日頃思うことをつぶやいています。

2007-12-21
やる気
ちょっと考えてみました。
人間を取り巻く人間関係、環境、試練、経験には肉体的に心地良い事もあるが辛い事や苦しい事もある。肉体の許容範囲内であっても、精神的には喜んで受け入れられる事もあるし受け入れられない事もある。
受け入れられる場合は、それを受け入れた後の姿を予想しその人にとって受け入れることが良いかよくないかで判断していると考える。この事が、個人のやる気につながっていると信じている。
一般的にやる気とは、積極性の有無に捉えられるがそうではなく、やった後の成果が直接的あるいは間接的に自分として望むことか望まざることかで決定されることと考える。
2007-11-26
風邪にはウナギ!?
約1週間続いた風邪の症状が和らいできた。もちろん医者に行って薬をもらってきたことも功を奏したことは言うまでもない。しかし、私の場合の風邪は咳を引き金として、咳をする→体力を消耗する→風邪の症状がひどくなる→咳がひどくなる→体力を消耗する→さらに悪化する・・・これの繰り返しでなかなか直らない。これを断ち切るため、11月25日の夕ご飯に奮発してウナギにしてみた。これが本当に効いたかは別として、結果として体が楽になった。
次回に風邪を引いた時、体力回復のためにウナギを食べてみよう。しかし、その前に風邪には気を付けることが大事ではあるが。
2007-11-24
最悪の症状
11月も終わりに近づき最悪の状態になっている。目指すは12月9日のホノルルマラソンであり、それに向けて今年の1月から練習を続けてきた。昨年は初めての挑戦であったこともあり5時間あまりのタイムでなんとか完走はできたが悔いの残る結果であった。今年は4時間台、できることなら3時間台を狙ってスピードを出せる練習をしてきた。10月にはハーフで1時間45分の記録を出すまでになった。この調子でいけば3時間台も夢でなくなってきた。
11月になって最後の仕上げとばかりに練習をしていたが、右膝に軽い痛みを覚え、練習を休み医者にも通い万全を尽くすことに専念した。甲斐あってほとんど痛みがなくなったと思いきや今度は風邪をひいてしまった。今日で約1週間風邪の症状は悪くなるばかり。咳が出るのと微熱があるのとで、走ることはできない。今日は11月24日であと2週間しか時間がない。ここ半月はまるで走っていない状況で気が焦る。このままでは3時間は無理と思わなければならず非常に残念だ。これから医者に行くが完治までは最低でも1週間はかかると思う。
最悪の症状だ。
2007-09-10
車がパンク!
車に乗って20年以上が経つでしょうか・・・昨日ユニクロに買い物に行くと決心して車に乗ったのですが、走り出すや否や「ゴロゴロ」と軽い振動とともにいやな音がしている。こんな経験は無く、道端に止めて見ると左後輪が完全に空気が無くパンクしていることがわかった。自動車教習以来タイヤ交換の経験が無く、しかもこの車のスペアタイヤのありかも知らないことから、説明書を参考に炎天下の本下にタイヤ交換をした。さて、パンク修理はどうしようか、どこに頼めばいいのか、修理期間はどれくらいで、誰が取りにいくか、その間どうするか。。といろいろ思案の挙句近くのガソリンスタンドに行ってみると、5分もすれば直しますとのこと。簡単なんだ、、驚く有様。
修理後、自宅に帰り有様を伝えた。「タイヤに木ねじが刺さっていてパンクしていた。」「木ネジって、木でできたネジの事?」「いや、違うけど似ている、かな。」
2007-08-14
子供の夏休みは・・?
浅田次郎の小説を読み続けている。「地下鉄(メトロ)に乗って」が最初でそれ以降「椿山課長・・」と最初の内は本屋で文庫本を買い求めていたが、ペースは遅いが1冊/週となれば、出費も大変なので市立図書館や公民館にある図書室から借りている。市立図書館は3箇所、分室が1っ箇所と公民館は29箇所ありどこからも借りることが出来るようになっている。一般的に図書館は蔵書も多いが貸し出しの頻度も多く、目当ての本が貸し出し中の事が多い。逆に公民館は場所によって品揃えに偏りがあったりもして、お目当ての本が比較的見つけやすい。最近は自宅のネットで目当ての本がどこの図書館や公民館にあるか検索も出来るので、見当を付けて出かけるようにしている。今日は近所の公民館に出かけた。
8月14日との事で、小学生は夏休みである。私の子供の頃、夏休みのパターンは、午前中早い時間うちに「夏休みの友」を片付けて、海の潮時によって午前中泳いだり、午後の早い時間で泳いだりして、余った時間は近所の友達とで釣りに行ったり、自転車に乗ったりして暗くなってやっと自宅に帰ってくる生活だった。
今日10時近く、公民館に本を借りにくると5〜6人の子供が室内のベンチにならでん座り銘々が携帯ゲーム機で遊んでいる。自分のゲームに熱中して気勢を上げているがその個人だけの世界のため、並んでいる友達間で共有することは一緒にいる事だけ。確かに、暑い日が続いているのでクーラーの効いた室内は気持ちがいいのだろうか。
暑いときは暑いなりの活動を複数の人で工夫しあいともに供することで、いろんな課題の解決力を身に付くし、達成感も共有できる。その上、体力や環境適応力、役割分担力、、などの力を付けていく、絶好のチャンスがこの夏休みのはずだが。。
2007-07-29
週末の情けなさ。。。
毎週末、単身先に帰ってくる。毎度帰りながら「今日は一人だから良いもん食って、早く寝るか!」と思うのだが、帰り道に寄るスーパでの買い物は最低限のものしか変えない貧乏性が出てしまう。200円リンゴが買えなくて、延ばしたた手をすぐに引いたこんな自分を省みて情けなく思い、目頭が熱くなりました。いつまでこんな生活を続けなくてはならないのか。。。。
2007-07-21
クールビス
昨年からクールビスが一般化している。地球温暖化の抑制も手伝ってか言葉は先行しているが、実質的な行動は定着化していないように思う。本日TBSラジオで久米宏さんもおっしゃっていたが、「開襟シャツではなく襟の立った普通のYシャツにノーネクタイと背広姿の政治家は間抜けに見える」と。私が思うに、間抜けに映ってもいいが、そもそもクールビスなら背広を着るべきではない。「ネクタイしていない→クールビス→環境を考えている」の形をアピールしているだけにしか見えない。
形でなく、実質的な行動をすべきである。7月に入って、公共施設でまだ暑いと感じた事がないほど空調は万全である。それだから実質的なクールビスが進まないのであろう。
2007-07-14
分かっているようで実は知らなかった
日に日に進化続けている携帯電話。日本では1億との調査もでているくらい生活に密着した必需品になっている。電車の中でも2人に1人は携帯電話を触っているところを見かける。そんな携帯電話に添付されている説明書は皆さんどうしているでしょうか?買い換えをする度にじゃまとしか考えられない分厚い「本」。最低限の所は見ることもあるが隅から隅まで見ようとはしないし、見なくても使えている。
最近、暇つぶしに読んでみたら、知らない機能を見つけたりして、「へ〜〜」と感動することがある。たとえば、、といっても私が知らない事だったりして、、通話中に「CLR」を押すと「保留音」が流れるとか。。。一度読んでみてはいかがでしょうか。。。
2007-06-18
お昼寝
何年かぶりに「お昼寝」をした。たまたま、別宅で過ごした日曜日、やりたいことはいっぱいあり朝からいそいそしていた。
早朝の走りから始まり、掃除・洗濯・布団干し・買い物などなど。。また、目覚ましのない朝もやりたい事のひとつで、ぐっすり寝るつもりが6時前から隣の物音で起こされ、やや消沈気味。走りは帝釈天をとおり江戸川沿いを走るが、欲しかった「アミノバリュー」の自販機を見つけやや気分上昇。自宅に帰り掃除・洗濯・布団干しを行い朝食を済ます、一息ついたのは11時頃。少し計画より遅れ気味。電車で出かける先は、まずは北千住。自転車用の部品を買いにハンズまで。ここで安めのものを見つけ、気分上々。予定では、これから昼食を取り本屋とスポーツ屋をめぐることだったが、いかんせん疲れが出てきて気が乗らない。近くのスーパーで食料を買い込んで、そのまま帰宅。
少し遅くなった昼食を食べた後、「お昼寝」をした。天気がよく、湿度も低いことで気持ちよく寝付いた。途中数度、目がさめたがそのまままた眠りに入る。この時がなんか気持ちいい。5時過ぎにもういい加減に起きようと立ち上がったが、体の疲れが余計に増したように疲れが出てきた。そのまま、夕食の準備やアイロン掛けを行うがどうも気が乗らない。その夜は早々に床に付き一日の締めとしては、40点。なんとか生活できたとの総合点。
久々のお昼寝でしたが、リズムが狂うのであまりお勧めじゃないね。疲れたら、夜を早く寝てしっかりとした休養がいい。
2007-06-12
三度目の自転車出社
今回で三度目の自転車出社である。道も慣れたし迷うこともなく効率よく走れている。片道25Kmを今日は1時間15分。時速20Km。
雨上がりの朝、霧が出ていて空気は湿り気味のためか、いつもより多めに汗をかいた様だ。自転車に先週買い求めたボトルフォルダーを取り付け「VAAM」をいれ軽快に走ってきました。これから暑くなるので水分補給は必須ですね。
自転車を買い求めて半月になります。朝出掛けにタイヤの空気圧を確認したら抜けている状況で、これも買ったばかりの空気入れで入れてみたが使い方が分からず、断念した。こんなに早く空気が抜けるものか??
タイヤにやや不安はあったが会社に着き、会社のシャワーで体を清めることで本当にすっきり気持ちがリフレッシュしました。
2007-06-04
電車の中のアナタ
日曜日の昼間、千代田線に乗っていることが多い。代々木上原から乗る電車内はたいてい空いているので、席に座って本を読んでいることが多い。駅に停まる毎に車内は混んでくるが若い女性が隣に座ることが多い。女性は席に座るやいなや化粧を始める事が多い。それもせわしなくハンドバックから3〜4種類の化粧品を出したり入れたりしながら顔に塗りたくっていく事が多い。とても落ち着きが無くパタパタ、トントン、パリパリ、プルプル、ポイポイ、、と化粧することが多い。10分くらい化粧をしたあげく終わるやいなや、携帯電話を出してメールを打つ事が多い。パチパチ、プチプチと携帯をせわしなく打っている事が多い。携帯が終わるやいなや、また化粧品を出しては鏡を見ながら化粧直しをすることが多い。程なく飽きてくるとまた携帯電話を出してはメールの確認をしている。電車が止まったかと思うと、小走りに出て行った。は〜〜。なんだったんだぁ〜
2007-05-29
自転車で出勤
今日はじめて自転車で会社に出かけた。朝から少し涼しかった今日、薄手の上着を着て買ったばかりに自転車に乗る。道に不案内なのでわかりやすく国道に沿って出勤する。車道は車の往来が多い事から極力歩道を選んでペダルを漕ぐ。走るときと比べ、運動の強弱は落差が大きい。たびたび信号で足止めされるし、車優先の道路システムで歩道も狭く舗装状態もめっぽう悪く両手が受ける振動が後々まで手のひらに残る。25Km程を1時間30分で走りきった。涼しい朝なれどしっかり汗をかきタオル地のハンカチはじっとり濡れてしまう。体力の消耗は感じなく適度な運動であることで心地よい。左折専用道路が自転車の行く手を拒む道路が数カ所有り道に慣れる必要が有ると痛感する。
朝と異なり、帰りは夜の闇の中である。特に道に不慣れであり、闇は余計に気を遣うが、実際道に間違い2Kmほど遠回りの帰路であった。平均18Km/hの速度であり信号に忠実であった割には良い記録である。
次回からの留意点として、第一に服装。汗をかきやすく日中の仕事でも快適に過ごす工夫が必要。第二に天気を気にして往復の天候が良好の時のみ自転車とする。第三に交通量の少ない道を速めに探し出すこと。これに心がけ次回に挑む。
2007-05-27
マイクロSD
昨日、携帯電話を買い換えた。とあるキャンペーンで割引があり、今使っている携帯電話でもまだまだ使えるのに「もったいない」が、実質1000円の価格に誘われた事がきっかけ。1000円だから、深く考えず買い求めた後あれこれ触ってみるとminiSDが使えないことが判った!。今までの携帯は1年半前に買ったわけだが、写真や音楽を保存出来ることから、わざわざminiSDを買い求めたのに、最近携帯ではMicroSDに代わっていた。
技術革新とともに、購買意欲をかきたてるキャンペーン活動。それに乗ってしまうおろかな購買者。繰り返される経済活動を通じて経済の発展があると信じるが、その中で暮らすわれわれも乗り遅れないようにすがっていかなければならない。今日にもMicroSDを購入しよう。
2007-05-24
シンスプリント
病院に行って2週間目、再び病院に行った。初診の医師とは違ったが、その後の経緯を確認いただき、コメントをもらう。
「僕はシンスプリントだと思う。本当は若い人に現れる症状だがたぶんこれだと思う。」
シンスプリントとは、スポーツ選手の下腿障害の60%に現れランニング障害の10〜15%を占める。ストレッチ不足やアイシング不足が主な原因ではあるが走る事に対してケア不足が災いしている。
振り返ってみれば、4月からその症状が徐々に出ていたので、しばらく休養したがいっこうに改善しないことから再び走り始めた。その上1月に120Kmを走るというノルマを残りの日数で達成を図ったため、無理な走りになったのだろう。加えて、ストレッチはそれなりにやっていたが、元々アイシングに関しては積極的に行っていなかったことが原因と考える。今日会社帰りに消炎の為の湿布を購入し今後の対策とした。
2007-05-19
天気の良い日にウズウズと
走りを休んで2週間目に入ってきたが、この頃は走るに絶好の天気が続いている。柔らかい日差しに少し涼しいくらいの風、日の出時間も5時前と不満のない条件。こんな時に外に出られないのは残念である。
2007-05-08
足が痛くて病院へ
マラソンを始めて焼く1年。4月上旬から右足が痛くて今日病院へ行ってきました。足の筋が張って痛くなるのかと想像して整形科で看てもらったら、走り杉の疲労による骨の障害ではとの疑いと言われました。昨年の11月頃に走り過ぎと医者に指摘受けて以降、連続しての走りはやめて2,3日に一回に押さえていたがそれでも多すぎるとのこと。疲労骨折が疑われたがX線からではその兆候は伺えないが、骨の局部がはれていることから、そのまま走り続けると骨折につながるとの指摘を受けている。ひとまず経過観察するために2週間は走り中止が言い渡された。
若い頃に鍛えていないことが、ここに来て反省材料に。しばらくおとなしくするか。
2007-05-08
変な会社。。。
とある会社のこと。
その会社の敷地は京浜地区に有って、広大な敷地の中に立っている。さらに、その敷地の中には、ラグビー場2面、テニスコート4面、池が4つサッカー場1面も含みちょっとしたスポーツ公園より大きい。そのせいか、ここで働く従業員は昼休みになると一斉に外に出て、ひたすら歩き回る習慣が出来ている。こんな中で仕事するのはいかが??
2007-05-03
「お前らどこのだ?」
バスを近所のバス停で待っていました。バス停では、多くの中学生らしきジャージ姿の男の子が10人位が既にに待っていました。何かの大会に出場らしく大きなスポーツバッグを銘々が持ち、最近の子供らしくだらしなく「たむろ」している様子で地べたに寝ころんでいる子もいました。しばらくはガヤガヤと話を品柄待ち時間を過ごしていたようでしたが、バスが右手から近づくと数人から、「これは違うバス」との声が聞こえた。目的行きのバスではなく「なんだよ〜」との声もしていた。まさにバスが目の前で止まった時、数人の乗降客が会った後、あろう事か運転手がバスから出てきたではないか。動作はゆっくりその場にいた複数の関係者に威圧感を与えながら、寝そべっていた中学生の頭上から一言、「お前らどこのだ?」と凄みをきかせていた。よく見ていなかったのでしばらくは運転手の行為が判らなかったが、どうやらバスが近づいた時点で、寝そべっていた中学生がバスを蹴るふりをしたよう?で運転手が「カチン」ときた模様だ。
「お前らどこのだ?」「どこの中学だ?」「○○中学か?」とすごんだ後で、ゆっくりと再びバスに戻りしばらくバスを動かすことなくその場に停車したままだった。1分くらいはそのままであったろうか、目的のバスが後ろからやってくるのが見えたとき、滑るように走り出していった。
原因の詳細は不明だが、わざわざ運転台から降りてきた運転手もよっぽど旗が立ったのだろう。そのバスにはほかにも乗客がいるのにその人たちはその後の運転に不安は無かったのかと気を察する。
それにしても、「お前らどこのだ?」は無いと思う。未成年ではあるがどこの中学に所属するかはここでは解決の糸口にはならず、「お前は誰だ」と氏名を尋ねその親に抗議し再発防止と謝罪を請求するのが適切な方法かと思う。所属した中学には責任は無い。また、その中学全員が運転手の気に障る行為をするはずもない。
たまに乗るバス待ちでの出来事に、じじぃが独り言を言った5月3日憲法記念日であった。
2007-05-02
不要なテレビを廃棄(家電製品リサイクル)
家電製品リサイクル法(正式には特定家庭用機器再商品化法)が施行されて6年が過ぎました。その間、納得がいかないまま不要になったテレビとパソコンのモニタ(ブラウン管)があわせて4台溜まっていました。何とかしなければと気にはしていたが、1台およそ5000円のリサイクル費用が必要との概念からなかなか整理が進まずに、長い間使わない部屋の片隅を陣取っていた。
今年のGW、いつもながら時間をもてあましていた私は、ついに決心して廃棄することを決め情報収集を行ってみました。
テレビは、おおむねどんな大きさででも3835円のリサイクル費用と業者ごとに決める運用費で構成されていた。
市の大型ごみ取り扱い場所で尋ねると、「家電リサイクル券」を買い求めてくれたら、代行で手続きをしてあげる、との事で手続き量1000円を支払う必要がある。これで合計4835円/台。想定どおりの金額であった。
街の電気屋さんに聞いてみた。3835円は変わらずであるが、新しいテレビを買ってくれたら、運送費は500円、買わなければ3000円あまり。・・あくどい商売だ。
街のリサイクル業者に聞いてみた。3700円と輸送費500円とのことで、ここが一番安かった。早速、溜まった4台を持込して引き取ってもらった。しかし、ものを一見して、通常1.6万円かかる引き取り料金のところ、「このテレビ使えそうだから利ユースしてあげるよ」との事で、「う〜〜ん、5000円だね」と半値以下の金額で引き取ってもらった。街の電気屋さんに出していたら一台も引き取れない金額なのにねぇ。ラッキーでした。
リサイクル業者の方も言っていた。ひどいもんだ、冷蔵庫なんか一人用の小さなのも大型の観音開きもリサイクル量は一律4830円だ。
こんなことするから、不法投棄の大型ごみが増えるんだよねぇ
本掲載を行っているCGIをVer2.0にバージョンアップしました。その筋の人からすると何でも無いことですが、削除機能を追加したまででです。ちゃんとしたマニュアルが無いので見よう見真似でなんとか最低限の機能がそろいました。2007年のGWの半分はこの作業に没頭しましたので、自分としてみれば成果として出たわけですが、周りの人から見ると何でもないことでしょうねぇ。
2007-04-22
東日本国際親善マラソン大会
幸運にも外れてしまった雨の天気予報に対し、晴天とまではいかないものの雲の合間から時折日の差し込む天候は、はじめて参加した日本のマラソン大会を楽しい思い出にしてくれた。ただ、風が強いことについては、マラソン大会の受付を行う人達には、6000人の参加者の書いた何枚もの名簿が風になびいてしまうことに閉口だったのかもしれないが、走る側にとって見れば暑さを吹き飛ばすのに絶好の環境だった。
4月22日の日曜日、桜の木もすっかり衣替えが終わり若草色の葉をまとった姿にいつの間にか変わり、吹く風にそれを小刻みに揺らす姿に春の到来を感じさせてくれていた日に、11時40分スタートのハーフマラソンに出場した私は2時間も前から会場である米軍の「相模原補給廠(ほきゅうしょう)」のMPのチェックを受けていた。先週は武田の里ウルトラウォークに出場したばかりでまだ体が休まっていないことはそっちのけで、無謀な挑戦をしているのであった。
東日本国際親善マラソン大会とは言うものの、ほとんど95%以上は日本人で米軍の関係者がちらりと伺えるほどで、まるで日本人がこの施設を使えるとの事で「親善」と名がつけられているのだと思わせる大会の全貌であった。この施設は日本にあって日本でない特殊な施設であり、滅多なことで我々一般人が訪れることが出来るところではない。そこに、今自分はこうしてる。施設内では、マラソン大会であることもあって、スポーツグッズを始め、サプリメント、サングラスさらにはシシカバブを始めジャンクフーズを売る屋台までもが出されており日本にあって日本でなく、日本っぽい映像が目の前にあった。
ハーフマラソン故、21Kmあまりの距離をひたすら走りぬける競技なのに、3000人くらいの参加者が集い、それぞれの思いで同じコースを共にした。
スタートは予定通り11時40分に長く並んだ列の最前部から始まった。私の位置する後半が走り始めたのは、ピストルのパーンとなった3分後位であろうか。ホノルルのそれよりは短いものの待ち遠しい時間である。コースは1周分をおおむね8文字にまわるコースを2.5周する単調なコースで、外から見ると狭いと思ったが意外に広いことに驚く。つまり1周が約8Kmの距離になるわけである。
年甲斐もなく、走ることが好きになった私は、休日となると20Kmの練習をしていることが自信となっていたため、今回のハーフマラソンを甘く見ていた。走り始めはマイペース、、というよりやや気分も手伝ってか、ハイペースの走りで始まった。特に女性の目ではさっそうと走る自分に惚れ込んで、一人一人と追い抜いていた。しかし、このノリも2週目の後半からは失速してしまう目にあう。目に前に女性がいても、若い女性に追い抜かれても、もう手出しが出来ない位足が動かなくなっていた。最後の5Kmはへとへとな走りでやっとこさ最終ゴールに到着した感だった。最終タイムは自分の時計で1時間55分。目標は2時間だったのでまずますの記録ではあるが、体力不足を痛感する結果になった。今回、2回目となるマラソンも完走はできたのは、ただただ私の周りを走る若い女性の存在だった、と走り終えた今になって思えるほど、つらいコースだった。
2007-04-09
お役所仕事
会社での出来事。
複数部門と合同の仕事をしている。
大勢いるとその統率が重要な仕事の一つでありいろんな事を取り決めしてその通り守らせなければならない。些細なこともくだらないこともその例外にはならない・・のがお役所(ご本社様)。
ここ15年近く、文書作成はほとんどパソコンに頼っていることから、自分の字に劣等感は感じなくなり、思い切って表現が出来るようになった。また10年くらい前からWindowsが一般化し事で、ただの文字が色を変えたり大きさを変えたり、形を変えることが出来るようになった。
そんな進化したある日のこと。ご本社様から共同仕事の書類が電子メールで送られてくる。時を同じくしてリアルタイムに受け取られる事は30年前では考えられないすばらしさである。当時最速マシンのFAXでさえ読み取り時間と送信時間を考えればリアルタイムといえど5分はゆうに掛かる鈍感さであった。すぐさま受け取った書類は、作業依頼の内容で、書かれた項目に関して適切な回答をするようにとの指示であった。
じっと読む込む。実に書かれた文字はフォント「HGP創英角ゴシックUB」を使いフォントサイズは「11」でした。何故こんな細かいことを言うか?実際これを使った文字を見てくだされ。文字がつぶれて見にくくなっていることが解りませせう。
一般人としては、字が見にくいので自分でフォントを変えてみることは出来るもののいっそのこと作成する側で適切なフォント、フォントサイズを選択してほしいというのは常識の範囲でせう。
ご本社様のいわれるには。。。これは決まりですから直せません。ってネ。馬鹿じゃないの、こいつら。こんなヤツに掛かると、ネクタイして道路工事しろってぜってぇ言うね。ここまで我が社もひねくれているお役所とは思わなかった。こんあとんちんかんとは一緒に仕事したくない。決まったことは必ず守る。決まってないことは客観的な論理が無いと決められない。上司が言ったことはヤリが降っても絶対守る。いくら時間が掛かっても会議は終わらない、結論が出ない、先に進まない、時間切れで次回持ち越しにしてしまう。。。。

どーしようもない奴らばかりだ。
2007-04-05
下着のタイプは?
子供の頃と言えば、男性の下着は白いトランクスタイプのパンツしか選択肢はなかった。その頃のトランクスは、前開きのは売られていない事から用を足すときは下か上かどちらから出すことになるわけであるが、自分は左足側の下から出していた。ただし、子供故、トイレに行くのをかなり引きつけて行くことがしばしばあり、出す事の難しさと、急を要する緊急性のバランスが時として崩れ、よくモラシをした経験も数回どころでは無かった。
その後、中学頃だったろうかブリーフ系のパンツが身近になってくるにつれ、前あきのブリーフが珍しく、機能的であったことから一度きりの青春をブリーフ派で通した事になる。このスタイルは、しっくり感が気に入って結構長く続くことになる。とりわけ前開きであることと出し入れが容易であることが、機能的に気に入った。
40歳?くらい頃から息子が中学にあがる時分、下着がブリーフからトランクスに替わる頃からそれに引きつられ自分もトランクスに心変わりすることになった。心地よさ感は、ブリーフがとても気に入っているものの、開放感、ルーズ感はトランクスが気持ち良く、出し入れも前あきであることも手伝い尚いっそう機能的に感じた。
さて、今年に入ってだが、長く続いたトランクスもそろそろ終焉を迎える次期が来た。心変わりのきっかけは、やはり落ち着きなさがトランクスから身を引く最大の要因である。加えて、ウエスト周りのごわごわ感が何ともいえず気になる。
ご愛用のUNIQLOでは、両派が取りそろえてあるがトランク型のぴったりブリーフを買い求めた。3枚で1000円だったと記憶してる。3枚を立て続けに履き実感を味わうに、心地よさがとても良い。いわゆるブリーフ系の形をしていので足の付け根に食い込むこともなく履いているときも違和感は感じない。その後2枚をかいたし現在は5枚を取りそろえている。
女性の人だったら、とりわけT派かY派に分かれるのかもしれないが、あまり変わらないよね。
2007-03-22
世界水泳に熱狂??
第12回世界水泳選手権水泳競技大会が3月17日〜4月1日までオーストラリアのメルボルンで開催されている。中でもシンクロスイミングに日本中が熱狂中とか。。を想像させる様にメディアが騒いでいる。
実際毎朝のニュース番組ではメダルを取ったとか、とられたとか騒いでいる。でも個人的には、シンクロスイミングの得点とか良い、悪いがまるで判らない。判らないものを見て熱狂は出来ないのが本当の気持ちで、私をのぞく日本人がどれだけ判って熱狂しているのかいささか疑いたくなる。
本当は水の中で運動する訳なので、息がつらくてとっても大変なのであろうが、訳もなくニコニコしている不自然さにも閉口である。
自分としては本当のスポーツは、誰が見ても勝ち負けが分かり、やってる側も息切らしてヤッターと叫ぶものと決めつけているので、シンクロを見ていると非常なストレスを感じる。いやな種目だ。
2007-03-16
手遅れ感
普段の何気ない行動の中で、しまった、手遅れになった。。と失望感に駆られることが最近よくある。具体的な失敗したことではなく、いままで過ごしてきた時間に対して自分が行ってきた生活や行動についての長期に亘る手遅れ感が襲ってくることがある。そろそろ年でもあるからそう思うことが多いのかもしれない。もっと青春を謳歌しておけば良かったとの反省はしないが、今の時代に近い年でやるべき事をやっていなかったのではないかと反省する事についてである。この反省の要因もほんの瞬間(時間とすれば0.2秒くらい)に脳裏に浮かび、間髪入れずに消滅してしまう事が殆どで、「あれ?なんだったっけ??」と思う事である。
まだ今なら取り返しがつくような事かもしれないが、その瞬間の反省の材料は瞬く間に消えてしまい、ただ反省の感だけが心に残ってしまう。
訳の分からない事で、悩んでしまうことが多い・・・・
2007-03-11
天気が不安定
今日は朝から天気が不安定です。本当はあれしてこれしてといろいろ考えていたのですが朝っぱらからの雨でやる気をなくした。人の心もちょっとしたことで大きく変わるものです。天気ですらこんなに左右されるわけですから、ましてや人の意見を聞きながらでは、変貌ぶりはなおさらです。年とっても短気な性格はなかなか直りません。そもそも直そうともしていないので心の中ではしょっちゅう怒っている事が多いです。
土曜日に車の12ヶ月点検に行きました。当然事前予約してあったわけですが、言ってみると仕事がいっぱいで点検に入れるのが1時間待ちで、さらに作業自体が1時間でと説明する営業マンに説教をたれてしまった。「あんたねぇ、こっちも予約した上でわざわざ来てるんだよ。それが仕事がいっぱいだぁ〜。はぁ〜。オタクの会社の仕事に対する姿勢が出来てないんだよぉ〜」30分ほど吹きまくって帰ってやった。
2007-03-09
過去の記録
昨日見たTVでかのモンゴル帝国の事を知った。いまでこそ、中国とロシアの中間にある良く知らない国、ではあるがかつて中国ソビエトヨーロッパをも配下にした大国であったとの事である。ジンギスハーンの名前は知ってはいた彼がどれくらいの人物だったのかは、記憶には残っていない。しいていうなら、詞の中で「ジン、ジン、ジンギスカーン」のフレーズで認識するくらいだ。
モンゴル帝国の詳細は明確ではない。つまりは過去を伝える文献が残っていないからであり、文字が無かったのか過去を伝えようとする考がなかったのか認識していない。
自分の歴史(自伝)を残す事に付いて考えてみた。はたして、過去の私を示す文献はいま有るだろうか?従来より、机の上でじっとしていることが苦手な(嫌であった)私であるので、当然ながら字も汚く、然るに字を書くことも敬遠してしまう、敬遠しているので字が汚いのか原因と結果の関連づけもままならない状況は押して知るべしである。
また加えて、記録となると写真機なるものが幼少の頃から世に存在していたが、ねっからの照れ屋の性格から、自ら進んでカメラの前に立つことはなく、卒業アルバムや小学時代の誕生写真位が残っているだけである。
そんな性格から、昔の自分を語るものは、ほとんど残っていない。
人間は生きるために生れて来る。死んでしまえば人間にあらず。至極明確な哲学であるがもうひとつあるとすると、生きている間に経験したことを後世にどれだけ伝えることが出来るかも生れて来る目的だと考える。
論点に戻り、私は人生50年を迎え、どれだけの経験をして来たかは自身を持っているものの、どれだけの事を後世に伝えることが出来るかについてはいささか疑問である。文字で記録していなかったモンゴル人の様に筆不精の私もなにも残していないことを改めて認識した。
幸な事に、21世紀のこの時代には、紙以外に後世に伝えるメディアは豊富に存在する。こうして、ツラツラ書きなぐっているのもその一つであろう。人生の折返しである50才を迎え、いくつかの新な事に挑戦を始めている一つとして、自分の人生の記録を書き続けていきたい。
2007-03-07
電車で通話?!
マナーとしての認識度の高い「電車内の携帯電話での通話禁止」。これについては老若男女からさまざまな是非論が有ろうかと思う。携帯電話がショルダー式の移動電話の名前からカバンの中に入れられるサイズの大きさに変った時点から、JRを中心として電車でのそもそもの利用禁止、電源オフの呼かけが始って来たと記憶する。当初の禁止理由は、発信する電波有害説が主体であったが、その他鉄道会社での通話のみ禁止する規制内容とのズレの整合や電波有害論の決定的な確証が見出せないことも手伝って、電車内では通話は禁止する共通マナーとして確立している。
そもそもマナーとは、(その)場で、あるいは社会全体で、居合わせた者あるいは構成員がそれに従って行動すれば、不必要な競争や、無駄な不快感を引き起こさない所作・振る舞い。その精神と形式。とWakipediaに記されていた。
では実際の適用状況はどうであろう。お客から掛って来た商談電話を大きな声でさも当然のように話している40歳風のセールスマン。会社の同僚や部下宛であろうか手で口元を隠しながら小声でしゃべる50歳台のおじさん。明らかに彼氏だろうと思われるウキウキした口調でとめど無くしゃべり続ける20歳台の女性。もっともたちの悪い脈絡の無い内容と意味不明な言葉使いを高周波数と大音量で流し続ける女子高生。
はたして、彼らは自の行為をやってはならないことをやっていると、どれだけ認識しているだろうか?また、周囲の人間はどれほどの迷惑と感じているのだろうか?
7、8割の人間はまなーで決められているのでやってはならない事、マナー違反なので迷惑だと感じているのではと考える。冷静に考えると通話自体は声を出すことだけの単純な行為であり、それを禁止する事はマナーとしては成立たない。複数人で車内に乗合せ、昨日のTVチャンピオンの大食女の事とか、近所の猫が庭に糞をして困るとか、おお声で話していても電車内でしゃべるなとアナウンスは流れていないし、顔を赤らめて怒る親父はいない。
ここまでの理屈として、携帯電話での通話はどこがマナー違反と考えられるのか自分では理解出来ていない。単に鉄道会社の決めた不思議な決りに反しただけの事に過ぎないのである。ただ言えることは、携帯電話の通話にしても恋人同士のささやきであっても聞いている(聞えて来る)読書に熱中した第三者の立場からすると大変迷惑な事には違いない。私から言わしてもらうと、電車内での音の発生はマナー違反になりますのでご遠慮ください、とのアナウンスが欲しい。いやアナウンスも止めて欲しい。
2007-03-07
女性専用車両にて。。
仕事で外出が続いている。少し離れた場所であるが故、いろんな経路で向かってみようと、昨日も今日も違って経路で目的地に行ってみた。東京は人が多い事もあって、いろんな交通機関が密集している。子供心にいろんな会社線に乗ることは楽しい。今日は渋谷から東急線を利用して川崎方面に向かう。東横線の渋谷駅はどん詰まりの駅で、丁度横浜方面の電車は最終車両をおしりに向けてお客を迎えているなため、最終車両から席が順に埋まる。通勤時間帯の急行電車に乗ろうとの考えであるが、下り方面なので電車の中は比較的空いている。とは言っても、すでに最終車両はほとんどの席は埋まっている。プラットフォームから座る場所を探しながら進行方面に歩いていった。程なくすると比較的空いている車両を見つけ、あまり意識せずあいている席に腰を降ろし読みかけの単行本を開いた。<BR>本記事の題名からすでに想像は出来るが、その通り女性専用列車であったことは1分もしない内に気がついた。赤面する暇もなく、読みかけの本を閉じ顔の表情も明らかに変えないで、さらに進行方向に向けて歩き始めた。さすがにテレパシーを感じたのだろう。
東横線はほぼ中程の車両が女性専用である。いつも利用している千代田線は最前列の車両である。
2007-02-28
ロンドンスポーツ
アメ横でおなじみの御徒町に「ロンドンスポーツ」というお店がある。いつ行っても混雑してるこの界隈であり、そのお店も前もやはり混んでいた。鞄店、山用品店、宝石店、お菓子屋さん、、、いろんな店が所狭しと軒を並べ、老若男女が行き来するところである。このお店は会社の人に紹介された訳であるが、ウインドブレーカを買い求める為の目的だった。びっくりするほど安い価格帯でスポーツ用品が売られている。・・と言うか、無造作に用品が積んであり、いろんな人がごそごそ探してはお金を払って持ち出していっている。ハンガーに掛けられた衣類もあるがメインは段ボールにうずたかく積み上げられた「山」であり、冒険心豊富な私に探し出す楽しみを与えてくれた。段ボール山の麓からあれこれ引っぱり出しては山の頂上に積み上げる。これを繰り返しながら山の衣料達に新しい空気を注いでやっている。
最後に見つけ出した目的のものは、会計で6割引の値段。次回からはさらに1割引の会員券を頂く。おそらく型落ちではあるが、何ら不都合を感じない品物に満足である。
2007-02-27
少し堅い題名ではあるが、小学生の頃いつか訪れてくる「死」について本気で考えたことが記憶に残っている。哲学的な想いではなく、単に死ぬことが怖かっただけの事だけれど、考えれば考えるだけ自分の内に潜り込んでいきその恐怖は累乗のごとく心に深く入り込んでいく。。
その日以降は、出来るだけ「死」の事を考えないようにした。
何故怖かったか、それは死んでしまったら楽しいことが出来なくなるからと、単純な理由からで、そんな時から時間の有効活用(楽しく過ごすには何をするか)を考えていたのだと思う。今でもじっとしていることがいやで、暇さえあれば何かしている。
2007-02-26
高度成長
浅田次郎という作家がいる。
元々あまり本を読まない私は、明らかに著名な作家以外はよく知らないのが通常であるが、「メトロに乗って」「椿山課長の七日間」の二冊を立て続けに読んだことから、この作家に惚れてしまった。いや、まだ本当の良さは判ってはいないと思うので、好きになってしまったと言うのが適切かもしれない。
彼の作品には全くの創作小説と、自信を見つめたエッセイの二種類にお目にかかった。小説はとんでもなくばかげたものとと泣かせるものに大別されるのに出会った。エッセイは、カジノを中心とした旅行ものと本人の想いをつらつら綴ったものに出会った。
現在読んでいるのは、「人は情熱がなければ生きていけない(2004年)」。自信の想いを綴ったものであるが、やや年も近いことから頷きながら読む部分もあり読みながら自分に置き換えて昔を思い出すシーンも多々ある。
戦後、10年前後の高度成長期に生まれ、日々変化と驚きの時代を過ごしてきた我々の世代は、とても劇的な人生を過ごすことが出来た。昨日まで裸電球の元ラジオを聞きながら世間話をしていたのが、翌日からはテレビが茶の間に置かれ、食事の時間が蛍光灯とともに部屋中が明るくなった。洗濯板と大きなタライで手にアカギレを作りながら洗濯していた事も忘れそうになっている。水道すらなかった。扇風機もストーブもガスレンジも・・・。おそらく10年くらいでほとんどの家庭製品が出そろい、生活様式も大きく変化した事を目の当たりに見てきた。
生まれたときに心からハングリーな生活を行ってきたからこそ、10年後の恵まれた生活環境から受ける影響力はスポンジが水を吸うごとくたっぷり吸い続けたのであった。
さて、今の子供たちはどうだろうか・・
2007-02-21
記憶
元来、私は記憶力が弱い人間だ。忘れ物が多い事は当然の事で、学校の授業内容も言うに及ばない。
先日、久しぶりに疲れも有ったせいか9時すぎには布団に入り5分もしない内に熟睡していた。
夢の中で過去に接した多くの記憶の登場人物が現代という舞台で演劇を繰り広げているのを見た。
彼らの昔と変わらない言動・素振りは懐かしさを思い出す。そうだ、彼もいたなぁ、あんな事も有ったなぁ・・・。与えられたあふれる時間の中で過去の回想に酔っていた。
ふと、ある人物に目がいった。彼とは高校時代年は一つ下であるが、訳有って2年下の学年だった。きっかけは覚えていないが、なぜか気が合ったし、彼も先輩として慕ってくれていて、懇意にしていた。
しかし、彼の名前が思い出せない。なんだったか・・・・。悔しい。。
心から込み上げてくる悔しさで目が覚めた。目が覚めても未だ思い出せない。この現実界ではおそらく2度と遇うことはない級友の名前。思い出しても何にもならないが名前を忘れる事が彼との楽しかった思い出も忘れてしまいそうで、不安になる。
私は記憶力が弱い人間だ。覚える価値のないことは何の苦もなく忘れてしまう。しかし、忘れてしまってはいけない事も忘れてしまいそうだ。残念だ。
2007-02-14
買ってきた
会社の帰りに椅子を買って帰りました。春一番が吹く街の中、亀有のイトーヨーカドーで1480円の大枚を払い買い求めた椅子。一緒に買ったビールが重かった。。。
2007-02-13
トンダ事
朝からトンダ事がおきた。
いつもの様に朝ご飯のしたくを終え食卓に座る。トタンに大きな音と共に尻餅をついた。一瞬の事で何が起きたか判らなかった。そして判った、イスガ壊れたことに。
ここに来て程なく4年の間使い続けてきた椅子がその一生を全うした瞬間だった。明日の朝食をどうしよう。