減です。「お前らもっと目線を上にして、瞬間しか見る事のできない映像を目に焼き付けろよ!」
03_thumb.png 2007年には城山町、藤野町も相模原と合併の予定で72万人の年になる見込み。市制施行が1954年8万人から始まり53年後で約10倍の人数になる。いつからか桜はいつ植えられたか、今年で33回目の「さくら祭り」ですから少なくても33年前にはすでにここ居たわけです。
04_thumb.png 政令指定都市(政令市、指定市)とは政令で指定される都市の意で、都道府県と同じ財政上の権限が与えられる市である。法律的(地方自治法)には50万人以上の都市であれば条件を満たすとされているが、実行的には既存の政令都市とおおむね同等である必要から70〜100万人の人口が必要とされている。
相模原市も平成の大合併を受け、政令指定都市にならんとしている。
05_thumb.png 相模原市は、東京から比較的近い事と土地が安い事が理由として戦前軍関係の施設が多くあったそうだ。その事で道路整備が進んでおり、現国道16号線の幅の広さやそれを交差する支線など計画的に都市整備が進められていた。反面、相模大野はこの整備の範囲外であったことから無秩序な発展をした事が対照的に分かる。
06_thumb.png 相模原の地形は、大きく3段の丘で構成される。もともと相模川の扇状地であり、一番広い上段に人口が集中しており、前述の軍関連の施設もここに作られている。中段、下段は相模川の水位が下がった事で段階的に土地として利用される様になった。下段の丘は、現在の相模川とほぼ同じ高さに新しく造成され家々が立ち並んでいる。
07_thumb.png もともと、養蚕業が中心であった相模原地域では、土地が安い事から多くの企業が進出してきていて、現在の産業の中心は農業から組み立て産業へシフトしている。また大学も多く移転しており2003年、青山学院大学は世田谷と厚木のキャンパスを廃止しここに移設している。宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究本部相模原キャンパスがあり宇宙科学研究の拠点でもある。
100_thumb.png ランドサットからの相模原市の映像。




ホームページに戻る