日頃思うことをつぶやいています。

2022-12-23
年末に発熱で、人生を考えてしまった
年末12月13日から、39度前後の発熱に遭い、自分の人生を振り返ったり残りの人生を考えたりすることがあった。発熱の原因は体の中の菌を退治するためにだったこともわかり、全治の方向が見えてきたので良かったものの、熱にうなされていた時は、本当に死ぬんじゃないかと思った。 いままで、納得できる人生だったか?このまま息絶えたとしたときに悔いは残らないか?ただ、個人としての悔いが残ったとしても自分を取り巻く人に悔いはないのではと、いろいろ考えてしまった。 kyかっかん的に考えると、自分の親、その親、、と歴史をたどり、日本建国、地球創世、地球と人類の誕生の46億年前から繰り返しのほんの些細な変化点である自分の存在。どうなろうともこれからの動向には変化はないだろうとと考えてしまった。 ただ、主観的に自分自身を見つめ、まだ十分でないと考えるなら、納得する結論を出した後に全うすべきと考える。
発熱
2022-10-12
後ろから追いつかれそうな気分。。
最近、後ろから追いつかれそうな気分を感じる。ストーカとは違った意味で、自分の残り時間を無駄に過ごしていることで、何かが自分を追い越していってしまうそうな感覚を覚える。その何かに追いつかれ追い越されると自分の人生が終わってしまいそうに感じる。何かをやり残していることを残り時間で早くやってしまわないと、、といつも思うのだが、実際何を優先にやるのがいいのかわからず、無駄に時間を過ごしているような。
考えても結論は出ない事で、ましてや自分の最後の時間もわからないわけで、何も明確でない事に対して心をざわつかせることはいい結果を出さない事はわかるが、どうしようもない。
日々の課題を着実にこなすことが最大の自信につながるはずだ。。
2022-06-12
思い出って。。
先日、自分の机がある3畳の部屋を引っ越して6畳の部屋に移った。引っ越しには2週間ほどかかって何とかテレワークができる環境になった。その際に、3畳の部屋に飾ってあった旅の思い出となる「お面」の措置に困った。6畳の部屋にはお面を飾る壁がないし特に飾る必要もないと考えていた。で、そのお面をどうしようかと考えたが、措置を保留にして、物置の棚に積み重ねておいてある。
一般的に旅行に行って買ってくるおみやげ物で、食べ物じゃなく、置物はどうするのが一般的なのか?こういった置物の役目は、買った人の記憶の呼び水にしか役目がないように思うが、その記憶についてもその人にとっては役に立つが、第三者には何も意味がない、邪魔物に過ぎない。私が死んだら、どうぞ廃棄いただいても結構ですが、死ぬまでの残り少ない時間でどのような扱いにすればいいのか??
先日テレビ放送で、いらなくなったものを買い取り再販する業者のドキュメンタリーがあった。その中で、大量のこけしが海外向けのアンティークとして売られていた。いまは、日本ブームで、こういったものがよく売れるとのことであった。が、その前にどうして大量のこけしが出回るのか?こけしは旅の思い出っていうことで購入されるのが一般的で、それが大量に売られているということは、買った本人がいなくなったか、あるいは思い出を思い出したくなくなったのが理由ではないかと考える。その上にそのお土産が邪魔になったことが加わる。どこも同じよう結論になるのかもしれないが、自分の場合は、どのような措置が一番いいのか悩む。
この結論は、お墓に入ってじっくり考えることにする。
お土産の行方
お面
2022-05-16
年取ったなぁ。。と思う
5月14日(土)から翌日に亘って、小田原から東京までの100kmを歩くというイベントに初めて参加した。2020年のコロナ禍により多くのイベントが中止になったり自主的に参加しなくなったりで外に出ることが極端に少なくなっていた。そんな中で、4月13日付けの新聞一面広告で、TokyoXtremeWalk100の開催を知った。紙面の中では、14日の朝、小田原から歩き始め、途中箱根マラソンのコースを通りながら神宮外苑まで夜通し歩き続けるイベントが紹介されていた。今まで何度となくフルマラソンに参加していたこともあって、100kmくらい歩くことは大したことないと頭から決めつけての参加であった。当日は、あいにくの雨。歩くことがメインであるため、靴にはこだわる必要があるが、雨の中を歩くのに濡れてしまう靴はとても不快と考え、当初考えていたランニングシューズに代え急遽ゴアテックスのトレッキングシューズを履いて参加した。しかしこの安易な判断が間違いの始まりだった。朝の小田原は8時スタートで、雨の中を歩き始める。順調な歩きはじめで、9時には雨は上がり、曇り天気ながら快調な歩きができていた。歩き始めて2時間程度したころから、足の指の痛みを覚えてきた。両足小指が靴の内側に当たり痛くなってきている。事前にワセリンを塗っていたがあまり効果はなく痛さは時間とともに増すばかりで、最初の休憩場所の「平塚しおかぜ広場」では、いったん靴脱いで靴下も脱いで、足を靴から解放してあげると一気に痛みはなくなった。この靴が悪い、、と後悔してもどうしようもない。10分程度休憩をした後で、再度靴下をはき、靴を履きなおすと痛みは倍増した。足がむくんで靴の中で窮屈になっているのだろう。それから延々痛みをこらえながら24時間歩き続け、明治神宮まで何とかたどり着いた。途中で何度リタイヤーしようと考えたが、もう少し行って決断、、と最後までリタイヤーせずに歩き通せたことはよかった。全般的に足の痛さを反省する点はあるものの、ほかの人に目をやれば、楽しそうにしゃべりながら最終ゴールを迎えている姿はとてもうらやましく痛感した。
家に帰って家族にこのことを話したら、もう年なんだからと一笑され、改めて自分の老化を実感した。
100KMウォーク
足が痛かった24時間
2022-01-05
今年から会社勤めの形態が変わった。。。
66歳を過ぎて、1月から勤めていた会社の雇用形態が、フルタイム勤務から時間勤務に変わり週4日勤務になった。週の中で勤務日でない日が1日存在するようになる。そしてその日が今日となった。会社の休日ではなく、勤務日でない日の過ごし方が分からない。実際その日になって改めて分かった。与えられた空白の時間をどように過ごしたらいいのかが分からない事が。
いつかこんな日が来るだろうと、頭では理解していたが動のように受け止めてどのように受け止めればいいのか考えていなかった。
会社勤めて47年が過ぎていた。あっという間とは言わないが、振り返ってみると意外と短い時であった。初めて上京した時に見た田町駅前の風景を今でも思い出す。ひんやりした空気の中で見た駅前の地下鉄工事中の国道15号線。あれから47年経った。これから新しい時代が始まる。人生ステージ2の始まりとなる。