購入年メーカ車種イメージ思い出
2013年トヨタアクア息子が家を出ることが決まって、もう一度自分の車を持つことになった。もう年でもあるし、一層の省エネの傾向から軽自動車を第一選択肢と考え選択を行ってみたが、結局家族の反対にあい普通車を選択せざるを得なくなった。結果的にアクアを選んだわけだが、そこに至るまでの選択肢はさほどなかった。20~30年前の自動車への若者の憧れ感が、現代の若者には無いように思えた。車は本当は性能が第一選択して第二選択はスタイル、第3選択肢が居住環境であったりするのであろうが、年寄りの若者のはまずはスタイルを選択するのであった。そういった中でどれが最先端かを考えるといずれの車も感性に響くものはなかった。結果的に燃費が一番いい車ということでアクアを選んでしまった。しかもシルバーメタリックを。《1500Cc,HB》
2012年ホンダFIT Shuttle東北震災の影響もあって全国で省エネの機運が高まり、減税措置も活発となり我が家にもハイブリットカーの登場となった。ただし、所有権は息子であるため全面的に他人の車の位置づけで、年に数回乗る程度の存在である。信号で止まるとエンジンも一緒に停止することが なぜか心地よく感じた。通常ガソリンエンジンを電気モータがアシストすることで、エンジン分の運動量が軽減され燃費も向上している。ただし、息子の車ですが。《1500Cc,HB》
2009年ホンダFREEDあおれよあれよいう間に、子供に車を奪われてしまった。せっかく買ったスパシオは気に入らないと、売り払われ新たなメーカであるホンダを選択されてしまった。家の駐車場に長さの制限があることから選択した車はコンパクトで7人乗りのFREED。家族が多いわけではないが、とっさのときには前のスパシオより居住空間は広い。また近年のエコの流れから1500にしてそれなりのパワーもあるし、まっ、しばらくはこの車でいいか。ここ最近では自転車を乗るようになったので車を使って移動チャンスもめっぽう少なくなり、どうでもよくなった。《1500Cc,AT》
2006年トヨタスパシオベントの車検を前に、修理代が40万円以上必要との見積もりから、好きだった車を手放す事を決めました。自宅の駐車スペースが狭い事から、買い換える事前選びに苦労しました。もっと長く使ってやりたかったですが、息子の反対にあい短期間で手放すことになってしまった。気にいっていたのだが。。《1800Cc,AT》
1997年VWVENTO 今までの車では気に入っている車です。乗り心地もエンジンの力も、スタイルも。。。しいて言えば、とてもウルサイ車でしたが。乗り始めたときは、ウインカーとワイパーの操作が逆向きであり、とっさの時にワイパーが動く事がしばしばありました。夏に弱い車で、「ゴム」関係の部品がとても弱く、部品の取替えばかりしていました。また、エヤコンをまわせば、「ガーッ」と強烈な音にも閉口でした。それでも、とっても気に入った車でした。《2000Cc,AT,4Door,GL-I,好きでしたこの車》
1988年トヨタカムリ何度か高速を走るたびに、1500CCの力なさを実感していたことから、大きな車にあこがれて、カムリを買いました。この車から、オートマになっています。子供のサッカー車出しによく使ってやりました。V6エンジンで静かだったのですが、車自体が重くて、その割には力がない事からいまひとつの感触でしたが、9年間の人生を全うさせてやりました。《2000Cc,V6 AT,4Door,オートエヤコン、Prominent》
1985年トヨタカローラFXアルトを1年しない内にカローラFXに代えました。新車でした。まだ、オートマが珍しい時代でしたので、マニュアルの5速でした。広島に行ったり、長崎に行ったり軽井沢に行ったり・・いろんなところに連れて行ってやりました。まだ運転は上手くなくて、あちこちをゴリゴリとこすった事が思い出です。乗っていた車の写真を探しましたが、良いのが見つからず、こんな写真になってしました。《1500Cc,5速マニュアル、5door,FX-G》
1984年スズキアルト 初めて買った車でした。平塚まで電車で取りに行って、乗って帰ってきました。保土ヶ谷バイパスを始めて走って、ひやひやだった事を思い出します。諏訪湖に家族で行ったとき、雨の中を走り続けていたら、運転席側のワイパーの取り付けネジが緩んで止まったことが笑い話です。4ナンバーの車で白い煙を吐きながら、中央高速を走り回った事忘れません。車の色は「灰色」でした。《550cc、ラジオつき、エヤコンなし、パワーステなし》